語り得ぬ世界

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防人の旅、時々妖怪_32【第2日07】

2024-03-02 07:54:51 | 珍旅道中記
『横浜市電保存館』はバス停の目の前です。



12:30 建物の外観は年季が入ってますな(市電滝頭工場跡地)。横浜市電は市(電気局)直営により大正10(1921)年4月1日運行開始、昭和47(1972)年3月31日全線廃止となりました。長いようで短い50年の歴史ですね。
最初の保存館は市電廃止の翌年、昭和48(1973)年8月25日にオープンし、現在の建物は昭和58(1983)年8月13日開館です。その後、平成15(2003)年1月18日、平成29(2017)年1月28日にリニューアル・オープンしています。
保存館は横浜市営住宅の1階にあります(同地に昭和58年市営住宅建設に伴い再開館)。考えたら住人のみなさんはちょっと羨ましいですな。まあちびっ子ならともかく路面電車に関心のないオトナなら日常の風景なので、1週間前に掲示板に貼られたポスターみたいに景色に溶け込んで誰も見向きもしないでしょうけどね。そして、その手前にこんなものも。



横浜市電最後の架線用ポールらしいのですが…



説明板が思い切りバキバキに割れて読まれへんがな。修繕してよね。ここまでの経年劣化を放置するなんて施設の展示物(市電)も大丈夫かいな。ちなみに、館内にこのポールの説明板がありますので先行公開。



こっちより保存館アプローチの説明板のほうが詳しいんですけど?(苦笑)
市電運行時はこうした架線用ポールが車道際などに無数にあったのですが、昭和47(1972)年3月31日に全線が廃止され順次撤去されていったようです。ただ、当然撤去に経費がかかるので(推測ですが)年次計画的に撤去したというより、拡幅、付け替えなど道路改良に伴って障害物となったもの、あるいは腐食が進み危険なものから撤去していき、多少錆びていても邪魔にならないものはけっこう残っていたのだと思います。実際このポールが撤去されたのは平成19(2007)年6月3日だそうで、最後の架線ポールだったとはいえ、けっこう残っていましたよね。高さ7.3mありまして、根元には昭和20(1945)年5月29日の横浜大空襲での被弾痕なんだとか。それを知ったのは写真整理で見返したときでした。なので被弾痕を珍は見ていません…トホホ。だから屋外の説明板は目を凝らさなくとも読めるように修繕しておいてよね…。



入口を入ってすぐの受付です。市直営ではなく指定管理だと思われますが、愛想のいいというかにぎやかなぐらいのオバサマスタッフさんがお出迎え。この受付ではグッズ販売も。



入館料大人300円のところ、横浜市営バスを利用しICカード決済したら100円引きになります。珍がまさにそのパターンでしたので、チケットでは優待制度料金という表記になっていまして200円也。珍はスマホのモバイルSuica(おサイフケータイ登録)でバス料金を決済していまして、どうやって確認すんねやろ…思いつつオバサマスタッフさんにその旨を告げると、端末でSuicaの履歴を確認され、200円になりました。
さらに入口横にはちょっとした鉄道模型ジオラマも。



市電は併用軌道(道路敷に線路を敷設し、車両と並走するアレ)なのに、なぜか高架の専用軌道を走る市電模型。いくらなんでもデフォルメしすぎやろ(笑)



その下は併用軌道になっていて、スケール無視のペーパークラフトによる横浜市のレトロ建築物が置かれていますけど(それなり忠実ですがかなりデフォルメ)ミニカーの大きさに比べて市電が巨大やがな(笑)



左手前の市バスと市電の大きさが違いすぎるがな。バスが小さすぎるというか(しかも形式は今の市バスやん)市電が巨大すぎるスケール感。何でもありやな(笑)



昭和5(1930)年頃の伊勢佐木町通りの写真をタペストリーにして掲げてありました。全部カタカナの「カワイクツテン」とか、電柱密度とか気になりますけど、そもそも市電はどこ?線路すら写ってへんがな(苦笑)
ここからは市電の展示コーナーです。全部で7両の車両が静態保存されています。



12:33 一番手前は新車当時の塗装を再現した500型523号車。昭和3(1928)年製造・購入した500型60両のうちの1両です。定員75人。関東大震災からの復興完成期の華やかな電車と言われたそうです(同型車のうち15両は戦後600型に改造)。戦火を潜り抜け昭和44(1969)年廃車。昭和3年ということで品のあるレトロ感がよろしおすな。



板張りの床、ウッディな壁、楕円形というかアーチ型の天井がシブいね。



狭っ。金属ポールは後に付け替えたんだと思いますけど位置は変わりありませんかた、ほとんど立って運転しないといけません。この時代の路面電車はどの車両もこんな狭さ。運転士さんの操作環境は酷ですな。



こうした車両設計思想は共通していて、その後戦時の零戦などの航空機の操縦席も居住性や安全性が度外視されていた部分にもつながっていると思います。



アートに撮ってみました。



こちらもアートに撮ってみました。意匠を凝らした楕円の電灯にもレトロ感がありますよね。確かに華やかさを感じます。



塗装デザインも横浜らしく垢抜けてますよね。中華風にも見える意匠がユニーク。
ここから『横浜市電保存館』の車両展示コーナーを順番に巡っていきます。電車に興味のないみなさまも飛ばさずにお読みくださいね(苦笑)
(つづく)
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4 コメント

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Unknown (884)
2024-03-02 19:23:01
趣きがあって色気があってステキです💕
メカっぽいのも好きですが、こういうのもいいですね。
チン鉄 (珍之助)
2024-03-03 05:42:03
884さまもいよいよチン鉄の仲間入りですな(笑)
チン分濃ゆいですぞ。
Unknown (884)
2024-03-03 16:23:13
珍さまと違い、「チン鉄」のチンではなく鉄が濃くなって欲しいです😅
ならば… (珍之助)
2024-03-03 21:44:49
884さまは「鉄チン」てことで。
嬉しいような恥ずかしいようないろいろビミョーですが(苦笑)路面電車の魅力にハマってください。

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