楽しく遍路

四国遍路のアルバム

H24 秋遍路⑥ 歯長峠 法花津峠 明石寺

2013-04-17 | 四国遍路

     新しいアルバムの目次へ    古いアルバムの目次へ    神々を訪ねて目次へ

11日18日 第6日目 晴




今日は41番龍光寺、42番仏木寺、歯長峠から、高森山を経て、法花津峠へ歩き、43番明石寺へ降りてゆきます。
天気はいいし、法花津峠でゆっくり出来たら最高です。 



龍光寺への道標

左の道標は、「へんろ」の文字が読み取れますが、他は(私には)、読みとれません。割れたのを補修したようです。
右は、かなり新しい道標です。古い道標は、「龍光寺」ではなく、「いなり」と標示されているはずです。「稲荷」が龍光寺の通称でした。


鳥居

鳥居が立っています。もっと進めば狛犬さんもいます。ですが、むろん寺です。
稲荷山龍光寺には「龍の目」が奉納されているそうです。稲→水→龍、の繋がりが思い浮かびます。三間は吉田藩の穀倉地でした。→稲の生育には水が必要で、→龍は、竜吐水(昔の放水機)と言うように、水を吐きだしてくれます。


お稲荷さんの赤鳥居

江戸時代、「伊勢屋 稲荷に 犬の糞」とか言われ、稲荷社は数が多いものの例えにされていました。それくらい稲荷信仰は庶民に浸透していたのでした。都市部では商工業の、漁村では漁業の、そして農村では、その名の通り、稲の守り神です。「稲荷」は「稲成り」から来ているとの説もあります。
神仏分離で、稲荷信仰は、基本的には、神社信仰の中に残りましたが、ここ龍光寺は、今なお、神仏習合の状態を色濃く残しています。なお、豊川稲荷も寺です。


コスモス畑と歯長峠

コスモスにさそわれて、地図も見ないで歩きました。いつの間にか、歯長峠が遠くになっていました。ポコンと飛び出たところから左に落ちた所が歯長峠です。
この尾根筋は、宇和町(西予市)と三間町(宇和島市)を隔てています。


中山池

三間(みま)は、一説には、水沼(みぬま)と呼ばれていました。多くの溜め池があります。言うまでもなく灌漑用水を確保するためです。中山池は中でも最大規模のものだと言います。


仏木寺仁王門

中山池から仏木寺への道が、新しい道が出来ており、わからなくなりました。
幸い散歩の人が、一緒に歩いてくれました。遅れないよう懸命に歩いていると、さすが速いですね、と言ってくれました。思わず出た応えは、「えっ、ホントですか」でした。ちょっとうれしかったのでした。


前の仁王門

天恢さんのコメントにある、先代仁王門です。私が訪ねたこの日は、あいにくの雨でした。


仏木寺

仏木寺は牛馬安全の守り神でもありました。御本尊が大日如来なので、「牛の大日さま」と呼ばれたそうです。龍光寺と並んで、農民たちの信仰を集めていたのでしょう。牛馬は農民にとって「財産」というより、「家族」でした。


歯長峠へ

前々回、正木の「花とり踊り」について書きました。
・・・昔、花賀という凶賊がいました。村人は困り果て、一計を案じました。村人は楽しげに踊りを踊り、花賀をおびき出して殺しました。ところが以来、村には疫病など、悪いことが次々と起こるようになりました。これは花賀の祟りに違いないと、村人は踊りを踊り、花賀の霊を慰めました。 これが「花賀おどり」の始まりで、やがて転じて、「花とり踊り」と呼ぶようになった、と言います・・・。


歯長峠へ

三間町にも「花とり踊り」があります。こちらは「花賀」(はなが)ではなく、「歯長城主」(はなが・じょうしゅ)への供養舞です。
土佐の長宗我部元親が歯長城を攻めたとき、毎夜、土佐勢に踊りを踊らせたのだそうです。踊りで歯長城主を誘き出し、捕らえ、討ち取りました。 花とり踊りは、非業の死を遂げた歯長城主の霊を弔う踊り、だそうです。


