パソコンと遊ぶ末期高齢者

パソコンはボケ防止の妙薬。パソコンを止めた時がボケの始まり。

蝸牛角上

2012年02月11日 21時16分44秒 | 日記

S10の神谷善吉さんがお亡くなりになった。水墨画がご趣味で、西洋の風景を墨一色で描いた絵は実に見事なもので不思議な魅力があった。筆も話題になるほど達筆であった。以前善吉さんから黒地の紙に金文字で「かぎゅうかくじょう何事か争う」(カタツムリの角の上でいったい何を争っているのか。物事はもっと広い目で見なさい。)と書いたものを頂いた。些細なことでくよくよ悩むようなことがあったら善吉さんの声に耳を傾けよう。ご冥福をお祈りします。


プレジデント・クリーブランド号

2012年02月02日 08時23分31秒 | 日記

やはりあった。行きの船があるのだから、帰りに乗った船もあるはずと、今度は「Ship President Cleveland」で検索してみた。「プレジデント・クリーブランド号」はカリフォルニアとアジアの各地を結ぶ豪華客船(全長約200m)である。行きは旅費が限られていたので一番安く行ける貨客船を選んだ。帰りにこのような豪華客船に乗れたのはアメリカで一旗揚げたからではない。アメリカ50州のうち48州をバスで旅行しているうちに、旅費も使い果たし身体も栄養失調でぼろぼろになっていた時、たまたまシアトルの港で釣りをしていた黒人と知り合いになった。元大リーガーだったというその老人が私をその船に乗せてくれたのである。私は多くの人の好意や支援でこれまで生きてきた。それなのに受けた恩を忘れ、義理を欠いた一生であったように思う。恥ずかしい限りである。


比叡春丸

2012年02月01日 18時23分53秒 | 日記

インターネットで偶然「比叡春丸」の写真を見つけた。私が27歳の時はじめてアメリカ大陸に渡った船だ。実に懐かしい。「比叡春丸」は加州航路(カナダ-日本間の航路)に就いていた貨客船(貨物を運ぶのが主で乗客の定員は6名)で、当時貨物船としては日本で最も速い速度の出る船として知られていた。それでもカナダのバンクーバーまで2週間かかった。夕食が終わるといつも船長が私たち乗客を船長室へ呼んで面白い体験談を聞かせてくれた。夜ベッドに入ると聞こえてくる船腹を打つ波の音、船員がトランペットで吹く「国境の町」、どれもこれも懐かしく思い出される。その後「比叡春丸」は台湾に売却されて1977年解体され、廃船になったという。感無量!