一葉一楽

寺社百景

白水阿弥陀堂 ー 浄土の復元

2014-06-17 09:32:00 | 寺院

特別保護建造物指定前、明治三十五年(1902年)阿弥陀堂の写真が「史跡白水阿弥陀堂境域復元整備報告書」(いわき市教育委員会 1994年)に載っている。水田に囲まれた阿弥陀堂は、茅葺の屋根は半分落ち、外陣は吹き抜け状態であった。翌明治三十六年一月八日には暴風により倒壊。直接には経年劣化、天災と言えようが、廃仏毀釈による放置といった人災というのが正解であろう。

                     

(注)1967年9月撮影

白水川が経塚山にあたり、蛇行し湿地を形成した場所に手を加え、浄土庭園にしたのであろう。「願成寺縁起」がいうとおり四神相応の地であり、絶好の境致の選定である。阿弥陀堂は苑池の中島にあり、南面する。白水阿弥陀堂は仏壇下の古材墨書によれば、永暦元年(1160年)建立であるが、南面するのは、やや先行するがほぼ同時期の奥州藤原氏二代基衡の毛越寺、その妻の観自在王院と同じである。三代藤原秀衡の無量光院では東西に中島を設け、その西中島に平等院鳳凰堂を模した阿弥陀堂があった。東面していた。しかしここ白水阿弥陀堂のように、南面し一間四面堂の阿弥陀堂を建立した例はないのではなかろうか。宝形造でなくても、阿弥陀仏を祀らずに、浄土を表現できないが、池もまた必要条件と当時は考えられていたのではなかろうか。

                     

                     

                     

                     

                     

(注)2014年3月撮影

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円成寺 ー 参籠と参拝

2014-06-04 10:37:01 | 寺院

文明四年(1472年)再建の本堂は、焼失前と同規模と云われているが、その庇部に経蔵・米蔵そして参籠所と小部屋を設ける。永正年間(1504-1520年)では、十七日とかなりの長期間の参籠が多かったようだが、その分落書も多かった。再建まもない明応二年(1493年)の落書には、万寿三年(1026年)当山建立、天永三年(1112年)阿弥陀仏安置とあるそうである(「重要文化財円成寺本堂及楼門修理工事報告書」奈良県教育委員会事務局文化財保護課 1961年)。

                 

                    

                                                      楼門

                 

                 

                          本堂

浄土を具現化した空間と、住空間を共存させ、礼拝空間を確保するために、多くは吹き抜けとするのだが、円成寺本堂では舞台を設ける。一棟の仏堂で、藤原道長の法成寺のような空間を構成したかと思わせ,入母屋に庇、孫庇と横に広げ、妻入りにすることで水平性を強調する。

                                   

                                             春日・白山社

                   

                        宇賀神

水平方向はまた東西と南北の二つの方向に分けられる。東西には、街道に沿ってであろうが、春日・白山社が並ぶ。本堂が春日造を模したのでないかと思わせる流れである。命禅開山時の本尊、十一面観音がこの場合ふさわしい。南北には浄土信仰の流れである。本堂の南側には、楼門に遮られるも、苑池、浄土庭園を有する。円成寺の複雑さであろうか。

(注)2014年2月撮影

                

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