歯長峠へ

歯長城主は捕らえられ、鼻を削がれました。それで初めは、「鼻取り踊り」だったのだそうです。それがいつしか、「花とり踊り」に変わりました、とか。
同根の話が、地域により、いろいろに脚色され、伝わっています。増田の「花とり踊り」は、イノシシに殺された兄弟の供養舞でした。
なお、「歯長」という少々妙な名前は、築城主・足利又太郎忠綱が豪の者で、歯の長さが一寸もあって、「歯長又太郎」と呼ばれたことから来ている、とか。この人物については、後述します。


歯長峠へ

鉄塔が目印です。峠に立っています。


歯長峠

鉄塔の足が見えます。峠に着いたのです。ここは、吉田町(宇和島市)、三間町(宇和島市)、宇和町(西予市)の境界です。標高420㍍。


歯長峠の砦跡

峠に、歯長城の砦がありました。歯長城は、峠の東側、620㍍ほどの高さにあります。 
写真は、卯之町の宇和民具館でいただいた、「宇和の古城跡」(宇和郷土保存会編)からの転載です。


「宇和の古城跡」

おかげさまで、一段と楽しい遍路となりました。ありがとうございました。
写真の山は松葉城趾です。明朝、登る予定です。


歯長峠

お堂は、「送迎庵見送大師」だそうです。かつては仏木寺奥之院のの木札が掛かっていたそうです。


道標

へんろ道標がありました。


高森山へ

峠を下らず、西へ尾根筋をたどって歩きます。道ははっきりしています。


ドコモ電波塔

「携帯電話」が便利とは知っていましたが、どこか、その「発想」に馴染めないところがあり、携帯を買っていませんでした。しばらくは、土地の人に公衆電話の場所を尋ね、やりくりしておりました。
ところが、尋ねた方の多くが、ご自分の携帯を使わせてくださいます。尋ねることに、躊躇を感じ始めました。結果的に「お接待ねだり」になってしまうからです。やむなく買いました。今は、持っています。


ハイキング

山歩きのグループがいました。かなり大きなグループで、男性も少なからずいます。
讃岐国分寺近くの人たちでした。バスでやって来て、山歩きの間に、バスは降り口に回送されている仕組みだそうでした。
皆さん、遍路を近しく感じておられる方々で、ごく自然と、一緒に歩き始めました。話がはずみました。


高森山

前方に高森山が見えてきました。道に迷う心配はありません。高い方へ高い方へと歩けばいいのです。


道標

道は幾筋もあるようです。どれを歩いてもいいようです。


ハイキング気分

道選びは、すっかりお任せしました。私はついて行くだけです。


法華津湾

高森山から見える法華津湾です。


高森山山頂

「お遍路さーん、お地蔵さまがいらっしゃるよー、お参りしましょー」、グループの人たちが呼んでくれました。
高森城の跡と思われる段差があり、その上が山頂、634㍍です。


法華津峠へ

グループの人たちは食事などを始めました。私は法華津峠へ急ぎました。
法華津峠を今回の遍路に組み込んだのは、美しい景色を見たいのはむろんですが、それ以上に、峠の碑に出会いたい思いがありました。
西村清雄(すがお)さんの「山路こえて」の碑を見に行くことは、私にとっては、遍路道から逸れた観光オプションではなく、遍路そのものでした。


法華津峠

法華津峠(ほけつ)、標高420㍍。国土地理院の地図では「法花津峠」となっていて、「ほけづ」とフリガナがあります。 
峠には、宇和島藩法華津番所が在ったと言います。
法華津峠は、今では、車で越えることができるます。急ぐ分にはトンネルを抜けることも出来ます。しかし、かつては、名だたる難所だったと言います。


