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映画「セラフィーヌの庭」:名もなく貧しく狂おしく

ジャン=ピエール・ジュネのチームの一員で,最新作の「ミック・マック」では,母親のような優しさに溢れた料理番を演じたヨランド・モローが,圧倒的な存在感で126分間を支配する。この作品が,自然を愛し,神を信じ,絵画に命を捧げた名もなき芸術家の生涯,と聞いて即座に想像するような重さから逃れ得たのは,ひとえに彼女が仏頂面で醸し出す独特のユーモアとリズム感に溢れた演技のおかげだ。
モローの想像力と知性がなければ,精神的には現実世界から距離を置きつつも,買い物かごをぶら下げて我が物顔で街を闊歩し,大木によじ登って風の歌を聴き,教会の聖像を自分好みの色に染め,神のお告げに従って幻想的なタッチで木を描くセラフィーヌが,これほどまでに魅力的なヒロインになり得ることはなかったかもしれない。

しかし,2009年のセザール賞で主要部門を独占したという前評判から想像されるような,くっきりとした物語の輪郭を持ったドラマティックな作品ではない。監督のマルタン・プロヴォストは,説明的な描写を注意深く避け,各シークエンスを静かなフェイドアウトで繋ぐ。そのゆっくりとしたリズムは,セラフィーヌが自ら様々な工夫を凝らして作る染料のように,じんわりとスクリーンというキャンバスを染めていく。

特に,淡々とした日常の描写が積み重なっていくうちに,どうやらセラフィーヌにとって家政婦の生活は,生活の糧と絵を描く材料を得るための手段で,本当は絵描きとしての生活が本分であるらしいことが分かるまでの前半部分が素晴らしい。市井の人が人知れず自分だけの世界を作り上げている,という決して珍しくはない設定を,極力台詞を排して,ミステリー仕立てとも言えるシークエンスの積み重ねによって炙り出していく様は,スリリングでさえあった。

ウルリッヒ・トゥクール扮するドイツ人の画商ウーデとの出会いから,かけがえのない友情が育まれていく過程が丁寧に描写されているだけに,お金を手にしたセラフィーヌが世界恐慌に飲み込まれて精神のバランスを崩していく部分から終盤にかけての展開が,やや性急かつ唐突な印象を与えるが,ラストの長いショットはセラフィーヌの絵にも劣らない訴求力を持っている。
★★★☆
(★★★★★が最高)
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