Don't Let Me Down

日々の雑感、引用。
言葉とイメージと音から喚起されるもの。

墓標のない死

2012-01-29 12:55:38 | 日記


★ 奇妙な駅だった。たしかにトンネルを出たのだが、降り立ったところはまた地下室のように閉ざされている。長いホーム。それに劣らず長く見える、カマボコ型の天井。ホームの、線路とは反対の側には、窓はあるが壁がずっと続いていて、出口が見あたらない。国境検査官か警官と思える制服の男に、出口をたずねる。かれが指差すほうを見ると、なるほど、壁に一ヶ所、めだたぬドアがついていた。ドアを押す。ちょっとしたホールに出る。切符売場、小さな売店。そこからは、たった一筋の、細い、コンクリートで固められた壁のなかの通路になる。ここには窓はまったくなく、壁は古びている。しばらく歩いたところで道は右へ折れ、やっと出口が見えてくる。なんの装飾も文字もない。外へ出てから降りかえると、丘の斜面に伸びる巨大な壁のなかに、いま抜け出てきた暗い穴がひとつ、小さく口をあけているのが見える。

★ バルセロナから数時間、わりと混んだ急行列車に乗ってぼくはここへ来たのだが、この国境の駅でおりた旅客は、数えるほどでしかなかった。さっさとどこかへ、行くべきところへ行ってしまったのか、もうかれらの影はない。

★ 穴のまえからは、急斜面の細い坂道がくだっている。屋並は淡い霧のなかだ。海からあがってくる霧。そちらへ向かって、ぼくはゆっくりと歩きだす。つつましやかな宿屋や、みやげもの屋のまじる、家と家のあいだを。思っていたよりもずっと、町は小さい。道で子どもが遊んでいる。そうだった、今日は日曜日だった。

★ 大きく迂回する道を辿って、墓地のほうへ登った。霧がうすれて、ぎらぎらした陽光が照りつけてくる。眼下は紺碧の海。岬の鼻を道が曲がりこんだところで、山の斜面に、墓地が全景を現してくる。スペインからフランスにかけての地中海沿岸でいくつか見たのと同じ、海に向かう階段状の墓地で、コンクリート・ブロックか家具ユニットを連想させるコンクリート箱が幾段か積重ねられたものが、幾列も連なって並んでいる。

★ 長田弘によれば、ベンヤミンの遺体はたしかにここの箱型の一区画、563号におさめられたのだけれども、数年後には同じ区画は、別人の所有に帰している。だがかれの遺体がどこか別の土地へ移されたのか、それとも、同じ墓地のどこかにいまも名もなく横たわっているのかは、少なくともさしあたり、誰によっても語られていない。

★ 翌日ぼくは、あの国境要塞めいた駅から、フランスへ向かう列車に乗った。国境検査官はいまは(1974年春には)あいそよく、およそなにも調べない。徒歩で山を越えれば数時間の行程というフランス領セルベールまで、列車はやすやすとトンネルを抜けてゆく。2分とかからなかった。

<野村修“ポル・ボウにて―三分の一世紀ののちに” 『ベンヤミンの生涯』>




★ かくして、深い逆説をもった意味において、災禍と救済は同じものであり、完結のない無限の儀式的反復は、手段ではなく、目的なのである。(・・・)真の詐欺は、まさに死者の復活を信じることにある。あるいは、「犠牲」と称されるものを正当化し、彼らの回復不可能な苦痛を無視しようとする共同体的な努力をつうじて、彼らを象徴的に回復させるのだと信じることにある。

★ まさにこの理由で、象徴的な癒しや肯定的な記念式典に対するベンヤミンの妥協なき抵抗は、いまなお、深く考えるに値する。というのも、たとえユートピア的な普遍救済を信じる彼の信念を分かち合うことができないとしても、それでも、以下のことは認められねばならないからである。つまり、戦争の犠牲者たち――あるいは、より深いところでは、戦争を起こすことにつながった神話と不正によって支配された社会の犠牲者たち――は、高貴な理由のために死んだ英雄的な戦士としてこそ最もよく理解されるという考え方に対して、ベンヤミンがその虚偽を証明したということは、認められねばならないからである。これは、皮肉にも、ベンヤミン自身が第二次世界大戦の前夜にこうむった運命からも学び取ることのできる教訓である。というのも、フランスとスペイン国境での彼の自殺も、象徴的な完結を拒むからである。

★ じっさい、彼の眠りは、1914年のフリッツ・ハインレとフレデリカ・ゼーリヒソンの眠りと同様に、平安なものではなかった。この論文の最後の言葉として相応しく使うことのできる言葉を、ピエール・ミサックが次のように述べている。

彼の死後・・・・・・彼の遺体は消え去った。われわれに残されているものといえば、他 の多くの死のなかの、埋葬されることのないひとつの死にすぎない。共同墓地に彼の名はない。生きているときに無名の人に名前を与えた当人の名はない。ヨーロッパと太平洋のあちこちに置かれた軍人墓地の白い十字架さえない。だから、墓がベンヤミンの記憶を喚起することはないだろう。ただ、バベルの塔以後の終わりなき散文作品たちだけが、それを喚起する。

<マーティン・ジェイ“慰めはいらない―ベンヤミンと弔いの拒否” 『暴力の屈折』(岩波書店2004)>




★ そのさいにぼくは、歴史過程にかかわってのベンヤミンの態度に、及ばずながら倣おうとつとめたつもりでいる。なぜなら、ぼくらの死者たちもまた危険にさらされており、そして「敵は、依然として勝ちつづけている」のだから。

<野村修『スヴェンボルの対話―ブレヒト・コルシュ・ベンヤミン』あとがき(平凡社選書1971)>







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