世界一周クルーズ (第47章) BY 芝原 稔
アメリカ西海岸を一路北上
北緯38度のサンフランシスコを出港、一路アメリカ西海岸沖を北上し、次の寄港地、北緯5 0度バンクーバーへ。日本の仙台から稚内の少し南まで北上することになる。28日6時にはカリフォルニア州ユーリカの西南、正午にはオレゴン州ブランコ岬の南西、そして18時にはオレゴン州ポートランド沖南西を北上する。気温も日中15度前後、波も静かな太平洋クルーズである。夜、展望風呂に行く。米国入国2週間前から、浴槽内やジャグジーの塩素濃度は3PPM(通常は0.8PPM)に規制されており、入念にシャワーを浴びる。不思議な国である。ときどき“ドキッ”とするほど厳しいところあり、“何とかしたらどう”と思うほど抜けたところがある。これが大国なのか。
29日朝目覚めると、すでに北米大陸とバンクバー島とのファンデフカ海峡に入っており、身近に島々が見える。進路を間違えて左に舵をとればと出来もしないことを願う。左はこの世の楽園ビクトリアである。いつかここに住みたいと思ったほど素晴らしい街だ。島の木々は久しぶりに針葉樹である。木々の間に別荘か、家々が 点在する。間もなくバンクーバーの入り口、ライオンズゲート・ブリッジの橋の真下へ、それを過ぎると突然大都会が出現する。今までの港の中で、最高の美しいデッキである。向こうの桟橋には、既に豪華客船・MERCURY(77.713トン・1820人)が停船していた。調べたところ、シャトルからインサイド・パッセージ(内海航路)クルーズに行くらしい。
17時入港、17時40分上陸許可。早速下船、コンベンションセンターとして利用されている 港の建物、カナダプレイスへ。テラスになっているその外周を一周、間近にパシフィックを見る。残念ながら上陸準備に忙しいのか、船からは誰も気が付かない。ドイツ人夫婦にカメラのシャッターを頼まれる。MERCURYの乗客でこれからアラスカのクルーズを楽しむらしい。パシフィックのキャビンを指差し、“マイ・キャビン”と告げる。今夜のディナーは奈良のS夫妻の結婚記念日とご主人の誕生日、招待されているため早々に引き上げる。ビールで乾杯、船からのお祝いのシャンパンとバースディケーキで祝う。いついつまでもご夫婦のご健康とご多幸を祈って。
翌朝桟橋の左舷には三菱長崎造船所建造のサファイア・プリンセス(写真・右)が美しい姿で停泊していた。間もなくホランド・アメリカ・ライ ンのラインダム(写真・左)が入港してきた。8万トンはあろうか?バンクーバーの市内観光に出かける。バンクーバー発祥の地、石畳の道路、アンティークな街灯が当時の様子を偲ばせるガスタウンから市内周遊バスに乗る。ダウンタウンからグランビルアイランドなどを経て、スタンレー公園で下車、パーク内のシャトルバスに乗り継ぐ。
スタンレー公園は、深い森に覆われた岬で、針葉樹林、広葉樹林が茂る原生林の自然公園である。森では石楠花の花が最後の花を咲かせている。カナダの公園は不思議なことに、濃い緑や薄い緑と、紅色や黄色の木々が織り交ざっている。遅咲きのバラが咲き乱れている。フローレンス系のベコニアや球根ベコニアもなんとなく色鮮やか。カンパニューラ、インパチェ ンス、キボシ、フレンチ・ラベンダーも咲いている。一方今の日本は世界中の花が栽培されていると妙に感心する。シャトルバスからトーテンポールがある広場、ライオンズ・ゲート・ブリッジや港を望むビューポイントはたくさんある。帰路、シャトルバス(写真・右)でロブソンの繁華街を通り帰船する。土曜日のせいか、街には人々があふれ活気に満ちていた。街で出会った滞加20年の女性は、物価も安く、気候温暖、自然にあふれ、人種差別も無く、治安も良く、本当に住みやすい街だと断言していた。今少し若ければ、住みたい街の一つである。