市電保存館 大阪市交通局

2006年12月28日 | 保存鉄道車両

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旧100形車両 105号車

105号車(製作:田中車両・現近畿車輛)は1933年(昭和8年)開業した大阪市地下鉄(梅田-心斎橋)で走行した旧100形車両10両の一つで1969年まで36年間活躍した。当時としては最新鋭の設計であり、例えば将来電源電圧が1500Vが主流になると見て、その半分の750Vを日本で始めて採用し昇圧時の改造を容易な設計とした。長さ17,000mm、幅2,500mm、高さ3,650mm、自重40t、定員120名、密閉式の片隅運転台を前後に配備した両運転台車である。主電動機は170Kw/770rpmを2台(第1、4軸吊り掛け式)、制御器は制動によるダスト飛散をなくすため当時としては珍しい発電ブレーキの常用が可能な発電制動付複式制御装置(東洋電機製造)を採用した。

「地下鉄はどこから入ったのでしょうか?それを考えると夜も眠れない」という地下鉄漫才(春日三球・照代)があったが、東京地下鉄道などは地上車庫を設け、そこから搬入したが、大阪市地下鉄は長く地上工場を持たなかったので、仮設の地上開口部より搬入したそうだ。これには地上搬送や地下線路上での定期点検など多くの困難があったが、全車両が地下にあったため空襲の被害にあわなかった。

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2階付電車 5型 5号車

5型は1903年(明治36年)に製造、市電創業当時の車両で定員66人、自重9.0トンの四輪車で主として築港線を走り、魚釣り電車、納涼電車、観月電車などのニックネームで大阪市民に親しまれた。この保存車両は市電創業50周年(昭和28年)の記念事業として大正12年製720号車を改造して復元されたもの。実際の5号車は後述ページ参照。

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11型 30号車

明治41年から45年に280両と大量に製作され、チンチン電車の愛称で親しまれた四輪車。定員42人、自重8トンで、運転台前面窓や出入扉がない初期形。この車両はこの型の最終年度・明治45年製の285号で昭和11年に一度廃車されたものを昭和30年に復元されたもの。

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501型 528号車

初のボギー車として明治44年に登場した現存中最古の市電。定員62人、自重12.7トンで100両製作された。市電としては日本初の空気ブレーキ付、大小2個の車輪からなるマキシマムトラクション台車(駆動軸の車輪を大きくして大形電動機による駆動力を強め、付随軸の車輪を小さくして軽量化を図る)を装備する。この車両は昭和26年に廃車されたものを昭和43年に復元された。

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1601型 1644号車

鋼鉄製大型低床ボギー車で、台車には大阪市電型と呼ばれた鋳鋼製のウイングバネ式全コイルスプリングを採用し、主電動機はドイツ製アルゲマイネ社(現ボンバルディア社)37kw2基、制御器は弱め界磁付の日立製CF-65で性能・乗り心地共に自慢の市電であった。定員90人、自重16.3トンで昭和3~4年頃に100両製作され、この1644号車は昭和41年に廃車となり、そのまま保存車両となった。

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3001型 3050号車

大阪市電最後の新造車で昭和31年に50両製作された、その最後の製造車両である3050号車。定員70人、自重15.5トン、主電動機30kw4基の中型ボギー車でカム軸式複式制御装置、弾性車輪、非常ブレーキ用電磁トラックブレーキを装備した最高性能車であった。市電全廃となった昭和44年3月末日まで阪急東口~守口間を走っていた。

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散水車 25号車 (写真左)

昭和初期まで未舗装の道路を市電が走行したため、電車が通ると砂埃が舞い上がった。そのために用意されたのが散水車。明治43年から散水車が登場し、水撒き電車と呼ばれ大阪の街の風物詩であった。この25号車は大正14年製の円形タンク四輪車で、タンク容量は8.1トン、自重9.7トンで同時期の散水車は戦時中に751型に改造されたが、この25号車は改造用資材が戦災で焼失したため残った。

ヘルブランド社製台車  5号車用 (写真右)

Okk1050605 ドイツのヘルブランド社が製造し、日本に唯一つ現存する貴重な台車。台車が製造されたのは1901年だが、1903年9月12日に開業当時の10車両にこの台車が採用された。この保存台車は二階付市電(5号車)に使用されたが、8年後松山電気軌道(現伊予電鉄)に譲渡、その後台車だけが能瀬電気軌道に再譲渡されて貨物電車105号として活躍、その後昭和32年から宝塚ファミリーランドで歴史的価値が高い台車として保存展示されていた。大阪市交通開業100周年(平成15年)に大阪市交通局に寄贈された。

 

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