前回までの記事
・神の国、アメリカの正義<1>
・神の国、アメリカの正義<2>
<さまよえる善意>
ここでお断りしておかなくてはならないのは、多くの場合、信者さんひとりひとりは善良な市民だということです。
それは別にキリスト教に限らず、宗教の信者さんというのは、それがたとえ世間一般的に危険視されているような宗教であっても、誠実で、思いやりのある「善意の固まり」のような人である場合が多いのです。
平成7年、オウム真理教による地下鉄サリン事件。
当時のマスコミも世間も、オウム信者=狂っている、というイメージのみを狂ったように抱き続けましたが、実はオウム真理教も一般信者さんは危険とは程遠い、虫も殺さないような「善良そのもの」な人が大半でした。
この事件は、その惨劇と、物質主義から距離をおいた信者さんの生き方と、さらに事件に対するあまりに盲目な社会の反応とに、当時中学生だった僕に様々な衝撃を与えました。
そして、この事件が現代人類の抱える重要な「何か」を浮き彫りにしたものであると感じ、後に高校の自由課題授業のときに「ユートピア」という題の論文にまとめました。
だから僕は、ユートピア=理想郷を求める人々の善意が、いかにして殺人を正当化し、世界を破壊するのかということも、終末思想の行く末がどこまで行っても切り立った崖でしかないことも知っています。
ところで、宗教に入る人、というと「心の弱い人」というイメージがあるかもしれませんが、理解されにくい別の側面として、真面目で真撃な人ほど宗教に入りやすい、というものがあります。
戦争や犯罪が繰り返される社会に悲観し、何故悪が存在するのか?正しい人生とは何か?善きものとは何か?人の生きる道とは何なのか?を真剣に考えた人が、何かのきっかけで宗教と出会い入信します。
「あるべき人の道」について、そんな生きる上で最も大切なことを、先生も親も誰も教えてはくれないばかりか、それを教えるべき大人たち自身が道が解らずに迷っているのです。
そんな大人たちを見て育った迷える子羊たちは、「これこそが人の道である!」と、はっきりと言い切ってくれる宗教の指導者のような人に強く惹かれます。重要なのは、それが「正しいかどうかを別として」なところです。
「信じるべき自分(道)を見失った」人の多くは、自分の人生を預けられる「何か」さえあればそれで良いのです。
ところがほんとは「言い切る」人ほど深い考えを持たず、この世界が物であり心であり、本質的に「あいまい」であることを知らない人なのです。
そして、そんな正しきもの、聖なるものを求めてキリスト教に入信した人たちに対して、キリスト教こそが、自分の忌むべきもの、その源流、張本人であるということをはっきりと申し上げておきたいのです。
人類をあるべき「人の道」から遠ざけておいて、人類全体を「盲目」に「迷い子」に「不幸」にしておいて、「罪悪感」を植え付け、「戦争」を起こし、「終わりに向かう世界」を認識させる。そしてそこに聖なる神の、目もくらむような愛の手を差し伸べる。
この聖書宗教による人類に対する巨大な詐欺の仕組みにはまったく見事!としか言いようがありません。
世の名でカルト宗教と呼ばれているものは、この仕組みのほんの縮小形であり、食べ残し、おこぼれに与っているに過ぎないのです。
僕は身近なクリスチャンの友人や、教会で出会った人たちも、お世辞でなく大好きです。
みんな善意の固まりのような人たちです。
だからこそ、皆さんが惹かれているのはイエス・キリストの教えであってキリスト教会の教えではないこと。間違っているものは間違っている、とお伝えしておきたいのです。
<まとめ~聖書の時代を越えて>
このようにして、唯一絶対の神は、世界を信者と非信者に、敵と味方、善と悪、勝者と敗者とに分け隔てます。
そして、人と人、人と自然とを切り離し、人間を本来の生き方から遠ざけます。
人類が、「自然界そのものが神である」という自然宗教に立ち返ることができれば、目に映る全てのもの(=同じ神の肉体)を奪い合うことの愚かしさを知るはずです。
そして、それはきっと新しく生まれてくる子供たちによって、ごく自然に実行されることでしょう。
では最後に、聖書から人類への隠されたメッセージをご紹介しましょう。
聖書冒頭にて語られる、人類の楽園からの追放のエピソード。
これは実は、同時に楽園への帰り道を示しています。
人類は神に逆らって「善悪を知るものとなった」ことが、人類の罪の原点であることが書かれています。
ではいっその事「善悪を知らないもの」になってみたらどうなるでしょうか?
