アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

再考、八甲田山雪中行軍 2

2013年05月22日 | 近世歴史と映画

雪中行軍を陰で支えた方々の本当の姿そして、その後

 

七勇士
弘前隊を案内した三本木の7名


沢内鉄太郎氏、沢内吉助氏、福沢留吉氏、福村勝太郎氏、小原寅助氏、

川村(氏家)宮蔵氏、中沢由松氏。

弘前三十一聯隊雪中行軍隊の最難関・八甲田山系を増沢から大峠まで二日間、

不眠不休で命懸けで案内した。
しかし福島隊長以下弘前隊は、別れ際に誰一人「有難う」「ご苦労さん」という労いの言葉もかけず、

彼らを豪雪の山中に見捨てて行った・・・(沢内鉄太郎氏の孫・鉄男氏:談)

彼等は弘前隊が去った後、自力で大深内村(現:十和田市柏地区)に戻った。
しかし中には凍傷にかかり、廃人同様にして、若くして亡くなった方もいた。
彼等7名は、29年経った昭和5年まで福島大尉の「コノ二日間ノ事ハ絶対口外スベカラズ」

という言いつけを守っていたが、沢内吉助氏がふとした事でこの二日間の事(弘前隊を案内した事、

青森隊の遺体発見の事等)を知人に話した。

翌年の昭和6年、「その律儀な行動は南部人の鑑だ!」という事で、

彼等『七勇士』の偉業を称えた石碑が地元に建てられた。

その石碑は移転を重ね、現在は柏小学校向かいにある。

又、同小学校(残念乍ら平成16年春閉校)では『七勇士』の功績を校舎の廊下に掲げ、

子々孫々に語り継ぐべく、閉校時まで授業に取り入れられていた。
東奥日報の記事を読む

亦、『雪の八甲田で何が起ったのか』を執筆した川口泰英氏は、

柏小学校閉校記念誌の中で
「地元十和田市役所が七勇士の顕彰事業に非常に消極的かつ無関心であるのは残念。

閉校に伴い資料の散逸が心配、敢えてこの点を記す。郷土の先人が示した献身的奉仕が誇りを

持って後世に語り継がれることを切望する。それこそが真の社会教育、

後人としての務めである」と述べている。
強く賛同する!
実際我々(へなちょこ行軍隊)も七勇士の御子孫に取材を敢行すべく、

十和田市教育委員会に問い合せしたところ、奥歯に物を挟んだような言い方だった。

更にその七勇士の御遺族にお逢いしたところ「市の方は一切関与したくないらしい」

との言葉も・・・!(驚愕)

この偉業を後世に伝えていくのは、御子孫をはじめとする関係者と一部の有志だけかもしれない。



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1 コメント

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誰っしゃ!? (TOSHIBO)
2020-09-18 15:27:13
「実際我々(へなちょこ行軍隊)も七勇士の御子孫に取材を敢行すべく」とありますが・・・
Jさん?師匠??元たん???

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