明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

古代史喫茶店(39)またまた邪馬台国の本を読む

2024-05-10 13:12:01 | 歴史・旅行

ここ数日、大野治著「邪馬台国の謎を解く:IT(情報技術)の『V字アプローチ』を用いて」という本を読みました。勿論 Amazon の読み放題です。最近はコレばっかり(笑)。いいなと思ったらポチッとダウンロードしてサクサク読んでます。月1万円の読み放題なので、途中でハズレとわかったら即やめてもちっとも後悔しないのがいいですね、まるで「図書館」です。皆さんにも是非お薦めします。ただ、読みたい本が読み放題扱いに入っているかどうかは分かりませんので、そういう場合は「柏図書館」に行くか、いよいよの時は「仕方なく有隣堂で買う」ことになります。残念です。

まあ、私の興味のある古代史はそれ程人気のあるジャンルでは無いので、専門書としてバカ高い値段がつくか宣伝の意味も込めての読み放題かのどちらかが多いようです。今回の本も読み放題になっていたので、自宅でコーヒーを飲みながらじっくりと読みました。読んで判ったことは、今まで色々言われて来て我々も信じていた「古代史に関する諸説」が、ある点では誤解されある点では事実と違っていた可能性がデータを調べることによって「それこそワンサカと」出て来たことです。

例えば我々の祖先について、ずっとユーラシア大陸から朝鮮半島を通り海を渡ってやって来たと思い込んでいたのですが、紀元前1万5千年から6千年の縄文時代は朝鮮半島には余り人が住んでなかったと書いてありました。縄文海進以前は朝鮮半島は寒冷乾燥地でクリなどの採集生活が余り出来ず、日本のように食料の豊かな環境ではなかったようです。これは目からウロコ、ホントかな?っていう位の驚きです。日本の方が余程食料に恵まれていて、人口も多かったとデータを示して大野氏は自信満々に書いてます。また、DNAの分析から半島経由の人工流入は余り無く、日本人は漢人・満州人・朝鮮人達と「違う種類の南方系」だと分かったそうです。これはNHKの番組とも一致します。

むしろ朝鮮半島の住民は多くが日本から渡った可能性もあり、南部の辺りは「縄文人の文化」が日本海を中心に栄えていたらしい。これは今までの常識を覆すデータです。但し、今現在の朝鮮半島の人々と日本人のDNA系統が違うというのはある意味当然で、歴史上の百済・高句麗の人々(扶余人)は半島から唐などに追い出されて、しぶしぶ日本に大挙して渡来したから半島にはいなくなってしまった、とも言える訳です(今の韓国・北朝鮮は高麗系で、北方から下りてきて扶余を追い出した民族)。← これは私の想像。

さらに言語学者の大野晋が書いているように、日本語の起源についても従来のモンゴル起源説と異なって、実は「南インドのタミル語」との近親性が高いと主張されているようなんですね。この辺りの情報は大いに興味があって、邪馬台国の問題とは別にじっくりと勉強してみたいテーマではあります。まあ、日本人の起源はまた別の機会に譲るとして、古代史に話を戻すと邪馬台国の時代を考える上での最重要な事実が、この本を読んだことで「初めて明らかになった」と感じました。それは

① 移動手段
当時の日本の船は「丸木舟」に毛が生えた程度で10人も乗れれば良い方だったとのこと。瀬戸内海はまだまだ交通路としては安全に使える状態ではなく、移動は主に出雲〜敦賀の「日本海沿岸航路」を使用していたらしい(つまり日本が大陸に朝貢していたルートは朝鮮半島経由だったということ)。・・・他に大陸南部とは台湾沖縄経由のルートもあったが、これは邪馬台国とは別の国(狗奴国か?)のものなので今回の女王国とは関係ないだろうと思う)

② 人口
縄文採集生活から稲作定住生活をするようになって人口爆発が起きた地域とその年代を調べると、3世紀頃で魏志倭人伝に書かれている規模に合致しているのは「博多から佐賀」の地域のみという(瀬戸内海地域から近畿地方で人口が爆発的に増えたのは5世紀頃か?)。なお、魏志倭人伝の記述は春秋の説法により10倍位に誇張されているとする立場を大野氏は取っている(仮に記述が正確だとしても、地域による人口数の差は歴然)。

③ 軍事能力
日本の総人口は邪馬台国の頃でせいぜい20〜30万人程度しか無いことが各種資料から分かっている(数字はちょっとうろ覚えです)。それから人口が急激に増えたとしても、北九州倭国の総人口は7世紀の段階でも20万人位だろうと思われる。だから半島に軍隊を送るとしても、せいぜい5、6千人が限度だろう(色々な歴史上の戦いの「人口に対する戦闘員の割合」から算出)。その部隊が船で行くにしても、倭人伝の書いているように総計4、5万もの軍隊を乗せて白村江まで押し寄せるとなると、1隻で30人として総数1500隻もの大船団になる計算である。これでは現実問題として白村江に行くこと自体が無理だとなる。その計算から「白村江の大海戦」というのはウソまたは誇張で、実際はそれ程の戦闘は「なかった」のじゃないか?というのが大野氏の推論だ。超びっくりの話だが、データから割り出した結論だけに真実味がある。

ここまで2、3例をかいつまんで説明したが、その他にも常識を覆すデータの威力にはマジびっくりさせられた。この本の中では大野氏は「理路整然」と冷静にデータを積み重ね、一つずつ丁寧に事実を説明しながら「ごく当たり前のこととして」受け入れざるを得ない確実な結論に到達している。説得力あるねぇ。まあ、結論としては至極当然な結果に至った訳だが、これはある意味「既に分かっていたこと」でもある。素直に考えれば当然過ぎるくらい当然なのだが、この本に古代史のコペルニクス的転回のドラマを期待して読んだ人には「ちょっと肩透かし」かも知れないと感じた。まあ、仕方ない。歴史の真実は意外なほどつまらないもんです。だが、未だに箸墓古墳がどうたらこうたら桃の種がどうたらこうたらと、下らないことを針小棒大に言いふらして「邪馬台国はやっぱり近畿だ!」などと気色ばんで気勢を上げているエセ学者共の偉そうな顔が完膚なきまでに地面に踏み倒されると思えば、「5月の爽やかな一陣の風」が汗ばんだ頬をサーッと撫でて行くように、長年の胸のつかえも下りるというものです。邪馬台国は北部九州で決まりだぁ!、ですね。

後は実際に卑弥呼の墓が何処に在るか?ですが、どうやら「ここじゃないか?」という場所を大野氏は特定したようだ(おおっ、それはどこなんだい?、と答えを焦ってはいけない)。それに、場所を聞いても「何か動かぬ証拠」がある訳でも無いという。大野氏の書きっぷりには「とうとう卑弥呼の墓を見つけたぞ!」という爽快感が全く感じられ無いのだ。当然、大野氏も「可能性が在る」という程度で書いている。残念!

まだまだ卑弥呼は遠い過去にうっすら見え隠れする「謎の女王」で在り続けそうである。



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