善と悪、信者と非信者、味方と敵、それらの拮抗する要素は、実は片方が無くなればもう片方も無くなってしまう相対的なものであり、実体のないものです。
そこに引かれている境界線は、人が人の心の中引いているものであって、自然界には存在しない架空のものです。
宇宙から見た地球の、どこにも国境線が引かれていないように。
自然界に善悪の概念はありません。
なぜならすべてのものは繋がった「ひとつ」の中の出来事だからです。
どこにも減るものも増えるものもありません。
だれも損も得もしません。
だから、だれも悩んだり悲しんだりすることもありません。
知恵の実を吐き出せば、人は生きながらにして神の国=楽園に還ることができるのです。
「聖書は神聖、宗教はアヘン」カール・マルクス
「イエスは正しかった、だけど弟子たちがバカな凡人だったんだ。」ジョン・レノン
―1966年3月4日、ロンドン・イブニング・スタンダード紙のインタビューにて
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「仏教は文明が発達して終わりに向かい、退屈した状態から生まれた宗教ですが、キリスト教はいまだに文明にたどり着いていないのです。」p,53より。西洋=キリスト文化をニーチェが歯切れよくぶった斬る!
表紙がアレなので、ただの批判本かと思いきや、キリスト教が科学や哲学や人の価値観にどのように影響を与え、そして停滞、衰退させたかを具体的に解説、キリスト教以前のヨーロッパの文化、宗教観がどのようであったのか、本来の宗教、神の意味、人の生きる道についてまで解説のおよんだ良著でした。現在出版されているものは「キリスト教暗黒の裏面史」に改題され、表紙も変更されています。
この「徹底図解」シリーズは大好きです。オールカラーで見やすく解りやすい!
『ツァイトガイスト(時代の精神)』日本語字幕付き<第1部>
<1-1>http://www.youtube.com/watch?v=-_eLaY-fQgE&feature=player_embedded#at=11
<1-2>http://www.youtube.com/watch?v=slFLPC_Xtt4&feature=player_embedded
<1-3>http://www.youtube.com/watch?v=nyGGjIyE4NQ&feature=related
Peter Josephによる2007年のドイツのドキュメンタリー映画。
Wikisourse:旧約聖書(口語訳)http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8
Wikisourse:新約聖書(口語訳)http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8
「彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」
イエス・キリスト ―新約聖書マタイ15:14より、ユダヤ教の指導者たちを批判して
(神の国、アメリカの正義 終)
・神の国、アメリカの正義<1>
・神の国、アメリカの正義<2>
<さまよえる善意>
ここでお断りしておかなくてはならないのは、多くの場合、信者さんひとりひとりは善良な市民だということです。
それは別にキリスト教に限らず、宗教の信者さんというのは、それがたとえ世間一般的に危険視されているような宗教であっても、誠実で、思いやりのある「善意の固まり」のような人である場合が多いのです。
平成7年、オウム真理教による地下鉄サリン事件。
当時のマスコミも世間も、オウム信者=狂っている、というイメージのみを狂ったように抱き続けましたが、実はオウム真理教も一般信者さんは危険とは程遠い、虫も殺さないような「善良そのもの」な人が大半でした。
この事件は、その惨劇と、物質主義から距離をおいた信者さんの生き方と、さらに事件に対するあまりに盲目な社会の反応とに、当時中学生だった僕に様々な衝撃を与えました。
そして、この事件が現代人類の抱える重要な「何か」を浮き彫りにしたものであると感じ、後に高校の自由課題授業のときに「ユートピア」という題の論文にまとめました。
だから僕は、ユートピア=理想郷を求める人々の善意が、いかにして殺人を正当化し、世界を破壊するのかということも、終末思想の行く末がどこまで行っても切り立った崖でしかないことも知っています。
ところで、宗教に入る人、というと「心の弱い人」というイメージがあるかもしれませんが、理解されにくい別の側面として、真面目で真撃な人ほど宗教に入りやすい、というものがあります。
戦争や犯罪が繰り返される社会に悲観し、何故悪が存在するのか?正しい人生とは何か?善きものとは何か?人の生きる道とは何なのか?を真剣に考えた人が、何かのきっかけで宗教と出会い入信します。
「あるべき人の道」について、そんな生きる上で最も大切なことを、先生も親も誰も教えてはくれないばかりか、それを教えるべき大人たち自身が道が解らずに迷っているのです。
そんな大人たちを見て育った迷える子羊たちは、「これこそが人の道である!」と、はっきりと言い切ってくれる宗教の指導者のような人に強く惹かれます。重要なのは、それが「正しいかどうかを別として」なところです。
「信じるべき自分(道)を見失った」人の多くは、自分の人生を預けられる「何か」さえあればそれで良いのです。
