久々に、真面目ネタを。
最近、またクローズアップされて来た『いじめ』問題。
マスコミが連日これだけ報道して、全国民が「いじめはいけない」と思っているであろう我が国でありますが、悲しいかな、いじめは根強く行われているようです。
いじめって、はっきり言って殺人だからね。
いじめるってことは、人殺しだからね。
いじめてる子が死ななくたって、殺人未遂だからね。
だってそうだよ、いじめられて自殺する子がたくさんいるんだから。
死んじゃうまで追い込むんだから、間違いなく人殺しだ。
そういう事件が後を絶たないことを、TVで知ってていじめてるんだから確信犯だ。
絶対に許しちゃいけないし、見て見ぬふりをするのも共犯だからね。
いじめは、いじめられる方も悪いとかいう浅はか極まりないこと言うバカがいる。
違うぜ、絶対に。
どんな理由があろうとも、いじめなくたっていいんだから。
いじめる奴が、絶対に悪い。
だってそうだよ、嫌な奴だから殺しましたって言えるのか?
殺した方が100%悪いに決まってる。
どんな人だって、殺していいわけがないんだから。
俺、今でも忘れられない。
中3の時、クラスの仲間たちから突然シカトされた。
ほんとに突然。
昨日は、いつものように一緒に過ごして、一緒に下校した仲間たちから突然無視された。
いつも一緒にいた10人ぐらいの仲間たちが、1人も俺と口を利かなくなった。
当時は、『いじめ』なんて言葉はなかったから、自分でいじめられてるなんて意識はなかった。
けど、今なら確実にいじめだよね。
突然、俺は1人ぼっちになった。
理由もわからないまま、1人きりになった。
そいつらに、何を言っても無視された。
結局、今でもその理由はわからない。
その『いじめ』は、卒業まで2ヶ月以上続いた。
そのうち、無視だけじゃ物足りなくなったのか、上履きに画鋲とか、机に落書きとか、ベタな嫌がらせが始まった。
毎日が地獄だった。
大好きだった学校に、行きたくなくなった。
でも、俺は意地で休まなかった。
そいつらと、殴り合いの喧嘩をしたこともあった。
1人ぼっちでも、絶対に負けたくなかった。
でも、正直言って苦しかった。
もし、俺がこういう性格じゃなくて、ちょっとでも内向的だったりしたら耐えきれなかったかもしれない。
悲しくて、ツラくて、何もかも嫌になってたから。
俺を救ってくれたのも、クラスメートだった。
それまで、ほとんど話もしなかったような友達が俺を守ってくれた。
いつも俺のそばに寄って来てくれて、寂しさを忘れさせてくれた。
毎日、一緒に下校してくれて、ほんとに仲良くなれた。
その仲間たちとは、今でも付き合いは続いている。
地獄の日々から俺を救ってくれた仲間への感謝を、生涯忘れない。
そんな経験があるから、俺は『いじめ』を他人事だと思えない。
人生の中の、ほんのわずかな期間だったけど、あの時の傷は今でも鮮明に残ってる。
それほどに、いじめられるということは人を追い込むのだ。
人間には、いろんなタイプがあるし、考え方だって違う。
意見が合わない人もいれば、苦手なタイプの人もいる。
それでも、人には口があり言葉がある。
話し合うことができる。
それを放棄して、いじめに走るのはやめろよ。
自分がされて嫌なことは、誰だって嫌なんだからさ。
人が嫌がることはしちゃいけないって、誰でも知ってるはずだから。
もし、いじめられてる人がいたら、そいつらから逃げればいい。
学校に行きたくなかったら、やめちゃえばいい。
ただ1つ、そんなバカどものために死んだりすんなよ。
そんなクソどものために死ぬなんて、そいつらが喜ぶだけだ。
だって、そいつら弱虫だから絶対に自分が悪かったなんて思わないから。
反省なんてできないクズどもだからさ。
そんな奴らのために死ぬなんて、ほんと死に損だから。
生きてやれよ。
その代わり、耐えられなかったら我慢せずに、そこから逃げればいいんだ。
生きるために逃げればいい。
なによりも、生きることが大切なんだ。
そして、そいつらのこと一生忘れてやらなきゃいい。
デュマの『モンテ・クリスト伯』を愛読して、生きる喜びを見つけるんだ。
俺は、そう思う。
最近、またクローズアップされて来た『いじめ』問題。
マスコミが連日これだけ報道して、全国民が「いじめはいけない」と思っているであろう我が国でありますが、悲しいかな、いじめは根強く行われているようです。
いじめって、はっきり言って殺人だからね。
いじめるってことは、人殺しだからね。
いじめてる子が死ななくたって、殺人未遂だからね。
だってそうだよ、いじめられて自殺する子がたくさんいるんだから。
死んじゃうまで追い込むんだから、間違いなく人殺しだ。
そういう事件が後を絶たないことを、TVで知ってていじめてるんだから確信犯だ。
絶対に許しちゃいけないし、見て見ぬふりをするのも共犯だからね。
いじめは、いじめられる方も悪いとかいう浅はか極まりないこと言うバカがいる。
違うぜ、絶対に。
どんな理由があろうとも、いじめなくたっていいんだから。
いじめる奴が、絶対に悪い。
だってそうだよ、嫌な奴だから殺しましたって言えるのか?
