整体セラピストの独り言  ウエダ心理整体塾のブログ

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言葉と文字の神秘

2016-10-28 18:01:52 | 雑談
この1年くらい、「日本語原学」という本に出会い、そこに書かれていることに異様に興味を持ち、言葉の研究に没頭している。

そのきっかけも、整体協会の先輩による勧めであった。

その本は、昭和の始めに刊行されて後、昭和40年頃に復刻版が出されたが、ごく一部の専門家、マニアの間で読まれた程度なので一般の人々に紹介されることもなかった。

それがなぜ、整体という身体を研究する人々に注目されたのか?

それは、前近代の言葉や漢字かなづかい現代のものとは異なる特徴があることを発見したからだ。

その特徴とは?


言霊力である。

古語の名詞、動詞の意味するところ「語義」に言霊力がある。

例えば、目には三種類ある。

ひとつに「目」これは見得(みえ)という語義で、肉眼を指す。

もうひとつが「瞳」(ひとみ)で、心眼の浅いレベルを意味する。実際に「ひとみ」と唱えるとその「眼差し」になる。

もうひとつが「目のこころ」(まなこ)で、心眼の深いレベルを意味し、「まなこ」と唱えるとその「眼差し」となる。


また「動く」という動詞は「浮き轉来うきころく」という語義で、そう唱えると身体が自発的に動き出す!?


この、何か言葉、音声を聴いたり、文字をイメージした瞬間に、意識での理解、解釈や感情や情感の作用によらず、身体が勝手に反応することを「感応」と呼ぶが、古語にはこの感応の作用があることを発見した。

またこの、身体の勝手な動きは、同じ場にいる他者にも感応し、他者の身体も動き出す。


他にも、「膝」は「脛節皿はぎふしさら」という語義だが、そう唱えると膝に気が自然に集まり膝が動き出す。

まだまだたくさんあって、ここに紹介しきれないが、これは意識に訴えるものではない。

意識に訴える言葉、感情を湧き起こす言葉は、人それぞれに解釈、連想するものが異なるから、何かを感じた人は身体もそれにつられて動くことはあるが、その言葉にピンと来なければ何も起こらないだろう。

しかし意識においてピンと来なくても、身体のほうで感じると即動き出す。

しかもそれは個人に留まるものでなく、その場にいる他者にも感応し身体が動き出す。

これは整体の活元運動と同じ原理なのだ。




意識と意識は、共鳴することはあっても感情が沸き起こることがなければ身体は動かないし、感情が沸き起こっても身体に動きは起こらない人もいる。だから人それぞれであるし、両者の相性が合わなければ何も起こらない。

それなのに、意識では意味がわからなくとも、身体に響くと身体が勝手に動き出す。

何やら神秘的で気味悪がる人もいるだろうが、身体に響くとは過去記事に書いた原始感覚と深層心理に響くのであり、それは万人共通のものだから個々の解釈や相性を超えて、両者の身体と身体が共鳴しあい、そこから身体対話が始まるのだ。



ということは、昔の人の言葉とは、そして文字とは、身体から発した、身体表現であったのかもしれない。

ということは、昔の人は言葉のうわっつらでなく、まさに肚を割るとか同じ釜の飯を食うというような、身体対話をベースとした関係性だったのかもしれない。

ということは、昔の日本語を知ることで、現代に失われた大切な何かを、取り戻すことが出来るかもしれない。









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