お稽古日記

お茶のお稽古に関するおたよりです。

ハイスクール茶会innハウステンボス

2012-05-26 19:59:25 | 可愛いお客様・・・
ハイスクール茶会がハウステンボスで開かれました。午後からでかけなしたが、すでに今日のお菓子も終了とのこと、ようやく「大村高校」のお茶席にたどり着き「薄茶一服」を頂戴してきました・・・

ハイスクール茶会は、地元の若者の文化的活動支援、ハウステンボスを中心とした観光振興などを目的として開催されます。参加校も県内14校の茶道部から150名の予定とか・・・
私たちは「大村高校」裏千家のお茶席にようやくたどりつきました。

    
100万本のバラ祭りも開催されていました・・・

月曜日の稽古

2012-05-21 22:32:23 | 可愛いお客様・・・
月曜日の稽古
「平生棚」を使い・・・平生棚(へいじょうだな)

上から丸、三角、四角と親しみやすい形をしている棚。二段目の三角のところに棗を置くのですが、1段目との間隔が微妙に近いので手がぶつからないよう若干の注意が必要です
薄器は井伊大老好み「橘に水鶏蒔絵・白粉解」

  
主菓子「青梅」、干菓子「ナデシコ・水」
 

聖福寺四季釜・・・裏千家担当

2012-05-20 21:15:43 | 可愛いお客様・・・
聖福寺四季釜「裏千家担当」で執り行われました・・・黄檗宗万寿山 聖福寺

 興福寺、福済寺、崇福寺の「三福寺」と併せて「長崎四福寺」とよばれる黄檗宗の由緒あるお寺。
 聖福寺は延宝5年(1677)、京都宇治の黄檗山万福寺の末寺として開創された。開基は鉄心道胖(1641-1710)である。
 鉄心は唐商陳朴純と長崎の西村氏(松月尼)との間に生まれ、寛文元年(1661)14歳のとき隠元禅師の高弟木庵(もくあん)に師事し、木庵にしたがって宇治の万福寺に上 がって修行。宝永2年(1705)には江戸白金台の瑞聖寺の住職を4年つとめ、再び長崎の聖福寺に帰り住持した。鉄心の後は鉄心の法系の和僧が住職に任じられ、唐僧が住職になることはなかった。後山には墓碑がある。宝永7年10月3日没、70歳
 境内には黄檗建築の特徴が多くみられるが建築様式は和風で、崇福寺や興福寺とは違い、 鉄心が修行していた宇治・万福寺にならい伽藍様式で朱色塗りを極力さけたているため、2つの寺とはまた違った独特の威厳と静寂を放っている。 幕末維新以後、広東の人たちが多く帰依したため、「広東寺」と称した。
 ここ聖福寺は「聖福八景」として多くの文人が詩に詠んでいる。聖福寺は自然の森につつまれ、静かに当時のたたずまいをのこし長崎随一の景観の地である。 大雄宝殿、天王殿,山門などが県の有形文化財に指定されている





木曜日の稽古

2012-05-18 22:42:19 | 可愛いお客様・・・
木曜日の稽古
「平生棚」を使い「・・・初炭手前・後炭手前・続薄茶点前・包袱紗・

茶花「矢芒・姫空木・ホタル袋」「甘茶・箱根空木」

薄器「井伊大老好み・橘に水鶏蒔絵。白粉解」、建水「槍の鞘」
「白粉解」・・・元来は化粧用具の白粉を解く容器を利用したことに始まり、後にその形を取り入れた小型の平棗。中棗と平棗の中間の寸法で、比較的太短い形状。


到来物・・・東京土産「スカイツリー634’ムサシ」