うな風呂

やる気のない非モテの備忘録

さよなら、栗本薫 2

2009年05月27日 | 栗本薫
画像は毎日新聞さんのニュースサイトからいただきました。
グインサーガプレミアム試写会より。
勝手に切り貼りしてすいませんが、これが一番綺麗な薫だったもので……。


さて。
さよなら栗本薫
……なんて題してますけど、ちっともそんな気持ちはないんですけどね。
いや「栗本先生は今もこの胸に息づいている」とかALIVEなことを云っているわけでもないんですが。

率直に云ってしまえば。
以前、三年前(もうそんなにもなるのか)お茶会に行ったときにも書いたように、自分の中ではとっくの昔に「栗本薫」は死んでいた。死んだものを「死んでいない」と誤魔化しつづけていた。その事実に、三年前に気づいた。
厳密に云えば、おれがファンになった1994年、まさにその頃、作家「栗本薫」は衆人環視の中でひそやかに死んでいたのだ。

あとに残ったのは「栗本薫だった人」、ただそれだけだ。おれは三年前、その棺桶を開けて覗きこんで来た。それで、やっと気づいた。認められた。もう栗本薫は死んでいるし、死んだものは帰ってこないのだ、と。時々、蘇る夢を見ることが、ないわけではなかったけれども。

だから、昨日死んだのは「栗本薫だった人」であり、一個人「今岡純代さん」でしかない。
かつて「栗本薫だった」ことに対する感謝とぬぐいきれぬ忸怩たる思いはあれど、「栗本薫」の死に対する悲しみだの驚きだのというものは、ない。
大げさに云ってしまえば、自分は『朝日のあたる家』最終巻でとてつもなくがっかりした2001年から2006年までのおよそ五年間、ずっとお通夜を続け、お茶会に行ってからの三年弱、ずっと葬式を続けていたようなものだ。驚く道理もない。

だから今の気持ちは「さよなら、栗本薫」ではなくて「さよなら、今岡純代さん」というのが本当のところだ。もっと気安く「バイバイ、純代ちゃん」くらいかもしれない。

純代ちゃんはちょっと自己中で人迷惑で口うるさくてデブでチキンで言い訳がましくて人の気持ちがわからないお騒がせキャラだったけど、そんな純代ちゃんのこと、そんなに嫌いじゃなかったぜ? 別に好きでもなかったけどね。
だって純代ちゃんがそんなにどうしようもないからこそ、栗本薫は十数年の間、この世に生きることが出来たのだものね。

それにさ、ホント云うと、おれもそうなんだよね。
おれも自己中で言い訳がましくて人の気持ちがわからなくてチキンでさ。
人に迷惑ばっかりかけてさ。そのくせなんにもできないでさ。
いつもゲームと物語の世界に逃げてばっかりでさ。
それでも、自分がくだらない奴だってことを認められなくてさ。認められないのに、本当はわかっててさ。
子供でさ。叫びたくてさ。なのに叫ぶ言葉ももたなくてさ。
無力で、なにも持たなくてさ。
なにもできなくてさ。
なにもできない自分だってことにすら、気づけなくてさ。
あがいててもがいてて無様で。

栗本薫だけだったんだよ。
その惨めさを全部言葉にしてくれたのはさ。
栗本薫だけだったんだよ。
その自己嫌悪をすら肯定してくれたのはさ。


栗本薫っていうのはさ、純代ちゃんのなかに一時宿った、空想の友達のようなものだったんだね。
自分が味わってきた色んな物語の、おいしい部分だけを集めて、一番自分好みに調理してくれる、自分だけの素敵な料理人。
本当に素敵な料理人だったよ。
栗本薫にかかれば、あまった食材でも立派な料理にかわったものさ。
よそで「陳腐」と笑われたって。
ただの人真似だと云われたって。
栗本薫が純代ちゃんのために作った料理が、僕にはいつだって最高においしかったよ。
だから僕は、純代ちゃんがうらやましかった。

