上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

沖縄をダメにした百人 38

2013-04-01 09:45:07 | 沖縄をダメにした百人

前回の続き

~1フィート運動騒動記~ 20-4

 さあ、これから読者と一緒に「未来への道標 ─沖縄戦1フィート運動の30年」と題する「疑問誌」、いや「記念誌」を開いてみよう。 エッ? 石川元平はひねくれて「記念誌」を渡さなかったはずだが、と読者は問うかもしれない。 これは内緒だが、ぼくにはスパイがいるのだ。 だから、実は簡単に手に入れることができた、ということだ。

 こういう「自分たちだけに都合のよい本」は誰が編集に関わっているか知ることだ。 それには一番後ろの後付を見ることにしよう。

タイトル 未来への道標 ─沖縄戦1フィート運動の30年 = 題字 大田昌秀

発行日 2013年3月15日 編集 30年記念誌編集委員会

委員長 石川元平 事務局長 大山哲 委員 山根安昇安仁屋政昭宮城孝子真栄里泰山

発行 沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会

 

ウゲー! 偽善者たちが勢揃いで編集していることになる。

 

 先ず初めに「ドゥフミー(自慢話)」の写真集があり、そこにはこの運動を創った上原正稔の写真は排除されている。都合の悪い男は消せ、というわけだ。 

「発刊のことば」は12月27日の前代未聞の解散記者会見で上原正稔から「嘘つきの白痴(ハクチ)」と怒鳴られて、返答もできず、目線を45度も下げて、上原の目線を避け続けていた福地曠昭が相変わらず反省も見せず、自慢話で自分を飾りたてている。 当然、会の発端と醜い内幕には一切、触れていない。 当然、危険人物の上原正稔の名は出ない。

続いて誰が書いたか不明だが、1フィート運動理事会の名で「1フィート運動の収束にあたって」と「壊滅」と表記すべきものを「収束」と意味不明の言葉で綴った報告が続く。 これも福地の「発刊のことばと変わらず、自分たちが1フィート運動を壊滅させたことには触れず、「ドゥフミー」に終始している。

 注目されるのは最後に「私たちも新しい平和運動に引き続き関わっていく決意であります」そして「記録映像のDVDは沖縄県学校用品株式会社で販売していくことになりました」と述べていることだ。 これは石川元平が1フィート運動を継続してゆくことを示しているのだ。 

 そして第1章の特別寄稿は本当に「沖縄をダメにした」元凶の大田昌秀が「永遠に語り継げ沖縄戦」と題して彼が恨み恐れている上原正稔の名は一切出さず、自分の自慢話と得意の嘘八百の演説文を羅列しているだけだ。 彼の「永遠に語り告げ沖縄戦」のタイトルは1983年12月8日に発表された1フィート運動の趣意書の文を引用したものだ。 その趣意書はいったい誰が書いたものなのか。

つづく


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1 コメント

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Unknown (キン坊)
2013-04-01 13:51:20
2012年4月1日から2013年3月31日までに、沖縄タイムスの投稿欄に掲載された投稿は計2379本(「主張、意見」1611本、「論壇、寄稿」411本、「茶のみ話」357本)。

投稿者年齢別の投稿数
10代  27  1.1%
20代  47  2.0%
30代 171  7.2%
40代 271 11.4%
50代 230  9.7%
60代 685 28.8%
70代 734 30.8%
80代以上 213  9.0%
不明   1  0.0%

投稿者の平均年齢は62.64歳。
10回以上掲載された人は、52人。

掲載回数トップ12 (敬称略)
第1位 渡真利善朋(44)豊見城市 45回
第2位 仲村直樹 (41)宜野湾市 39回
第3位 高安哲夫 (40)那覇市  38回
第4位 山根光正 (69)那覇市  29回
第4位 知念勇一 (71)嘉手納町 29回
第6位 大嶺よし子(68)豊見城市 26回
第6位 上治修  (50)福岡市  26回
第8位 鳩間用吉 (75)那覇市  25回
第9位 岸本定政 (65)糸満市  24回
第9位 比嘉寛  (65)那覇市  24回
第11位 池辺賢児(35)宜野座村 23回
第11位 幸地忍 (68)八重瀬町 23回

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