雑談の達人

初対面の人と下らないことで適当に話を合わせるという軽薄な技術―これがコミュニケーション能力とよばれるものらしい―を求めて

不祥事を起こした者の復活で組織の実力がわかる。

2013年01月03日 | その他の雑談
チノパンとかいうフザけたあだ名の女子アナが、交通死亡事故を起こしたらしい。犠牲者の方のご冥福をお祈りいたします。

幸せをつかむ言葉の習慣
千野志麻
メディアファクトリー


さて、この血のパン、いや、チノパンだが、しばらくしてほとぼりが冷めたら、間違いなく復活するだろう。きっと何食わぬ顔をして、グルメレポートでもするのだろう。復帰後にKYの芸人が事故の話だとか、例え関係ない文脈でもドライブの話などを振ったりすれば、逆にテレビ界から干されることになるだろう。

いつも思うのだが、日本の組織は構成員や関係者(元主要構成員含む)が不祥事を起こすと、不祥事を起こした者を復活させることに威信をかけて全身全霊で取り組むようである。他方で「トカゲのしっぽ切り」という言葉もあるが、むしろそうした扱いに対する社会としての嫌悪感がよく表れている。

そして、その組織の実力に応じて、不祥事を起こした関係者の復活度合いが決まる。その際、不祥事の罪の重さは復帰の程度に左程関係ないような気がする。大手芸能事務所の売れっ子タレントであれば、刑事事件で逮捕されようと、ドラッグでマンモスラリっていようと、ほぼ確実に復帰できる。政界でも政権与党なら多少の不祥事は武勇伝ぐらいの扱いで、その後あっさりと要職に復帰している例は枚挙に暇がない。会社や役所でも、巨大で強力な組織であればあるほど、見かけ制裁を受けたようでも、忘れられたころには世間様が気付きにくい目立たないところで美味しいポストに鎮座ましましている(自分でも思うが、よくもまぁこういう表現が自然にでてくるようになったなwww)。

組織としての実力を見せつけるために、「ウチの者」が世間を騒がした時こそが正念場なのだろう。「ウチ」の者がつぶされれば、それは組織の弱さと見なされてしまうのだ。

更に言えば、人間であれば意図しようとしまいと、誰しもが不祥事を起こす可能性があるのは否定できない。組織に必死にしがみつく以外に生きる術のない日本人にとって、不祥事如きで組織から切り捨てられれば、それは死ねと言われるのと同じである。不祥事を起こした仲間を見事に復活させることで、自らが似たような轍を踏んでしまったときの予防措置を講じているのだろう。

さて、件の痴のパン、いや、チノパンであるが、背後の組織の実力を鑑みれば、最近、威信をかけて作った番組の視聴率が悉く低迷しているとは言え、犠牲者と示談に持ち込むぐらい容易いことであろう。傷害事件程度であれば、人の噂の賞味期限である七十五日も過ぎればあっさり完全復活であるが、今回は死亡事件である。思うに一周忌ぐらいが相場感ではないだろうか。

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