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18歳で入社して32年、課長になって3年後だと思うが中国の商談から
帰国して出社したら子会社のNECエンジニアリング株式会社への出向を命じられた。
自分が中国から受注した通信制御装置の設計を持参しての子会社への
出向であった。
更に当時NEC横浜事業所構内に間借りしていた。
NECエンジニアリングの設計部隊約150名を
NEC事業所構外に移転させる事を実現して欲しいと言われた。
自分の仕事と一緒に移動先の部下も一緒にNECから出て行ってくれと事。
役職は一段階昇格の部長であったが一人での出向は今日の親会社の部下は
明日の客先との感触であった。
NEC横浜事業所総務課から不動産屋の紹介を受け、
NEC横浜事業所正面の空き地地主との売買交渉を行う。
その結果、地主の息子の要望に沿ってその地に建物を建て
15年間の賃貸契約を結ぶ事にする。
建物完成迄の仮住いとして新横浜駅前のビルに入る契約も行う。
こんな苦労したが
出向先の部下は親会社からの私に最初から敵意を持っており
陰では落下傘の敵国上司と言っていた。
約150人の部下の半数以上は親会社に敵意を持っており
親会社からの私に協力する事をせず私は困った。
NECの海外業務で20年近く一緒に働いた
当時のNECエンジニアリング会社常務役員の了承を得て
私に最初から敵意を持った非協力グループのリーダー格3人の
外部への異動辞令を出し、
代わりに比較的私に協力的なグループのリーダー格3人を昇格させた。
この人事異動が功を奏し私の存在がようやく部下に認められた。
これで1件落着かと思ったが、部下が私のNEC時代の部下
即ち親会社の顔色を伺い私の指示を100%受け入れない。
この事実は私の設計部門のみでなく会社対会社
即ち、親会社対子会社に共通する問題と分かった。
この問題の解決を当時のNECエンジニアリング会社社長(NECからの出向、移籍)
とも相談して現在の100%NECからの下請け仕事以外に
NECには直接関係しない事業(自主事業)を少し始める事にした。
然し、永年親会社に頼った企業体質は直ぐには変わらず
当初通りの自主事業は中々進まず、
計画して2年目に漸く初受注(約一億円)が出来た。
この初自主事業を成功させる為、
組織変更をして自主事業専門部門を作り、専任の技術者2人を貼り付けた。
これが親会社の通信制御システム事業部の上司の怒りを引き起こす事になった。
NECエンジニアリング会社の自主事業を怒った当時の親会社の上司が
数年後にNECエンジニアリングの役員兼事業部長に出向となり
私の上司となりこの自主事業を引き継ぐ事になったのは
本人、私も想定外であった。
この機会に私も出向から移籍にになり事業部長代理となる。
私の部下も私と一緒にこの自主事業を進めて行く事を
漸く決めた様に思われる。
帰国して出社したら子会社のNECエンジニアリング株式会社への出向を命じられた。
自分が中国から受注した通信制御装置の設計を持参しての子会社への
出向であった。
更に当時NEC横浜事業所構内に間借りしていた。
NECエンジニアリングの設計部隊約150名を
NEC事業所構外に移転させる事を実現して欲しいと言われた。
自分の仕事と一緒に移動先の部下も一緒にNECから出て行ってくれと事。
役職は一段階昇格の部長であったが一人での出向は今日の親会社の部下は
明日の客先との感触であった。
NEC横浜事業所総務課から不動産屋の紹介を受け、
NEC横浜事業所正面の空き地地主との売買交渉を行う。
その結果、地主の息子の要望に沿ってその地に建物を建て
15年間の賃貸契約を結ぶ事にする。
建物完成迄の仮住いとして新横浜駅前のビルに入る契約も行う。
こんな苦労したが
出向先の部下は親会社からの私に最初から敵意を持っており
陰では落下傘の敵国上司と言っていた。
約150人の部下の半数以上は親会社に敵意を持っており
親会社からの私に協力する事をせず私は困った。
NECの海外業務で20年近く一緒に働いた
当時のNECエンジニアリング会社常務役員の了承を得て
私に最初から敵意を持った非協力グループのリーダー格3人の
外部への異動辞令を出し、
代わりに比較的私に協力的なグループのリーダー格3人を昇格させた。
この人事異動が功を奏し私の存在がようやく部下に認められた。
これで1件落着かと思ったが、部下が私のNEC時代の部下
即ち親会社の顔色を伺い私の指示を100%受け入れない。
この事実は私の設計部門のみでなく会社対会社
即ち、親会社対子会社に共通する問題と分かった。
この問題の解決を当時のNECエンジニアリング会社社長(NECからの出向、移籍)
とも相談して現在の100%NECからの下請け仕事以外に
NECには直接関係しない事業(自主事業)を少し始める事にした。
然し、永年親会社に頼った企業体質は直ぐには変わらず
当初通りの自主事業は中々進まず、
計画して2年目に漸く初受注(約一億円)が出来た。
この初自主事業を成功させる為、
組織変更をして自主事業専門部門を作り、専任の技術者2人を貼り付けた。
これが親会社の通信制御システム事業部の上司の怒りを引き起こす事になった。
NECエンジニアリング会社の自主事業を怒った当時の親会社の上司が
数年後にNECエンジニアリングの役員兼事業部長に出向となり
私の上司となりこの自主事業を引き継ぐ事になったのは
本人、私も想定外であった。
この機会に私も出向から移籍にになり事業部長代理となる。
私の部下も私と一緒にこの自主事業を進めて行く事を
漸く決めた様に思われる。