上原正稔日記

ドキュメンタリー作家の上原正稔(しょうねん)が綴る日記です。
この日記はドキュメンタリーでフィクションではありません。

「大綱挽」の「挽」は葬式車を挽く時に使う字だ! その1

2013-10-11 12:56:14 | 日記

「大綱挽」の「挽」は葬式車を挽く時に使う字だ! その1

今年も「つなひき」がすぐやってくる。沖縄ではかつて「つなひき」を「ウナー」と呼んでいた。首里では綾門(アイジョウ)ウナー、那覇四町(東、西、泉崎、若狭)で四町ウーンナと呼ばれていたそうだ。ウナーとかウーンナという言葉はどこから来たのだろうか?

梵語辞典はサンスクリットから日本語への流れは掴めるが、逆に日本語からサンスクリットの流れは掴めない。これが苦しいところだ。色々サンスクリットを調べているうちに「yūna」(ゆーな)にぶつかった。これだ!と思った。ユーナとは「綱」のことだ。ユーナからウナー、ウーンナに変わるのはわけはない。

中国語では「綱引」のことを「抜河」という。「河を抜く」ことがとうして綱引きになるのだろうか。

2年前のこと、ぼくがいつも図書館に通う途中に中学校があり、校庭の一角で若者たちが「那覇大綱挽」の準備をしているところにぶつかった。ぼくはそこの頭(かしら)に言った。”「綱挽」の「挽」の字は間違っているぜ。「挽」の字は「葬式車を挽く」ときに使われる字で、縁起でもない字だ。だから俺は30年間も那覇大綱挽に行ったことがないんだ。さっさと改めるように上の者に言ってくれ。字を書き直したら俺も心を入れ直して「綱引」に行ってもいいぜ。”

その「頭」が「上の者」にその旨、告げたことは間違いない。2011年10月2日、大綱挽保存会事務局長というやたら堅苦しい肩書きの野原由将は沖縄タイムスのオピニオン欄に返事を載せ、「那覇大綱挽」は1839年の古文書「那覇大綱挽之時日記」に「綱挽」としての固有名詞の記述がある旨、寄せてきた。「那覇大綱挽之時日記」などのタイトルの文書はない。それは「西東綱挽之時日記」のことだ。それも記録係の「筆者」がその場で記録したもので、誤字があってもだれも気にしない文書だ。実際、別の文書では「那覇綱引規模帳」というタイトルが使われている。

野原由将は上司の東江芳隆の言い分をそのまま記述しているにすぎない。二人とも那覇市をダメにした百人の中に入ることは間違いない。野原が言っていることで目新しいものは「中国では綱引きのことを抜河(ばっか)と称している」という記述だ。抜河とはサンスクリットの「bāhe」(バーへー)すなわち「綱」のことだ。抜河は発音記号にすぎず、中国語でバーヘーと発音する。それを「ばっか」とは「ばか」じゃなかろうか。

(つづく)


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