研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

北海道論(3)-道民の見栄

2010-03-13 17:51:54 | Weblog
本州の人々に対して、北海道民は、さも豊かでゆとりがあるふりをしなければならない立場にある。もちろん、北海道が経済的に豊かではないことはさすがに隠しようがない。しかしそれなら、大自然の恵みが素晴らしく、都会の人々には得がたい人間的な世界が北の大地には広がっているとアピールしなければならない。「試される大地」の呪縛だ。

確かに「北海道は食べ物が美味しい」というのはまったくのデマだとは言い切れない

観光客が美味しいものを食べている可能性は高いからだ。ただ六花亭の菓子が、基本的には「お土産」だという程度の見識はすべての人がもっていると期待したい。もってまわった言い方は申し訳なく思うが、たとえば仮に毛蟹を名産物としている土地があったとして、その毛蟹が、まずどこに行くかということは、経済学の基本中の基本なのではないかと思うのだ。食料基地の住民にまわる食材は、一番後回しになる。

食材は、大きなマーケットに向かう。食材の鮮度は、マーケットの大きさに比例し、大きなマーケットほど、その食材を安く提供できる。北海道稚内市で生まれ育った私の経験でいうと、これまでの人生で一番美味しい海産物は、東京で食べた。ちなみに料理人の腕は、おおむね人口に比例する。しかしそれ以上に深刻で言葉を選ばなければならないことは、職業道徳がマーケットの大きさにおおむね比例しているということだ。なるほど、東京にはひどい業者はいるだろう。しかし、地方の業者はもっとひどいうえに淘汰されない。

「鮮度の落ちる食材を、腕の悪い料理人が調理し、それを高い金を払って食べる」。それが北海道に「住む」ということだ。

しかし、これはまだマシな状態なのだろう。もし東京のマーケットが、二束三文ででも買い取ってくれなければどうなるか。食料基地住民は、その鮮度の悪い食材すら食べられなくなる。もし海産物を東京が買い取ってくれなければ、その日は最高の海産物を食べられるだろう。しかし翌日にはそれは排泄される。そして三日目には飢餓になる。ただお願いしたいのだ。北海道在住者に、「食べ物が美味しくていいですね」という不見識なことだけは絶対にいわないでほしい。皮肉にもなっていない。

しかし悲痛なのは、このデマの形成に北海道民がまるで絡んでいないこともないことだ。

例えば、「東京は生活費が高い。しかし北海道は生活費が安い」という犯罪的なデマがある。もちろんそんなわけはない。食費、光熱費、交通費、自動車関係費、生活必需品のすべてにおいて、北海道に住むにはひたすら金がかかる。使う量がまるで違う上に、単価が高い。

東京は住宅価格が高い?それはいったいどこの高級住宅街を想定しているのか。数字を読むことが出来るなら、東京には安い物件がいくらでもあること、北海道の賃貸物件がおしなべて高いことは誰でも分かるはずだ。交通の利便性と生活費の安さを考えれば、東京の生活費は北海道よりはるかに安い。例えば、同僚に横浜の自宅から千葉県に通勤している人物がいる。所要時間は1時間と少々、運賃は1000円少々のはずだ。北海道内で同じ距離を移動しようとすれば、急行列車で、2時間と少々で、運賃は10000円はかかる。

つまり北海道に暮らすには金がかかるし、それと比較すれば東京での生活費は安いのだ。だから、東京には北海道で定年退職した人々が再移住して暮らしている。東京の生活に疲れ果て、北海道に帰るなどというのは、「作り話だ!」とまでは言わないが、レア・ケースだとは確かに言える。ほとんどは真逆で、北海道の生活に疲れ果てて、東京に出る。にもかかわらず、なぜ「東京の生活費は高く、北海道は安い」という神話が確立しているのか?それは北海道民がそういう無体な話を受け入れているからだ。

それを言い出したのはおそらく北海道民ではなく東京都民だ。しかし、それに対し、「その通りです!」と北海道民が言ってきたのだ。なぜそう言ってきたのだろうか。東京都民には実利的理由がある。地域手当が一番高いのは東京だ。これを維持するのに、「東京は金がかかる」と主張することには意味があるだろう。しかし、北海道民は、地方自治というイデオロギーの前に、「お金は要りませんよ!生活費が安いですから!」と回答し続ける。

実は北海道民は、経済的な繁栄に失敗したことを恥じているのだ。意外に思うかもしれないが、「北海道新幹線が欲しい」という言葉を、政治家以外の北海道民が言うことは希である。「狐や熊しか通らない道に道路を通す意味なんかない。無駄な公共事業は減らそう」という東京の公式論と同じ事を言う。本当は道路を通さなければ、本当に狐や熊しかいなくなり、生活の見通しがなくなることは知っているのに。しかし、北海道民は聞かれるとこう応える。「新幹線なんかできたら、駅のない町や商店街が寂れるだろ」と。事実は、もうこれ以上寂れる商店街や地域社会などないのだ。本当は、北海道すべてを札幌への通勤圏にしてしまう以外に、僻地の人口減少を阻止する方法はないのだが、それはどうしても言えない。フロンティアの住民に自主性がないのでは目も当てられないからだ。

関東出身の友人は、しきりに北海道を誉める。しかし親しくなり次第に酒が入ってくると、この土地に定年まで暮らさなければならないかと思うと気が遠くなって、「ありえないな」と思ったと言った。でも、後から荷物と一緒に来る家族を説得するためには僕自身が北海道を愛さなければならない。だから愛するのだと。彼は自分自身のために、北海道を誉める。誉めるので現状は変わらない。変わらない現実を残して、彼らはいずれ東京に帰る。