サマーディが完璧に続くことはない 2007年03月31日 | 瞑想 ・空っぽになり、無限なる至高概念との完璧な融合状態を深々と味わえば、悟ったと錯覚するのも無理からぬことだ。 だが、物質も無常、心も無常、終わりのないサマーディが完璧に、永遠に続くことなどあり得ないではないか。 日常モードに意識が転換すれば、微かであっても貪・瞋・痴の凡夫反応が再び起動する……。
サマーディの永久保存? 2007年03月30日 | 瞑想 ・悪臭のする心を何とかしようと、瞑想修行の道に足を踏み入れたわけである。 元の木阿弥はたまらない。サマーディの力業で垣間見た一点の曇りもないピカピカの心を、どうしたら永久保存できるのだろう……。 煩悩を刺戟する人里を離れ、嫌な人間関係をことごとく避け、不快要素を徹底的に排除して、心乱れることのない、静かな瞑想空間を確保しなければならない……。
<洞察の智慧なきサマーディ> 2007年03月29日 | サマタ瞑想との違い ・瞑想対象への集中が極まると、対象と合一し、対象になり切って固まってしまうのが、サマーディの特徴である。 固まっている間は、一時的に「心も変容」していると言ってよいだろう。 サマーディに終わりが来れば、すべてが入定以前の状態にリセットされる……。 <洞察の智慧なきサマーディ>の一時停止効果……。
ヴィパッサナー瞑想のサマーディ 2007年03月28日 | サマタ瞑想との違い ・裸眼で眺めるよりも、ピントの合った眼鏡をかけたほうが、対象の細部までクリアーに見えるだろう。 集中が高まり、六門の知覚が鋭くなればなるほど、対象認識も本質洞察の仕事も有利になる。 これが、ヴィパッサナー瞑想のサマーディの役割である。 肝心なのは、この世の真実の姿をありのままに見た時に起きる<心の変容>なのである。
サティが機能するかぎり 2007年03月27日 | サマタ瞑想との違い ・快楽のたこ壷にハマったようなサマーディ感覚は、サマタ瞑想に特有のものである。 ヴィパッサナー瞑想のサマーディには必ず連動してサティが働くので、一瞬にして現実感覚に引き戻されてしまうだろう。 「今この瞬間の事実に気づく」というサティが機能するかぎり、心が仮作した概念世界に没入することができない清潔さ……。
サマーディという名の快楽 2007年03月26日 | サマタ瞑想との違い ・ひとたびサマーディの変性意識状態を体験すると、多くの人が圧倒され、ヴィパッサナーの瞑想理論も心の清浄道も吹き飛んでしまう。 目くるめく官能の世界に溺れ込むように、サマーディという名の快楽に魅了されていく……。
集中力だけでは足りない 2007年03月25日 | サマタ瞑想との違い ・定力が伴っていてもいなくても、正しくサティの瞑想が行なわれれば、自己理解が深まり、心が変わっていく可能性がある。 たとえサマーディに自在に入定できる状態になっても、完成した集中力だけでは、心を根底から変える智慧の発現は難しい……。
サマタ瞑想との違い 2007年03月24日 | サマタ瞑想との違い ・身体各部のセンセーション(実感)は、手応えのハッキリした実質感ゆえに集中の対象に適している。 しかし、身体実感に集中すればするほど、気づきの要素や観察の要素を連動して働かせるのが難しくなる。 サマーディという単一のファクターのみに限りなくのめり込めるサマタ瞑想。 同時並行に複数の構成因子を育てなければならないヴィパッサナー瞑想。
気づく心がなければ 2007年03月23日 | サマタ瞑想との違い ・「膨らみ・縮み」の感覚や歩行の感覚に集中し、あるいは入息出息の感覚にどれほど集中しても、その一瞬一瞬にサティが入らず、気づく心がなければ、サマタ系の瞑想修行をしているだけに過ぎない……。
「ウロコ」が落ちるまで 2007年03月22日 | 人生 ・たとえどのような体験をしていても、ひとたび認識が確定し結論が出されてしまえば、「それ」になってしまう。いつの日か、眼から「ウロコ」が落ちるまで……。 歩行の動作が停止しても、あわてて結論を出さずに耳を澄ませれば、まだセンセーション(身体実感)の余韻が響いているではないか……。
何事にもタイミングがある 2007年03月21日 | 修行 ・どれほど素晴らしいことを語ろうとも、聞く耳を持たない者に伝わることはない。 相手の閉ざされた心が開かれ、話を聞く準備ができるまで、待たなければならない。 人生の何事にも、潮時やタイミングというものがある。 心に感覚を取る準備ができてから、一足の歩行の動作を開始する……。
CDブック『瞬間の言葉』3 2007年03月19日 | 人生 ・せっかくの土曜の夜に、瞑想の講座に出かけていく妻に対して、若い夫は内心苦々しく思っていた。 『瞬間のことば』のCDを購入した妻は一日中掛けっぱなしにしているので、夫も否応なしに聴かされる破目になっていた。 <春の光がほのかに感じられる季節になってきました。……瞑想会に行ってみましょう>等々。 程なく夫は瞑想に寛大になり、明日の瞑想会には行かないのか、などと言うようになったという。
食事前に慈悲の瞑想 2007年03月18日 | 慈悲の瞑想 ・「前回の講座(朝日カルチャー)で慈悲の瞑想を習ったので、毎日の食卓で「いただきます」の前に慈悲の瞑想をしてから食事をいただくようにしてみました。 慈悲の言葉に毎回意識が向くので、心がちょっときれいになってきたような気がします」 ……良いレポートですね。
CDブック『瞬間のことば』2 2007年03月17日 | 人生 ・妻にもCDのコピーをさりげなく渡したところ、車の運転中などによく聴いているという。 やがて、CDブックの話題がしばしば食卓にのぼるようになった。 <すべてのことに満足している若者がいるでしょうか> <母よ、あなたは今、何にサティを入れていますか?> <娘よ、今、私はサティを入れていませんでした>等々。 ダンマが家族をつなぐ絆となり、楽しい団欒になってきたという……。