ホント云うと、あれからずいぶんといろんな物語を味わったよ。
ぶっちゃけ、栗本薫より料理のうまい人もいたよ。
最高の素材を命がけで調達してくる人もいた。
新しい素材も新しい調理法もたくさんあった。
みんな、すごく努力してた。すごい天才もいた。
すごく驚いて、すごく感動して、すごく興奮したよ。

でもさ、それでも、ぼくは栗本薫の料理が、一番好きなんだな。
ベタベタしててさ、味がくどくてさ、臭くってさ、食べてるところ見られるのが恥ずかしくて、人に云えなくて、時々噴きだしちゃうしさ、見た目も最悪で、アクが強くてさ……とろどころ手抜きがひどいのなんの……! とうてい人になんて薦められなくてさ!
そんな、栗本薫のつくってくれた物語が、僕はなによりも一番好きだったよ……


おれはなにより栗本薫が好きで、だから栗本薫になりたかった。
おれが最初に出会った天才は栗本薫ではないし、おれが知る最高の天才も栗本薫ではないし、おれが出会う最後の天才でももちろんないだろう。
そもそも、天才ですらない。
けれども。

おれの心の醜さを、叫び抗い戦いつづけたのは透だけだった。
おれの心の弱さを、許し慈しんでくれたのは伊集院大介だけだった。
おれの心に戦いを、自ら剣持て戦えと、諭してくれたのは豹頭の英雄だった。

グロテスクなるがゆえの純愛を。醜さの果てにこそある美しさを。もてるものの不幸せを。もたざるものの幸福を。流れる時の優しさを。弱きことの祝福を。渇えることの苦しみを。満たされることの喜びを。おれの知らないあれもこれも。見えていたのにわからなかった、あの意味もこの意味も。
すべて栗本薫がくれたものだった。
それが祝福なのか呪縛なのかわからないほどに、純代ちゃん、おれは本当に、きみのところにいる栗本薫が欲しかった。

おれは、作家になりたいと思っていたけれど、本当は多分、栗本薫になりたかったんだ。
純代ちゃんが沢田研二になりたかったように、おれは、栗本薫になりたかった。
純代ちゃんが、沢田研二になるという意味をついぞ理解しなかったように、おれも、栗本薫になるという意味を、まるで理解しないままに、そう思ってた。

ああ、なんだっておれは、ここにこうしているんだろう?
物語を書くこともなく?
なにかを為しているわけでもなく?

とにかく書け、と道場主は云った。
よく読みよく書きよく考えろ。道場主にそう学んだ。
書くことこそが祝福であると、道場主は教えてくれた。
なのに今、おれはなにをしている?

栗本薫になりたいと、思ったのはきっと、自分だけじゃない。
中原の世界に行きたいと、自分より強く願った人は、きっとたくさんいるはず。
今岡純代という人を、おれより深く愛している人はいるだろう。
けれど、栗本薫という作家を、おれより激しく愛している奴は、どこにもいない。
どこにもいて、たまるものか。

とっくにいなくなっていた栗本薫の肉体は、昨日に滅び、数日後には、焼けて綺麗になるけれど。
栗本薫が残したいろんなものの欠片は、多くの人の中で良くも悪くもひっかかりを作っていて。
その中で、一番大きな欠片を残されたのが自分だと、それくらいはエゴイスティックに思い込んでもいいだろうか?
おれの生まれた年に栗本薫がデビューして、おれが著作に出会った頃から栗本薫が衰退した、そんなささいな事に、少しくらい自分勝手な意味を見出してもいいのだろうか?


