プルースト『失われた時を求めて』の新訳2種(文庫本)での刊行が開始されている。
ぼくは、先日光文社古典新訳文庫での高遠弘美の訳を買い、昨日岩波文庫での吉川一義訳を買った。
これで昔からある井上究一郎訳(ちくま文庫)と鈴木道彦訳(集英社文庫)とあわせて、四種類の翻訳が手元にある(現在のところ、第1巻「スワン家のほうへ」であるが)
そこで任意の部分を引用し、この四種類の翻訳を比較してみたい。
ぼくはフランス語で『失われた時を求めて』を読んだわけではない。
だからこの比較は、あくまで“日本語の”比較である。
A:井上究一郎訳
私は彼女を愛していた、あのとき彼女の感情を害するか、彼女を不快にして、むりにも私のことを彼女に思いださせようとするそんな余裕も妙案もなかったことが残念に思われた。彼女はいかにも美しく見えたので、あともどりして、両肩をそびやかしながら、こういってやればよかったのだ、「なんてきみはみにくくて、グロテスクなんだ、ぞっとするぜ!」そう思いながらも私は遠ざかっていった、――シャベルを手に、ずるそうな、何をあらわそうとしているかわからない視線を、長く私の上に走らせながら笑っていた、皮膚にそばかすがちらばっている、赤茶けた髪の少女の映像を、犯しがたい自然の法則によって、私のような種類の子供には近づくことの不可能な一つの幸福の最初の典型として、永久にはこびさりながら。
B:鈴木道彦訳
私は彼女を愛していた。彼女を侮辱し、いためつけ、こうしてむりやり自分のことを記憶にとどめさせたかったが、それをする時間の余裕もなく、またうまい方法も浮かばないのが残念だった。彼女はとても美しく見えたので、私は引き返して肩をそびやかしながらこう叫んでやりたかった、「なんて醜い、グロテスクな女だろう。きみを見るとぞっとするよ!」しかし私はその場から遠ざかった。赤褐色の髪の毛をしてバラ色のそばかすが皮膚に点々とついていた少女。シャベルを手に持ち、陰険で無表情な視線をずっと私の上に走らせながら笑っていた少女の面影を、背くことのできない自然の法則の名において、私のような子供には近づけない幸福の最初の典型として、永久に胸にたたんで持ち去りながら。
C:高遠弘美
私はジルベルトに恋していた。彼女を侮辱し、痛めつけ、むりやり私のことを記憶に刻みつけさせる余裕も、それにそもそもその発想もなかったことが残念でならなかった。ジルベルトはなんてきれいなんだ。そう感じていただけに、すぐに取って返し、肩をすくめて大きな声で、どれだけ叫びたいと思ったことだろうか。「なんてあなたは不細工なんでしょうね。笑ってしまいますよ。まったく厭になるほどです!」。しかし、実際は私はその場所から離れて行った。犯しがたい自然界の掟によって私ごとき子どもには近づくことが許されぬ幸福の最初の現れとして、薔薇色の雀斑をあちこちにこしらえた赤みがかったブロンドの少女、スコップをもち、笑いながら、陰険で何を訴えているかわからない眼差しを長い間私に注いでいた少女の面影を永遠に胸にしまいながら。
D:吉川一義
私はジルベルトを愛しており、相手を侮辱し、辛い想いをさせ、無理やり私のことを覚えているように仕向ける暇も発想もなかったことが悔やまれた。なんてきれいな娘だと思ったからこそ、できることなら引き返して肩をそびやかし、「なんて不細工で、滑稽な女だ。お前にはぞっとする」と叫んでやりたい気持ちだった。こうして遠ざかりながら私が永遠に心に刻みつけたのは、背けない自然の掟から私のような子供には近づけない幸福の原型として、赤毛で、バラ色のそばかすの肌をした少女が、スコップを手に笑いながら、陰険な表情のないまなざしで私をじっと見つめているイメージである。
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