法華津峠の仏像構造線

厳しい地形がお分かりと思います。私は今、露出した断層の上にいるわけです。

明治36(1903)、キリスト者・西村清雄さんは伝道の帰途、法花津峠で夜を迎えました。当時は歩いて越えねばなりませんでした。まだ鉄道は開通していない頃です。
寂しさや不安を乗り越えようとしたのでしょうか、西村さんは賛美歌「ゴールデン・ヒル」の曲に合わせて、作詞を始めたといいます。作詞しては、歌い、夜を過ごしたそうです。賛美歌404番 「山路こえて」です。


「山路こえて」の碑

法華津峠にその碑が建ちました。
いかにもキリスト者らしい表現ですが、私は通じてくるものを感じ、悦びをおぼえました。来てよかった。
  山路こえて ひとり行けど 主の手にすがれる 身は安けし
  松の嵐、谷の流れ みつかいの歌も かくやありなん
  峰の雪と 心きよく 雲なきみ空と 胸は澄みぬ
  道険しく 行く手遠し 志す方に いつか着くらん
  されども主よ われ祈らじ 旅路の終わりの 近かれとは
  日も暮れなば 石のまくら かりねの夢にも み国しのばん


法華津湾

身がふるえる悦びを感じた後、すぐにも弁当を食べ始め、お日様と景色を独り占めにする。私がお気楽な「楽しく遍路」たる所以でしょうか。


歯長寺(しちょうじ)

立野に下りてきました。江良(えら)に歯長寺があります。’はなが・じ’ではありません。
由緒書きによると、孝謙天皇の勅願により、天平勝宝2(750)、創立された、とあります。・・・往昔、法華津山脈歯長の山稜にあり、藤原秀郷(秀郷は俵藤太と呼ばれ、ムカデ退治伝説があります)九世の孫、足利又太郎忠綱(「花とり踊り」伝説に登場する歯長又太郎です)、この山中に隠棲し、深く当山に帰依し・・・、ということです。


歯長寺

歯長又太郎の墓が、歯長寺にあります。
山中からこの地に遷ったのは、(前述しましたが)、長宗我部元親の「侵略」を受けた結果です。


宇和川(肘川)

川を渡り、明石寺への登りにかかります。


明石寺奥の院白王権現

かつて神は、「そこに鎮座している」ものではなく、何処かから「降りてくる」ものでした。
大きな神殿が造られるようになり、そこに「鎮座している」と考えるようになりました。


明石寺

「あげいしさん」の愛称で、地元の方から親しまれています。さすがに、いい樹が植わっています。


明石寺

本堂は改築中でした。明石寺は、明日、もう一度お参りします。


卯之町へ

卯之町へ行くには、峠を越えなければなりません。


開明学校

前述した「宇和民具館」の側に、開明学校と光教寺があります。これらについては、次回、触れます。


亥の子歌

入浴後、食堂に行ったら、亥の子歌の冊子が届いていました。さきほど立ち寄った宇和民具館の方が、届けてくれたのです。各地の亥の子歌を、機会あれば集めていると、お話ししたのでした。「宇和の古城跡」と合わせて、再度、お礼を申し上げます。

亥の子歌とは、例えば (宇和): 祝いましょう 祝いましょう お亥の子さまを祝いましょう 一に俵ふんまえて 二でにっこり笑うて 三で酒作って 四つ世の中良いように 五ついつもの如くに 六つ無病息災に 七つ何事ないように 八つ屋敷を広めて 九つ小倉を建てならべ 十でとって治めた ウェーイ ウェーイ

亥の子歌、また例えば (内子): お亥の子さんという人は 1に俵を踏んまえて 2にニッコリ笑ろうて 3に酒をつくって 4つ世の中よいように 5つ いつものごとくなり 6つ 無病息災に 7つ何ごとないように 8つ屋敷を広げ建て 9つ小蔵を並べ立て 10で とうとう納まった (ものをもらったら) この屋敷は よい屋敷 前が広ろうて 中 くぼて 大判小判 つづれこむ 繁盛せー 繁盛せー もひとつおまけに 繁盛せー 

