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羞恥心と文化と歴史

2012-10-19 23:25:15 | 中国事情

日本人というのは他人の目を非常に気にする民族である。
つまり見栄っ張りである。
格好悪い事が嫌いなのは羞恥心が強いためであり体裁に神経を注いで日々生きている。
ただ羞恥心の概念というのは民族によって異なるものだ。

東南アジアの人々は店に入って値段を訊いただけで
買わずに店を出る事を恥ずかしい事と感じる。
そして人前で鼻を咬む人を見て嗤うが、人前で鼻を穿る事は何でもない。
何が恥ずかしい事かは民族によって異なるのだ。

中国人にとって恥ずかしい事とは身分が低い事であり
儒教の教えに背く事である。
恥ずかしい事の概念が非常に観念的であり
他の民族とは大きくかけ離れているといえるかも知れない。
その代表例が「ニーハオトイレ」であろう。
用を足している姿を他人に見られても羞恥心を感じない、というのは大変特徴的だ。
ある程度文明が発達した社会では
用を足す姿を見られる事は非常に恥ずかしい事である。
その共通の羞恥心がない、というのはただ単に人口が多くて
トイレの数が足りていなかったからだけなのか?
それとも用を足すという事自体が自然現象で
何ら恥じるべき事でもないという合理性からなのか?
いずれにせよこの多くの国での共通の羞恥心を持ち合わせていない、というのが中国人の最大の特徴である。
中国人を知るにはまず初めに中国人にとっての羞恥心とは何か、を知るべきである。
それを知らなければ他のあらゆる事を知っても
中国人を知る事にはならないだろう。

歴史をねつ造、隠ぺいするという事は
どこの国の政府でも行っていることだ。
ただ嘘がバレた時羞恥心を感じるのかどうか、それは中国人に訊いてみなければ分からないだろう。





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