今週のメッセージ から

2008-05-18 | Weblog


15日の書きかけの文に加筆しました。

5月15日。

朝早めに仕事が終わり駅の近まで行くと、ある有名な宗教団体の掲示板に書かれている短い文に心を動かされました。  正義に関する事。  JR豊田 ( とよだ ) 駅の近く。

達筆で書かれています。

内容は、

今週のメッセージ

自分では正義だと思っていても全体から見るとみんなに迷惑をかけていることがあります。
原因は視野の狭い見方、自己中心で客観的に見られないところです。


コレハ !!  ・・・参りました。

綺麗にまとまっているものの、記事に書いた正義について僕の考えと似ている・・・

・・・視野を広くして、皆の事を考え、客観的に見られるようにしていけば、いい。

最も大事なのは、相手の立場になって考えること。  ・・・これをすると相手はどのような気持ちになるのだろうか。 これを言うと相手はどんな気持ちになるのだろうか。

自身でも毎日顧みるところです。

相手の立場になって考えていくのは、第三者的に見る必要もありそうです。  自分は大した者ではないですが、できるようになって来ますと、案外物事がスムーズに行くようになるのかもしれません。

この掲示はさりげなく道端に掲げてはいますが、通勤通学や買い物などで、その前を通る人達は見ることがあるのでしょう。 生活のヒントや拠り所、生活の指標と参考にしている人は案外いるのかもしれません。

ここで突然ですが、 書いていて建長寺の法話スベシャルを思い出しました。 調べたらナナナント、あともう少し6月7日にやるというではアリマセンカ ! タタタイヘンデスーッ  見にいきたい。 下品ですが、よだれが出そうです。  ←ホント下品ネッ

話を戻しまして、タイミングといいマサカ会員のどなたかが僕のこの記事をどこからか知って参考に !  モウソウです。

だとしたら・・・  これもモウソウです。

モウソウじゃなかったら、どうしよう。   ・・・モウソれまでにしてクダサイ

今まで何度か掲示の内容は変わっていますが、今回のは嬉しくて笑みになりました。 瞳はうっすらと濡れてきます。

外では久方ぶりに幸福感で満たされました。

それからは、ずうーっとその気持ちが持続し、自然とあれこれ考えをめぐらしていきました。

各時代の伝統仏教の宗祖さまは当時の民衆を救済するべく、それぞれ地上での果たすべき役割と目的や使命があって天から遣わされたのであり、それを実現するべく降りてこられたのだと思う。 霊性は当初から潜在的なものも含め高かったにちがいありません。

それぞれの時代、それぞれの要求に応じて仏教として伝来されたものから、必要なものを探し出して広めたのでしょう。

現代では各経典の論拠について議論がなされていますが、発祥や成立はどうあれ、その時代の人々については必要とされていた。  当時の人々にとっては待望の教えであり、実際に当時の民衆を救い上げている。  だから、広められた仏典、経典から発せられる教義や教えは、それだけの救済力があり、発揮していた。

それぞれの時代に降り立った救済者(宗祖)たちが教え広めた内容は、教義や目指す方法のちがいこそはあれ、(部分的に特異な例を除いて)まちがっていなかったし、正しかったのだと思う。

こういう見方もあります。
伝統仏教で民衆のために一宗を興そうと思ったら、光りの使者がその時代やその人達に合っていない経典を拠り所とするとは考えにくいです。

光りの使者が拠り所とするとは、どういうことなのだろうか ?
仮に直説ではないとしても、実は、その中身には輝くものがあると・・・それを光りの使者たちは感じ取っていた ?  

それぞれの使者は伝えられた仏典のどれかから、その時代に合った救済の方法を見いだしていき、それをもって導くのが役目でもあったのだろうか。  あの時代あの世相において、取り出した仏典以外での民衆を救済する手本や拠り所とできる教義を探すのは不可能であった。   光りの使者たちは、天界にいた時の予定通り各々仏の教えとして伝承されているものを、頂いた。

現代でも伝えられている南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経、密教での真言など、個人的に思い返してみれば、どれも感覚的に親しみ深く、ここから出ているものが間違っている(救済力が無い)とは考えにくい。

