<決意>

2008年04月30日 | 人生
・この世に存在するものは、ことごとく無常の法則に支配され、変化していく。
 人の心も変わる。情況も変わる。生きものも事物も何もかも変化していく。
 必ず変わっていくのだから、どれほど悪い情況も変えていける希望がある。
 その変化の最初の瞬間を決定する<決意>……。

  

強力なピィティ(喜)が

2008年04月29日 | 人生
・歳月が流れた。
 不可思議な展開でダンマに縁がつくことになり、因果論を徹底的に理解させられていった。
 来し方と行く末を想い、震えあがった。
 もうこんなドブ泥の生活はゴメンだ、とヤクザな人間関係をことごとく断ち切る決意をした。
 ダンマを拠りどころとし、孤独に耐え、独り犀の角のように歩んでいった。
 ある朝、目覚めた床の中で、これからの生涯、五戒を完璧に守り抜いて生きていこうと揺るぎない「信」が定まった瞬間、強力なピィティ(喜)が体を貫いたという……。
 

絶対にグレてやる

2008年04月28日 | 人生
・些細なことに腹を立てたことから、絶対にグレてやると心に決め、札付きのワルになっていった者がいる。
 知的な環境、経済的バックグラウンド、当人の学力、良識ある親……何も問題はなかったのに、愚かな決意が、次々と新たな人間関係とそれにふさわしい環境を作り出していった。
 手負いの獣が牙をむくような波動を誰にでも放ち、顔まで別人のように変わっていった……。
 

怒りをコントロールできる

2008年04月26日 | 修行
・この人に対して、今は怒らない、と決めれば、怒りをコントロールできるものだ。
 怒りが出るということは、心のどこかで怒りを容認しているからだと考える。
 怒るのも怒らないのも、自分の心が決めている……。


無限の静けさ

2008年04月25日 | 修行
・喜怒哀楽に振動する波が鎮まっていく。
 「見た」「聞いた」「感じた」……と知覚する瞬間の、微かな振動も静まっていく。
 心の働きが寂滅する無限の静けさ……。 



必然の出来事として

2008年04月24日 | 人生
・必ずやってくる愛する人たちとの別れに、こみ上がってくる切なさ、悲しさ……。
 必然の出来事として受け容れていくときに、心に拡がっていく静けさ……。

 

無明を破るために

2008年04月23日 | 瞑想
・今の瞬間に、気づく。
 「私の心と体」の現状をありのままに承認し、自覚する。
 正しく知るがゆえに、苦の原因を抹消していく。
 ……無明を破るために周到に設計された瞑想。

 

ウペッカの心で

2008年04月21日 | 修行
・成功すれば喜び、失敗すれば落ち込むのだろうか。
 事が成就するのもしないのも、エゴの立場に立った判断に過ぎないではないか。
 得意の絶頂から転落するのも、失意のどん底から立ち上がっていくのも、よい経験だ。
 何が起きても良いし、起きなくても良いではないか。
 ウペッカの心で、現象世界の諸々の出来事を達観する……。


相殺されていく

2008年04月20日 | 修行
・努力する。精進する。
 素直に、希望に満ちた、プラス志向のエネルギーを放つ。 
 迷い、ためらい、疑い、失望し、否定的エネルギーも、放つ……。
 望みながら、否定する。
 反対のエネルギーがぶつかり合って、相殺されていく……。

   

必ず花開き、実を結ぶ

2008年04月19日 | 修行
・成就することもあれば、成就しないこともある。
 事の成否は、過去世から集積されてきた諸々の因果のエネルギーによる。
 たとえ今世では成就しなくても、諦めることなく、精一杯、努力していけば、いつの日か必ず花開き、実を結ぶ……。

「転倒想」

2008年04月18日 | 瞑想
・思考が働けば、その思考が邪魔をして、対象がありのままには見えなくなる。
 思考内容の影響を受けて、汚れたものが美麗に見える。
 卑しい人が、偉大な人間に誤解される。
 本当は苦しいのに、楽しい、美味しい、素晴らしい、と強引に思い込む。
 不浄なものと聖なるものとが混同され、ブツブツに切れたものが連続したものに錯覚される。
 妄想でまとめあげられた世界が真実の世界と取り違えられるので、「転倒想」という。 

心の汚染が見えてくる

2008年04月17日 | 瞑想
・悲観的な情報受容、否定的な想い、ネガティブな感情、ダメ出しの発想パターン……。
 心が静かになれば、潜在意識や反応系の心の汚染が見えてくる。

 

思考の真の価値を輝かせるために

2008年04月16日 | サティ
・思考の価値を否定しているのではない。
 概念を形成する能力も、概念と概念をつなぎ合わせていく思考も、想像力も、人類の輝かしい知性を形作るものだ。
 しかし、同じ力が、妄想する能力と、妄想から生まれる煩悩と、煩悩から生まれるドゥッカ(苦)の元凶となった。
 思考の真の価値を輝かせるために、思考を除外するサティの瞑想を訓練するのだと心得る。