ところがほんとは「言い切る」人ほど深い考えを持たず、この世界が物であり心であり、本質的に「あいまい」であることを知らない人なのです。
そして、そんな正しきもの、聖なるものを求めてキリスト教に入信した人たちに対して、キリスト教こそが、自分の忌むべきもの、その源流、張本人であるということをはっきりと申し上げておきたいのです。
人類をあるべき「人の道」から遠ざけておいて、人類全体を「盲目」に「迷い子」に「不幸」にしておいて、「罪悪感」を植え付け、「戦争」を起こし、「終わりに向かう世界」を認識させる。そしてそこに聖なる神の、目もくらむような愛の手を差し伸べる。
この聖書宗教による人類に対する巨大な詐欺の仕組みにはまったく見事!としか言いようがありません。
世の名でカルト宗教と呼ばれているものは、この仕組みのほんの縮小形であり、食べ残し、おこぼれに与っているに過ぎないのです。
僕は身近なクリスチャンの友人や、教会で出会った人たちも、お世辞でなく大好きです。
みんな善意の固まりのような人たちです。
だからこそ、皆さんが惹かれているのはイエス・キリストの教えであってキリスト教会の教えではないこと。間違っているものは間違っている、とお伝えしておきたいのです。
<まとめ~聖書の時代を越えて>
このようにして、唯一絶対の神は、世界を信者と非信者に、敵と味方、善と悪、勝者と敗者とに分け隔てます。
そして、人と人、人と自然とを切り離し、人間を本来の生き方から遠ざけます。
人類が、「自然界そのものが神である」という自然宗教に立ち返ることができれば、目に映る全てのもの(=同じ神の肉体)を奪い合うことの愚かしさを知るはずです。
そして、それはきっと新しく生まれてくる子供たちによって、ごく自然に実行されることでしょう。
では最後に、聖書から人類への隠されたメッセージをご紹介しましょう。
聖書冒頭にて語られる、人類の楽園からの追放のエピソード。
これは実は、同時に楽園への帰り道を示しています。
人類は神に逆らって「善悪を知るものとなった」ことが、人類の罪の原点であることが書かれています。
ではいっその事「善悪を知らないもの」になってみたらどうなるでしょうか?
善と悪、信者と非信者、味方と敵、それらの拮抗する要素は、実は片方が無くなればもう片方も無くなってしまう相対的なものであり、実体のないものです。
そこに引かれている境界線は、人が人の心の中引いているものであって、自然界には存在しない架空のものです。
宇宙から見た地球の、どこにも国境線が引かれていないように。
自然界に善悪の概念はありません。
なぜならすべてのものは繋がった「ひとつ」の中の出来事だからです。
どこにも減るものも増えるものもありません。
だれも損も得もしません。
だから、だれも悩んだり悲しんだりすることもありません。
知恵の実を吐き出せば、人は生きながらにして神の国=楽園に還ることができるのです。
「聖書は神聖、宗教はアヘン」カール・マルクス
「イエスは正しかった、だけど弟子たちがバカな凡人だったんだ。」ジョン・レノン
―1966年3月4日、ロンドン・イブニング・スタンダード紙のインタビューにて
←クリックで拡大
「仏教は文明が発達して終わりに向かい、退屈した状態から生まれた宗教ですが、キリスト教はいまだに文明にたどり着いていないのです。」p,53より。西洋=キリスト文化をニーチェが歯切れよくぶった斬る!
表紙がアレなので、ただの批判本かと思いきや、キリスト教が科学や哲学や人の価値観にどのように影響を与え、そして停滞、衰退させたかを具体的に解説、キリスト教以前のヨーロッパの文化、宗教観がどのようであったのか、本来の宗教、神の意味、人の生きる道についてまで解説のおよんだ良著でした。現在出版されているものは「キリスト教暗黒の裏面史」に改題され、表紙も変更されています。
この「徹底図解」シリーズは大好きです。オールカラーで見やすく解りやすい!
『ツァイトガイスト(時代の精神)』日本語字幕付き<第1部>
<1-1>http://www.youtube.com/watch?v=-_eLaY-fQgE&feature=player_embedded#at=11
<1-2>http://www.youtube.com/watch?v=slFLPC_Xtt4&feature=player_embedded
<1-3>http://www.youtube.com/watch?v=nyGGjIyE4NQ&feature=related
Peter Josephによる2007年のドイツのドキュメンタリー映画。
Wikisourse:旧約聖書(口語訳)http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E6%97%A7%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8
Wikisourse:新約聖書(口語訳)http://ja.wikisource.org/wiki/%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E6%96%B0%E7%B4%84%E8%81%96%E6%9B%B8
「彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人の道案内をすれば、二人とも穴に落ちてしまう。」
イエス・キリスト ―新約聖書マタイ15:14より、ユダヤ教の指導者たちを批判して
(神の国、アメリカの正義 終)