阿弥陀仏さまに帰依します・・・法華経の御教えに帰依します・・・真言にて諸尊に呼びかけ力を仰ぎます。  どれもこれもまちがっているとは思えない。

どれもこれも、それだけの救済力はあると

天台大師さまの教相判釈について。  各経典の成立した年代がある程度特定されているのに異を唱えることはできませんが、天台大師さまが当時このようになされた論拠と経緯について深く考えた場合、一つの判断基準として存在しうるものと考えます。  時代に逆らう意味ではありません。

ですから、判断をする基準の一つ  とするならば、成立時期による判別は別として、価値観の一つとして存在しうるものであると考えます。   他との価値観の違いは出てきます。
現代ではどのように言われようとも、天台大師さまの教相判釈における経典の価値観というのは存在する意味はあると考えます。

自身で釈尊直説でないというのなら、異論はあるし現実には困難なのでしょうが、向上に必要なものを経典にとらわれず取り入れていく方法もあるのではと存じます。
実は生活をしていく上で、既に他経典に寄らずとも多方面からは必要なものを取り入れているかもしれません。 それが他の宗教から来ているものだったり、たとえば儒教だったり、神道だったり。  四季の行事、普段使う言葉や、ことわざ、先生や先輩、TV、新聞、ラジオ、書籍から教わること。  見て聞いて触れるものの名前、身につけるもの、生活の中にあらゆる文化や宗教から来ているものが浸透しており、自分や自分たちが恩恵を受けている故切っても切ることはできなくなっています。  ですから、生きていく上での生活の一部になっているものが多分にあり、それによっても生かされており、欠かすことはできなくなっています。  どんなにまちがったところの教えだあーといっても、他国と関わり合いあらゆる文化を生活に取り入れている現代において、ひとつの所だけでというのは通しにくくなっています。 仏教オンリーと言って他を排斥しようとするならば、Nike(ナイキ)と書かれた靴、衣服など、拒絶しなければならないです。 ことわざや使う言葉だって他の宗教から出ているものを慎まなければなりません。 他に例はいくらでもあります。  他の宗教や教えとは一切関わらない、恩恵を受けない、影響を受けない、触れない、というのならば、厳密にはそういう事になります。  宗祖さまたちが教えを広められた時代は固めることはできたかもしれませんが、そういう時代ではなくなってしまっています。

・・・ようく見渡してみると、他の教えや宗教から出ているものがいつのまにか現実の生活に浸透し、支えられてもいる。  それによって生活のはげみにもなるのならば・・・生かされてもいる。

宗祖さまが仮に、現代に現れたならばどのようになさるのでしょうか。  天才秀才、それ以上の頭脳と心を持ち合わせた宗祖さまだったら、時代に逆行して仏典の成立年代について否定するのだろうか。 判った時点で最新最適最も優れているものをすぐさま取り入れるのではないだろうか。 なぜならば、人々を確実な方法でいち早く救いたいから。 迷ったり争ったり過去に固執する理由などはどこにも無いと思います。 現状を見たらそんな事をしている余裕などはないと思う。

現代の論理にも当てはまるのではないでしょうか。

各々の仏典は直伝か否かと言われる場合がありますが、それぞれは輝き方に違いがあったり、特色はあるものの、救済力を発揮する際にお題目や念仏、真言の文字は黄金に輝くものとなっていたのだと思う。

文字や経典が輝くものになり救済力を発揮するかどうかは、捧持し、拠り所とする側の心の持ち方にすべてがかかっており、これが人間の欲望にとらわれたりすると、見た目の文字は美しく見えたとしても光力を失い、うす暗いものになってしまうのだと思う。  違いは曇った心では判別ができない。