よい1日でした。 
明日は、坪ケ谷新四国霊場の一部をたどり、御篠山の篠山神社に参拝、松葉城-鳥坂峠-大洲へ歩きます。
坪ケ谷新四国霊場については、今度は、宇和先哲記念館でお世話になります。
次回更新予定は、5月9日です。

     新しいアルバムの目次へ    古いアルバムの目次へ    神々を訪ねて目次へ

コメント (10)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« H24秋遍路 祓川温泉 篠山神社... | トップ | H24 秋遍路⑦ 明石寺の御篠山 ... »

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (やすし)
2013-04-17 22:24:32
歯長トンネル入口にも高森山への登山道入口の標識がありました。四国の道ですから標識などもしっかりしているのですね。天気が良くて足に問題が無ければ高森山~法華津峠の道も良さそうですね。次回の楽しみにしておきます。
この先の日記を楽しみにしています。
返信する
Unknown (楽しく遍路)
2013-04-18 06:55:11
やすしさん こんにちは
やすしさんが通過された日は、大雨でしたね。境内に雨水がたっぷり溜まった写真、印象的でした。あれでは法華津峠の景色は、臨むべくもありません。
今後もよろしくお願いします。
返信する
Unknown (枯雑草)
2013-04-18 07:37:59
こんにちは。
遍路道周辺の風土と歴史を訪ねて・・楽しく遍路さんの真骨頂ですね。
法華津峠の道、実は私も次回があれば通りたいと思っていた道です。西村清雄の歌碑にも心惹かれますが、私は昔から多くの人が辿った旧宇和島街道を歩きたいと・・
さて、次回は松葉城跡、笠置峠・・も訪ねられるのでしょうか。楽しみです
返信する
Unknown (楽しく遍路)
2013-04-18 10:24:36
枯雑草さん ありがとうございます。
相変わらずへんろ道をクチバシでつつきながら歩いています。枯雑草さんの文を読むたびに、もう少し落ちついて歩けないものかと反省するのですが、まだしばらくは時間が必要のようです。
残念ながら松葉城跡から、(笠置峠へは向かわず)、鳥坂峠に向かいましたが、途中、八幡浜を示す道標に何回か出会いました。笠置峠-八幡浜-出石寺-大洲、歩きたい道です。
返信する
Unknown (天恢)
2013-04-18 23:08:32
H24 秋遍路 ⑥ 楽しく読ませていただいております。
紅葉が美しい、晩秋の四国遍路。 天候次第では厳しい修業なることを覚悟してこそ、この喜びが得られるのですね。
今回のブログで一番感動したのが、西村清雄さん作詞の賛美歌404番 「山路こえて」です。 さっそくYouTubeで、この賛美歌を初めて聴きました。 天恢は泣けて、泣けて涙が止まりませんでした。 こんなすばらしい賛美歌があったんですね! キム・ヨンイルさんによる哀愁漂う響きで奏でるサクソフォンも、コーラスにもすっかり魅了されて、何度も、何度も聞き入り、暗唱できました。
 キリスト教の賛美歌ですが、「楽しく遍路」さんが「通じてくるものを感じ、悦びをおぼえました。」とあるのは当然のことでしょう。 遍路の基本は同行二人ですから 主⇒大師、 みつかい⇒巡礼、 み国⇒天国と置き換えれば、もうこれは立派な「遍路賛歌」です。 法花津峠は、お遍路さんが通る道、私もいつかこの道を賛美歌404番の替え歌を歌いながら歩ければと願っています。
二番目の感動は、「亥の子歌」です。 民俗学者の宮本常一さんの著書「民間暦」に「亥の子行事」として収録されていますが、昔の子どもの行事が、今ではすっかり忘れられていることは寂しい限りです。
 子ども達が藁で作った棒状のもので土を叩きながら家々を訪れて、この歌を唱ったそうです。 地方によっては「ウェーイ ウェーイ」が「繁昌せえ繁昌せえ」と唱い、みかんや餅を貰ったそうです。 モノをくれないときは「貧乏せえ貧乏せえ」と唱ったそうで、子どもでも結構厳しい表現ですね。
