江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【109】 江利チエミ 大いに語る Ⅱ

2005年11月25日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)
昭和45年1月21日 玉川瀬田のチエミさんの邸宅が全焼という事件がおこりました...

江利:テレビ朝日がNETと言ってるころですね。高倉さんがハワイに立つという夜で、私はNETの歌番組に出ていて、フィナーレじゃ間に合わないから、番組の途中で見送りに行くために家に帰ってきたんです。
 そうしたら家の手前まで来たら、消防車や人だかりがいっぱいで入れないんです。お巡りさんが「これから先は入れません」というから「わたし、この奥に住んでいるものなんですけど」って言ったら、私の顔見て「ご主人は大丈夫ですから」って言うんで、その時「うちが火事?!」って初めて気がついたんですけど。
梨元:その時はもう消火していたのですか。
江利:まだ燃えてる最中でした。ペラペラペラペラ燃えてました。

※不幸中の幸いは延焼しなかったこと。しかし、この現場で「新聞記者」に「本名は?」「生年月日は?」ととんでもない非礼な質問をうけ「さすがにその時は顔色が変わった」...と言われています。
着の身着のまま、結婚指輪以外は全てこの火事で失ってしまうという憂き目に遭遇してしまったのです。

たしかに私もこのときの報道は覚えています。
テレビに新聞に週刊誌に...
鎮火していない自宅を見ている高倉さん、チエミさんにむかってフラッシュがたかれ、マイクが向けられ、カメラがズームしていたのです...

チエミさんはこの火災の翌日にもテレビの歌番組の収録があったそうですが、仮縫いに出していた衣装を急いで上げてもらい、仕事には穴をあけずにこなしたのだそうです。
旦那様が渡米するから見送る... どんあことがあっても仕事に穴をあけない...
この人は本当に「手の抜けない人」だった・・・ということになると思います。

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