仏典を仏に至るための手段や方法の糧とするならば、それぞれの仏典から学んで移す行いがまちがっていれば、当然救済力は発揮することができないし、黄金にもならない。

黄金にできるかどうかは、真に実践する側の全てにかかかっている。

繰り返しますが実践するにあたり、人間の負の欲望が加味されてしまうと、たちまち黄金のものではなくなり、輝きは無くなる。

例えば、お金に関すること。

仏を目指すのが第一の目的なのに、維持運営の為に信ずる人からお金を集めるのを最優先にしてしまうと、たちまち光りは失せてしまう。

また、仏を目指すはずが、過度に教えを広めるのに相手の感情や気持ち、心を理解せず無理に広めようとすると、これもたちまち光りは雲散霧消してしまう。

オソロシイ

話は変わりまして

この時点では、メッセージの教団が奉じている経典については何も知らないのに、帰りの電車内では座席に座って目をつむり、日蓮さまについて思いをめぐらしました。

孤独で広めていた状況を思い浮かべます。

次第にフツフツと、怒りが込み上げてきます。

あの方に呪いをかけた者、つぶてを投げた者。

もの凄い感情が沸き上がってきます。

結果はどうあれ、あなた方がやったんだぞ !  と    ・・・これについて、あまり深い意味は言えないです。   

仏教徒として、仏さまの弟子として、恥ずかしくないのか !

やった人達、それぞれ宗祖さまを掲げているが、本当に宗祖さまの弟子なのか ?

宗祖さまが生きておられたら、破門されるんじゃないのか ?

何百年も前の出来事なのに、その何百年後の未来である今、当時の人々について思い起こします。  当時の人達は、生まれ変わってもきているのか。


日蓮さまは、激しく他の教えを糾弾した事があるのだそうです。

念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊   これは、一平民が菩薩さまと云われた方の説かれたことについて考えてみるのは大変烏滸がましいですが、この言われた時の気持ちは分からなくもないです。

日蓮さまの受け取り方や解釈とは異なるかもしれませんが、当時日蓮さまに執拗に妨害や攻撃をしてきた仏弟子と名乗る者達は、各宗祖さまの教えや戒律を守らず理解できず、日蓮さまの初期の真意を汲み取ることができず、執拗に誹謗中傷し、排除しようとしたのではないのか ?
どこかの自称密教関係と名乗る者は、宗祖さまがあろうことか禁じている呪いの法をこぞってかけたのか ?
要は、各々教えを広めた宗祖さまを崇め弟子とは名乗っていたが、弟子としての行いはどこまでできたのか。  開祖である釈尊、宗祖さまの教えを護持し、捧持する仏典に書かれている教えを無視、曲解、歪曲し自分に都合のいいように解釈をして、仏教徒としてあるまじき絶対にしてはならない、恥ずかしい行為の数々を日蓮さまに対し行った。  但し、行ったのは、当然のことながら仏教徒全員ではない。 真の釈尊の弟子、真の宗祖の弟子、仏教の教えを真に守っている各宗の真の仏教徒たちは、そんな日蓮さまに対して妨害、攻撃をする者たちにはあきれ返っていたし、そんな者たちには言ってもムダと放り投げていた。  仮に自分と同じ宗に属しているとしても、心の縁は切れていた。  仮に、会うことがあり表面での言葉のやりとりがあったとしても、同じ宗としての同じ弟子や仲間という意識はなく、心では絶縁していた。

もし、わたくしが似ている境遇にあり、他宗の人から排斥される立場であったならば、各宗の真の仏弟子には敬意と尊敬の意を表していきますが、それ以外の仏弟子とは到底いえない非道とも思える行為をするニセの仏弟子達に対しては、そのままではおかなかったと思います。  仕返しをするという意味ではありません。

宗そのものを非難するのではなく、それらの宗祖さまの偉業に敬意を払いつつ、排除しようとする者たちの根本的にまちがっている行為を見極めて、それについて述べていきます。


鎌倉時代の自称仏教者にイウ

命を奪ったり苦しめるのを仏教では間接的にも禁じているのに、それをしでかすとはどういうことなのだ ?
開祖であるお釈迦様が罰を与えましょうと言うのですか ?
僧兵などと言って武器を携える自称僧侶がいるが、仏さまにお仕えする者が武器を携えるとはどういう事なのですか ?  
自分たちの都合のいいように仏典や宗祖さまの教えを解釈したのですか ?