書きつづけることの美しさと。
書きつづけることの醜さを。
同時に見せつけてくれた栗本薫さん及び今岡さんちの純代ちゃん。

あなたがくれたものは大きくて。
あんたのせいでなくした物もいろいろ多すぎてw
愛しているのか憎んでいるのかそれすら通り過ぎてどうでもいいのか、最近なんだかよくわからなかったけど。

やっぱりおれの精神は「栗本薫」と「テレビゲーム」と「タイムボカン」の三権分立で98%ほどが成り立っているから。
やっぱりこれからは、栗本薫分を自家栽培でなんとかしていくしか、ないのかもね。


なんだか何を書いているんだかわからなくなっても来たけれど。
ともかくは。

さよなら、おバカな純代ちゃん。
ありがと、ぼくらの薫くん。

あの世で元気に油メシ食って、たまには他人の本でも読んで、もっといい妄想、紡いでくれよ。もう見栄張るのはやめて、素直な気持ちで書いてけよ?
こっちはこっちで、元気に妄想紡いでいくからさ。

日本最初のプロ同人作家・栗本薫におれから送る、これが最後のアイ・ラブ・ユー。
ほんとは結局、みんな「栗本薫」が、好きだったんだよ。



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19 コメント

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Unknown (MILIA)
2009-05-27 23:37:34
わりと最近、「苦い追想」ほかの文章を偶然読ませていただきました。(たしか萩尾望都で検索してヒットした)
ここに出会ったのは、偶然なのか、虫の知らせだったのか。

95年のミュージカルを見て、天狼パティオの立ち上げに触れ、無言で去っていった私には、「なんでその頃に栗本薫に目覚めるんだよ?」と思うけれど、なんか、いいもの読ませてもらいましたよ。
ありがとう。
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Unknown (aki)
2009-05-28 00:16:07
はじめまして。
栗本薫になりたかった一人としては、
>私たちには栗本薫が必要だったのだ。
この一行が本当に思春期の私そのものでした。

栗本薫を読まなくなった時
「もう、救いはいらないから」と友人に言った覚えがあります。
そのときはなぜ、そんな言葉がでたのか自分でもよく分からなかったけど今回の追悼文を読ませていただいて、今までうまくまとまらなかった想いがすっきりしました。

ありがとうございます。
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Unknown (nowa)
2009-05-28 01:10:47
お茶会ってもう3年も前なのね。

栗本さんの訃報には泣かなかったけれど
うなさんの記事には泣いてしまった。
皆栗本薫が好きだったんです。

うなさん、ブログ書いてくれていてありがとう。
いまや、栗本薫以外の記事も楽しみに通っています。
これからも色々な思いを聞かせてください。
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Unknown (よっしー)
2009-05-28 01:38:36
はじめまして。
GWあたりからこっそり通わせて頂いていました(そうか、私が感じてたもやもや感はこれか! とか、凄い共感を覚えながら栗本薫についての文章を読んでました)。

さっき、友人からのメールで訃報を知り、なんか呆然とこちらに来ましたが、うなさんの追悼文に泣けてしまいました。
もうホントに、最近の新作にはほとんど触れてなかったけど、どっぷり栗本薫だけだった時もあって。
大好きだったんです、栗本薫。って、素直に思えました。
ありがとうございました。
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Unknown (うな~)
2009-05-28 11:48:18
>MILIAさん
う、うんどうも。
いや、あの、でも、しかし……
「苦い追憶」は私の書いた文章では、その……ないのですが……
親しい知り合いのサイトであって、あれは別サイトですからね、うん。

94年に読み出したのは、なんかまあ、そういう星のめぐりだったとしか。


>akiさん
いらなくなったのならば、それが一番。
なのに何故かこうして何十年後も気になってしまう、それが不思議な薫マジック。


>nowaさん
ども。この三年間でびっくりするほどなにもしてないうなぎです。
ブログはやる気がなくなるまではやります。
答えになってない気もするが、それが答えだ!