返信する
Unknown (楽しく遍路)
2013-04-19 07:29:40
天恢さん ありがとうございます。いつでしたか、キリスト教の牧師さんだったか神父さんだったかに、お会いしたことがあります。彼は遍路姿の私に、同じ宗教者としての親近感を示してくれました。私が「宗教者」?という部分は、ちょっと目をつぶっていただきますが、言いたいことは、彼が考える宗教の、幅の広さに感心させられた、ということです。賛美歌を聴いて泣けてくる天恢さんは、素敵ですね。
お亥の子さんは男の子の行事ですが、最近は、人手不足で、女の子の参加も認めることが多いようです。しかし、それでも残っていればいい方で・・・。
私が採録した、内子地方の「亥の子歌」、デジカメの動画に音声のみを載せたものですが、(慣れないので時間がかかるかもしれませんが)アップロード(の努力を)してみます。音声のみですが、お楽しみください。女声が入っています。
返信する
Unknown (天恢)
2013-04-21 10:14:23
> 今回のブログを再読していて、仏木寺の山門の写真を見てびっくり、一瞬写真の取り違えと思ったほどでした。 初めてこの門を見たのは2008年で、宇和島藩、吉田藩の2藩主の祈願所だった往時の姿を留め、堂々たる威容を見せる仁王門でした。 2度目は2010年5月28日で、その秋の10月11日から工事に入り、翌年、奇しくも5月28日に落慶式が執り行われたそうです。 
この古い門には、思い出と思い入りがあります。 神々しい霊気が垂れこめている門の意である「瑞気朶門(ずいきだもん)」の横額がかかった立派な二層の仁王門。 もはや神々しさを失くした新門には、さすがにこの横額はありません。
それと、いつも門前のアイスクリンを売る名物おじさんで、最初はタクシーを呼んでもらったり、二度目はアイスを食べながら世間話をしました。 「歩き遍路さんは買ってくれない」と嘆いていましたが、この春も、お元気に「アイスクリン」を販売されているのでしょうか? 
人も造形物も、やがては消え去る運命にあるのですが・・・。 大きな大震災の後ですから、文化財の修復や保存のようにはならず、新しく建て替えるしかなかったのですね。 
返信する
Unknown (楽しく遍路)
2013-04-21 21:11:00
天恢さん ありがとうございます。
どんなに古いものも、かつては新しかったのですが、古いものの中に新しいものがあると、目立ちますよね。加えて、天恢さんには何かしら特別の思いがあるようです。
それにしても、よけいな心配ですが、費用はどれくらいかかったのでしょう?
クーラーが効いた車中の人より炎天下の歩きの人の方が、と思いがちですが、違うのですね。歩きの人は先を急ぐから?
亥の子歌の動画、すみません、このブログではアップロードできないようです。
返信する
Unknown (天恢)
2013-04-23 11:29:30
「楽しく遍路」さんから、「よけいな心配ですが、費用はどれくらいかかったのでしょう?」と、ありましたが、調べてみましたら、やはり世の中には金額を気にする同輩の方も多いようです。
 仁王門改修にあたっては、「仏木寺山門改修事業 ご寄進のお願い」の看板が出され、寄付を募っていました。 それによりますと、総工費は1億4千万円とあります。
新門は、ほとんど新品を使っているように見えます。 旧材を補修するより新材に置き換える方安上がりですから、工事は「改修」ではなくて「建替え」ですよね。 木造建築の場合、総欅とか、総檜とかの材質で大きく変動するようです。 それに、木造建築は年々くすんできますので、いつの日か「瑞気朶門(ずいきだもん)」の横額が再び掲げられることを期待したいものです。
返信する
Unknown (楽しく遍路)
2013-04-23 17:46:03
天恢さん ありがとうございました。
ずいぶんとかかるんですね。とはいえ、残念ながら実感は出来ませんが。
返信する

コメントを投稿