教えを自分たちの都合のいいように解釈し、それを信者に浸透させ信じさせる者に神仏は力を貸さない。  だから、自称どこそこの宗派に属していると言っても、それについては言い方は厳しいかもしれませんが、

自称念仏を唱えているニセの仏教のお弟子さんは、救われるかわからんよ
自称禅をなさっているニセの仏教のお弟子さんは、救われるかわからんよ
自称真言を唱えているニセの仏教のお弟子さんは、救われるかわからんよ

・・・他の所もニセの仏教のお弟子さんは皆同じ、自称仏教徒と名乗っているが、救われるかどうかわからんよ
さらに、自称イエスさまを崇めているニセの信じている方々、救われるかどうかわからんよ

それとは全く別に、どこの宗門どこの宗派(念の為上記宗派含)に属しどのような形の信仰をなさっていようが、真のお釈迦様と宗祖さまの教えに従い仏典を護持、捧持し、教灯を守っている真のお弟子さま達は、わたくしが申し上げるまでもなく、必ず救われます。  お釈迦様や宗祖さまの言われる通り、自身の清らかな願いが叶っていくことでしょう。

イエスさまを信じる人についても同じ、真のイエスさまの教えを身につけ信仰なさる方は、イエスさまの言われた通り救われることでしょう。


・・・あのメッセージの掲示をされた教団の関係の方が万が一、わたくしの記事を何かのご縁で御覧になられる事があったならば、トップの方は大勢を導いていく並はずれた頭脳と心の持ち主でしょうから、”理解” されておられるのでしょう。

あのメッセージの一文では心が打たれました。  あの一文で、すべてを物語っています。

すべてって ?

ご勘弁ください。 文字や言葉ではなく伝わっています。
お願いです、どうか、信じてついてきている人々を一層導いてください。 あのお方はきっと高い所から見守っておられると思います。

陰ながら祈っております。  


最後に訂正します。

ニセだろうがなんだろうが、信じようが信じまいが、創造主さま、イエスさま、日本の神様、諸仏諸尊さま、どのような方でも一人残らずお救いください !  一人も残さないで、一人たりとも置いていかないでください !  お願いします。

もうおいてけぼりはいやだ !  地獄の底の底だって、お願いします !


180425 17:41







[ 記事 END ]



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〈 " 禁足地、入るべからず " 〉
http://web.archive.org/web/20130410010329/http://youkey.hanagasumi.net/zatudan/zatudanpage/z-09.html


http://www.wa.commufa.jp/~anknak/kyoukun222.htm







https://blog.goo.ne.jp/whitsunday_third/e/〔090127〕
、依り代になる肉体たちを消滅、あるいは壊してシマッタ。

https://blog.goo.ne.jp/mission_w/e/〔121005〕
 ( https://ejje.weblio.jp/content/crisis )

「 こういう人たちが精神病として扱われた場合は悲惨です。 大ゲサにいえば、キリストをはりつけにするような愚かな行為といえるかもしれません。 」
「 今の社会システムはこのような規格はずれの人を否定するメカニズムが働いているようです。 現在、世界を支配している精神は、このような高次の意識の目覚めを望んでいません。 」

キリストをはりつけにするような愚かな行為...

https://www.google.co.jp/search?q=磔
https://www.google.co.jp/search?q=Christ Crucifixion







https://blog.goo.ne.jp/mission_s/d/20110216
 ぐうぜんにも操作NO指がスベッテシマイ。    ..マタデスカ
 ...http://www.youtube.com/watch?v=sFXGrTng0gQ

https://blog.goo.ne.jp/mission_s/d/20110302
 Laputa でましたので  プロモ
 ...http://video.ultra-zone.net/w/8Ma65PO4kiA   [ 公開日 1984年3月11日 ]
 ..[ .海嘯 ] [ 風の谷のナウシカ#あらすじ ]

[ https://ja.wikipedia.org/wiki/東北地方太平洋沖地震 ]


https://blog.goo.ne.jp/mission_y/d/20200228


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https://www.google.co.jp/search?q=観音信仰  御利益

https://www.google.co.jp/search?q=観音 観る

https://www.google.co.jp/search?q=抜苦与楽 南無観世音菩薩

https://www.google.co.jp/search?q=心経奉讃文

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https://www.google.co.jp/search?q=神社 ライブカメラ



地元 鎮守   〔..挿絵....(..postcard..)...

[ 菅原神社   拝殿 / 画 上田博昭 様 ]   ( 筆者 若干 arrange )





[ 同. 鳥居   桜 / ペン画 上田博昭 様 ]



201112 16:09