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不良家

駄文好む 無教養 くすぶり 時々漂流

Chao Mario

2007-03-07 13:52:55 | 
元気にしてますか。相変わらずヴェネツィアの潮位は心配でしょう。
いつか運河を行く水上バスでマリオが自分の生家を指差してくれましたね。モダンアートの聖地ヴェネツィア・ビエンナーレの会場に近いところで、あそこはサンマルコ広場よりも低地なので、ヴェネツィアっ子としてはよけい水位が気になるでしょう。

もっともマリオは対岸の町メストレに買ったアパート住まい。静かで間取りがゆったりしていいアパートですが、夕食をとった近くの中華料理店のまずさはひどく、メストレの印象はどうもこの点に集約されます。
マリオのヨーロッパ人の品格を疑うつもりはありません。しかし、あの中華料理を「うまいでしょ」という味感覚だけは全否定します。ニホンの美食にはさんざん馴れているというのに。

ニホンは間もなく花見のシーズンになります。新宿御苑の花見に一緒して何年になるでしょう。あの時はヴェネツィアの地方紙の記者が同行して、花を愛でるニホン文化に素直に感動してましたね。
わたしたちが狂喜したのは、マリオがカンツオーネやナポリ民謡を数曲歌ってくれたことでした。夢幻LIVEでした。
マリオはもともとミュージシャンです。サックス奏者でキーボードも演奏しますし、歌手としても通用する声帯の持ち主です。新宿御苑の♪オーソーレミーヨは圧巻でした。
車座になったわたしたちが聞き惚れ、周辺の花見客にも圧倒的な拍手とともに感動していました。「サクラ咲く日伊同盟」でした。

すこし愚痴を述べます。この曲をカタカナ・イタリア語でそらんじているという男がいて、「どうも彼の発音はおかしい」とぐだぐだいいます。ネーティブのイタリア人の発音のどーこがおかしい?わたしは激怒して、張り倒してやろうかと思ったくらいです。

新宿ゴールデン街のチンケな酔客のひとりです。自分はある一定の知的レベルにいると錯覚しているばかどもです。思い込みだけが激しい、ケチなお利口さん気取り。
よそで飲むと相手にされないので、ゴールデン街にへばりついておだを上げている。昨今のゴールデン街には「冷蔵庫で腐乱したやわなプリン群」がはびこっている、そんな気がします。

時代が変わって客層も年代層も変わりました。当然です。しかし全盛期の飲んべえ群像はどうだったかというと、スマートでタフでみんな不良でした。
やさしくなければ男ではない。この原則をしっかと守る過激な不良群でした
<酔生夢死>の心意気がありました。<狂気の美学>このバランス感覚を競い合う・・・飲んべえとしてのココロザシは、それだけは一流だったのです。

マリオも立派な不良でしたね。青年時にはタイ・バンコクでバンドマン放浪。内緒にしているけど、一度タイ娘と結婚したのは知ってます。泥酔して告白したのはトリエステに小旅行したときでした。タイ語でした。

お互いに少しタイ語を話せるので、よくタイ語で会話しましたね。マリオの嫁さんはニホン人です。嫁さんに知られていることでも話にくかったのでしょう。
それでなくてもよくふたりで怪しいタイ語で内緒話をしましたね。「あのイギリス女のケツは巨大だ。うんこはキロ単位」「まさに便器付きのケツだ」「トイレだってつぶれる」「野外でやってもらいたいね」「地球がへこむ」

トリエステは旧ユーゴのスロベニア国境にある港町で、ローマ遺跡の隠れ名所です。
ショッピング嫌いのわたしが、地元産のグラッパと古代ローマ時代のリメーク食器を買ったくらいアドリア海文化に圧倒されました。ホテルに帰ったらもうその複製品は壊れていました。グラッパで自棄酒。

「わたしの夢だった。やっと買った」車好きとは知ってましたが、まさかと思いました。アメリカ仕様の超高級車アルファロメオを購入したときのマリオの笑顔はまるで少年でしたね。
ミラノからまでぶっ飛ばしたときのことを思い出します。
スピードメーターの数字は240キロを示していました。「ちっとも揺れないね」「じゃぁ、もう少し早く」260キロ。
わたしは「ベニスに死すってことになるのかぁ」とにんまりした記憶があります。

その途上、パーキングエリアでコーヒータイムを取ったときの印象も強烈でした。マリオは車から降りません。聞くとびっくり。
東西ヨーロッパの壁が崩壊してから、西側の治安は一気に悪化しました。なかでも旧東側の人たちの往来が自由になったハイウェイ。これが「線状の危険地帯」となって極悪ヤバイ人たちがうじゃうじゃいるというのです。
そーかと見渡すとみんな目付きが鋭い。

麻薬の売人がいる。車上荒らしはもちろん車強盗、車泥棒がいる。ましてマリオはアルファロメオの新車です。絶好のターゲットです。
「小銭でもいいから出せと脅して、断わると車にキズをつける。だから、わたしはここで見張っているからエスプレッソを買ってきて」・・・珍しく緊張しました。
ヨーロッパ全域のパーキングエリアは現在でも同じだそうです。ハイウェイは治外法権地帯のようです。

マリオとの交流追想はヴェネツィアのゴンドラの数ほどあります。あの歌うゴンドラ漕ぎどもは、ニホンの観光客をカモにしか見ないぼったくりばっかしですが。

いつかミラノの名前が気に入ったホテルに投宿しました。中央駅近くの「ホテル・ミケランジェロ」です。このときにマリオの友人と夕食をともにしましたね。運送会社社長のハゲおっさんです。戦後の飢餓世代というか、わたしと同時代を過ごした彼はいいました。

「食糧不足でね。脱脂粉乳などずい分アメリカから援助されたもんよ」
「そうだったんスか、イタリアも」お互いにみじめな敗戦国少年だったんだ。
映画でいえばあっちは「自転車泥棒」こっちは「鐘の鳴る丘」だった。夢においてけぼりにされそうな時代の、苦くてつらい思いをしみじみ語り合った。
「あんな悲惨な体験は、おれたちの世代でもうやめにしよう。なぁ、マリオ」「シ!」
後続世代のマリオと誓いのワイングラスを飲み干したのも忘れられない、しかし大事な時間共有でした。

マリオ、相変わらず元気でやってますか。ヴェネツィアという名の迷路を小走りにセコセコうごめいていますか。家族思いで、一日に3度は嫁さんに電話してアモーレ・レイコ・・・
でもこの数年はご無沙汰しております。イタリア映画だと、みんなで「チャオ!」といい合ってますが、実際にはごく親しい仲でなければいいませんね。

チャオ マリオ・ボニチェリ 
あなたの好きなニホンはこれから春本番です。春の先導役である花見のシーズンです。どうです?ぶらりと来てよ。赤坂のマンションを息子用に借りる話もあるでしょう。
またナポリ民謡の絶唱を聴かせてよ。うまい銘酒をたんまりごちそうするからさ。それから本格的なチャイナめしも。



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