殺した方が100%悪いに決まってる。
どんな人だって、殺していいわけがないんだから。
俺、今でも忘れられない。
中3の時、クラスの仲間たちから突然シカトされた。
ほんとに突然。
昨日は、いつものように一緒に過ごして、一緒に下校した仲間たちから突然無視された。
いつも一緒にいた10人ぐらいの仲間たちが、1人も俺と口を利かなくなった。
当時は、『いじめ』なんて言葉はなかったから、自分でいじめられてるなんて意識はなかった。
けど、今なら確実にいじめだよね。
突然、俺は1人ぼっちになった。
理由もわからないまま、1人きりになった。
そいつらに、何を言っても無視された。
結局、今でもその理由はわからない。
その『いじめ』は、卒業まで2ヶ月以上続いた。
そのうち、無視だけじゃ物足りなくなったのか、上履きに画鋲とか、机に落書きとか、ベタな嫌がらせが始まった。
毎日が地獄だった。
大好きだった学校に、行きたくなくなった。
でも、俺は意地で休まなかった。
そいつらと、殴り合いの喧嘩をしたこともあった。
1人ぼっちでも、絶対に負けたくなかった。
でも、正直言って苦しかった。
もし、俺がこういう性格じゃなくて、ちょっとでも内向的だったりしたら耐えきれなかったかもしれない。
悲しくて、ツラくて、何もかも嫌になってたから。
俺を救ってくれたのも、クラスメートだった。
それまで、ほとんど話もしなかったような友達が俺を守ってくれた。
いつも俺のそばに寄って来てくれて、寂しさを忘れさせてくれた。
毎日、一緒に下校してくれて、ほんとに仲良くなれた。
その仲間たちとは、今でも付き合いは続いている。
地獄の日々から俺を救ってくれた仲間への感謝を、生涯忘れない。
そんな経験があるから、俺は『いじめ』を他人事だと思えない。
人生の中の、ほんのわずかな期間だったけど、あの時の傷は今でも鮮明に残ってる。
それほどに、いじめられるということは人を追い込むのだ。
人間には、いろんなタイプがあるし、考え方だって違う。
意見が合わない人もいれば、苦手なタイプの人もいる。
それでも、人には口があり言葉がある。
話し合うことができる。
それを放棄して、いじめに走るのはやめろよ。
自分がされて嫌なことは、誰だって嫌なんだからさ。
人が嫌がることはしちゃいけないって、誰でも知ってるはずだから。
もし、いじめられてる人がいたら、そいつらから逃げればいい。
学校に行きたくなかったら、やめちゃえばいい。
ただ1つ、そんなバカどものために死んだりすんなよ。
そんなクソどものために死ぬなんて、そいつらが喜ぶだけだ。
だって、そいつら弱虫だから絶対に自分が悪かったなんて思わないから。
反省なんてできないクズどもだからさ。
そんな奴らのために死ぬなんて、ほんと死に損だから。
生きてやれよ。
その代わり、耐えられなかったら我慢せずに、そこから逃げればいいんだ。
生きるために逃げればいい。
なによりも、生きることが大切なんだ。
そして、そいつらのこと一生忘れてやらなきゃいい。
デュマの『モンテ・クリスト伯』を愛読して、生きる喜びを見つけるんだ。
俺は、そう思う。