>よっしーさん
好きなものを好きと云わせてくれない、そんな切ない薫だつたけど、もはや死人に口なしなので、みんなでどんどんありがとうと云っていこうか!
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Unknown (makoto)
2009-05-28 18:02:51
うなぎさんこんにちわ。
以前少しコメントをさせていただいた者です。

栗本薫さんの訃報を聞き、
これはうなぎさんのところに行かなくては…と思いお邪魔しました。
一年前に偶然こちらに来て、うなぎさんの書いた評をよんで、それまで読んだ事のなかった栗本薫さんに興味を持ちました。
そしてグインサーガを読み始めました。(まだ全部読めていませんが…)

今回の文章を読んで、こんなに栗本薫は愛されていたんだなと胸が詰まりました。素晴らしい。

うなぎさん、本当にいつもありがとうございます。

もしかしたら、もう書けるのかも…
こんなに愛のある人なんだから。
うなぎさんの今後の活躍を見守りたいです。
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Unknown (じゅんきち)
2009-05-28 19:58:36
栗本薫の事を全然知らないおいらが何か言うのって、なんかおこがまし過ぎて気持ち悪いんでコメるのやめとこうと思ったけど

うなりんの何かしらを支えた力を持ったステキな人、栗本薫の御冥福を祈ります

(*´Д`)マジ黙祷
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Unknown ()
2009-05-28 21:22:59
最近「うなグイン」を読ませていただき、すっきりなっとく大喜びしていた往年のグインサーガ読者です。はじめまして。
お恥ずかしい限りですが、まじめに読んだのは「風のゆくえ」までで、なんともはんぱな読者ですみません。でも、あのあたりまでは本当に面白かった。ケイロニアの屋台料理のうまそうだったこと!コンビーフご飯体験記からは想像もつきません。そうか、薫さん味オンチだったんか。
わたしも勘違いしてしまいましたが、追悼と称してコンビーフご飯を食す人がそう何人もいてたまりますか!「まこりんとはうなぎの第二人格か?」と思ってしまいました。素敵なご兄弟でうらやましい限りです。
栗本薫が亡くなって思ったのは「本屋にいつまであの黄表紙がならんでいるかな?」ということで、これは往年の読者ゆえの、斜でイジワルな態度です。
作家というのは良くも悪くも死んだあとが勝負だと思います。アニメもはじまったそうだし、案外再評価されたりしてね!
そしたらうなぎさんの出番ですね!
ご活躍期待してます!
最後に、史上最大のかきまくり作家・栗本薫の冥福を祈りつつ・・・

そして・・・
「すごいや!グル・ヌーはほんとうにあるんだ!」
どうもありがとうございました

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あ、ごめんなさい (MILIA)
2009-05-29 00:35:10
すみません。

普通に読めば別人であるのは明らかなのですが、サイトの境界線不明な感じで、もしかして同一人物の別キャラ、別人格? と思ったりしてまして。

混乱の上に、やはり動揺しているのでしょう。
こちらの全著作感想も読み応えありましたよ。

お茶会の話は、うーん、きっと常連の中には知った顔もいるのだろうなあと暗澹たる気持ちになったり(笑)

まあ、ナリスが死のうが薫さんが死のうが、生きているこちらは、平常業務に戻るということで。
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はじめまして (ayakh)
2009-05-29 03:52:41
はじめまして。
コンビーフご飯で検索してうなぎさんのサイトにお邪魔しました。

栗本薫を小学生の頃に知り、同人誌活動を行っていたものです。
グインコンに関わっていたので新婚当時の栗本ご夫妻を知っており、またアンチナリスの先鋒でしたので解脱は早かったのですが、劣化した栗本氏を神楽坂含め生暖かくウォッチしていました。

崩壊がとまらないグインサーガや天狼パティオにはなじめなかったので早くにほとんどを処分していましたが、それでもグインは多感な少女期の大切な思い出です。

うなグインには本当にすっきりしました。
綺麗に書いてくださってありがとう。

作家としては栗本氏に愛着のかけらも持っていないのですが、いまだ本棚に数冊氏の本があり、この数日、ネットで栗本薫という単語で検索をかけてさまよう私もまた弔いの場所を探していたのでしょう。

グインサーガと共に逝った氏に、合掌。
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