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江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ 再び「三味線豊吉さん」のこと

2013年05月24日 | 江利チエミ(続編)

三味線の名手・豊吉さんの名演奏がUPされていましたね....

ラ・クンパルシータ(三味線クンパルシータ)
http://www.youtube.com/watch?v=jY1CG0NHX-k

セントルイス・ブルース
http://www.youtube.com/watch?v=c-2_2YmEmTQ

三味線豊吉 しゃみせん-とよきち

1903-1964 大正-昭和時代の三味線演奏家。
明治36年5月1日生まれ。大正末ごろから小唄(こうた),端唄(はうた),俗曲などをひき,赤坂小梅,小唄勝太郎らの相(あい)三味線をつとめる。NHK「のど自慢」の三味線伴奏や「とんち教室」の解答者としても活躍した。昭和39年4月8日死去。60歳。東京出身本名は三輪トヨ。


昭和42年11/3 ~ 4/19 放送回数 25回 TBSで「ちょっと待ってパパ」が放映されました。
ここまでのチエミさんはTBSとドラマの専属契約をされていたようです。

>父の果たせなかった世界チャンピオンを育てようと、自ら女トレーナーになって生きる娘...を演じました。  
共演/伊志井寛さん、若原雅夫さん...ボクサーで恋人役が「工藤堅太郎」さんでした。これは先に本編でも掲示しましたが、この放送中にチエミさんは声帯ポリープを患います。このドラマ以外にも舞台公演等々、スケジュールに穴の開けられないチエミさんは手術を遅らせざるをえない状況であったこと...が今更ながらに残念です。
   images
チエミさんはこのドラマの後、古巣とも言えるTBSを巣立ち、フジTVと専属契約をします。

そこで「名作ドラマ」に巡り合います。
  「あの妓ちゃん」...あのこちゃん…と読みます。
三味線の名手:三味線豊吉さんの生涯を描いた物語でした。(役名は豊龍)
43年8/3 ~ 10/26 放送回数 13回 
共演/黒柳徹子(一番弟子・モデルは豊文さん)、中原早苗、山田吾一、乙羽信子、大坂志郎、葉山葉子...他 土曜日 21:30-22:30 の放送。
芸に生き、愛に生きた芸者出身の豊吉姐さんの「意地と度胸と愛情に溢れた生涯」を熱演しました。
昭和の初め、三味線豊吉さんは古典楽器である三味線の良さを生かし、五線譜の導入で洋楽器との演奏を可能とし、昭和初期の流行歌などの演奏や、レコーディングの第一線で活躍されました。
28年江利チエミ初出場の紅白では豊吉師匠も出場されています。演目には江利チエミの「カモンナ・マイ・ハウス」を選曲しています。おそらくは父君母君と豊吉姐さんは親交があり、チエミさんのことも幼い時から知っておられたのではないか...と想像します。
豊吉さんは流派を立ち上げ、それまでの伝統を覆す活動をした人。かなりのパッシングを受けたことや、洋楽と邦楽の融合を果たしたこと、三味線一本で名をなしたこと、ご主人は早世されますが主婦でもあったこと... この役は江利チエミさんとダブる部分が多かったと思います。
三味線の短期間の稽古で「腱鞘炎の手術をする」までに手首を酷使した...等、思い入れも強かった作品だったと思います。 VTRが残っていたら、是非に再放送なりDVD化をして欲しい...と切望する作品です。
音楽は山本直純さん。主題歌も三味線+ジャズのコラボで素敵な曲でした。
♪引くに引けない土壇場坂を    
   這ってよろけてまた登る  
     にっこりえくぼのその顔は 破れかぶれの体当たり コノ-! 
 女一匹 捨て身で生きりゃ どんな花でも咲かせてみせる

※画像のジャケットはあの妓ちゃん...の主人公の「とよ」が半玉から芸妓「豊竜(とよりゅう)」となった頃の場面のスチール撮影だと思われます。
しかし...この「とよりゅう」というドラマ上の名前は本来時代考証的にはNGです。
○○吉=関東、○○竜=関西... 一昔前までは名前でその芸妓の出身がわかったそうですから。
三味線豊吉さんのことは過去にも何回か掲示させていただきました。

なかなか資料が見つからない...

判るのは1905(明治38)年5月1日生まれで、1964年4月8日に亡くなれた...ということくらいで...

某巨大掲示板の邦楽スレッドに「そのさん」という大変お詳しい方の記載を発見しましたので、(勝手に掲載するのは心苦しいのですが)ドラマ「あの妓ちゃん」が完全な再現ドラマというわけではなく、かなり脚色が入っていた(結婚されていた...云々)部分もあるようなので、ここに豊吉さんとは??...という部分で、江利チエミが演じた「とよ」とは違う部分も書き残しておこう...と思い、引用して掲載させていただきます。

>251 :その:04/09/28 00:46:50
>> 248
待ってました豊吉姐さん!!

豊吉さんは、元々新橋の芸者(もちろん地方)だった人で、昭和初期
から歌謡曲のオーケストラに入って和洋合奏を手がけた、その
ジャンルのパイオニアです。
芸者出身なので当然洋楽の知識などなかったのですが、レコード会社
に端唄・俗曲などのレコーディングで出入りするうちに和洋合奏の
方でも声を掛けられ、五線譜の読み方などの洋楽理論をNHKに出入り
していた関係で懇意であった、民謡研究家・作曲家としても著名だった
町田嘉章(民謡『ちゃっきり節』の作曲で知られる)に師事し習得して
からは、殆どの三味線入り歌謡曲の演奏を手がけました。
オーケストラに対応するために、三味線の棹を短くするという工夫
を施し、戦後まで第一線で活動しました。


252 :その:04/09/28 00:48:16
三味線演奏家としての腕もさることながら、その豪放磊落な人柄から
タレントとしても重宝され、NHKのラジオ番組「とんち教室」に
回答者としても出演しお茶の間にも親しまれました。
生涯独身でしたが、多くの優秀な弟子に恵まれ、豊文・豊静・豊藤・
豊寿などが有名です。かの落語の大看板、古今亭志ん生の次女も
豊太郎といって豊吉さんの弟子でしたし、上のレスで名前の出ている
市丸さんの妹であった静子さんも、和洋合奏の基礎を豊吉さんに
学んでいます。いま民謡・端唄三味線の大御所、藤本叙」丈さんが
まだ藤本を名乗ってなかった頃(彼の本名は山田で、藤本は相三味線
を務めていた藤本二三吉さんの名前を貰ったもの)、豊吉さんから
一門に入るように誘われたが、断ったことがある。ちなみに豊吉さん
が用意してた名前が豊三郎。
乳がんを患い片方の乳房を切除するなどしたが、再発してしまい
昭和39年に59歳の若さで亡くなりました。
著書に「三味線随筆」があります。芸者当時の話や昔の芸能界の
裏話など豊吉一代記が書かれていて面白い本です。

記憶だけを頼りに書いてるので誤りがあるかも知れませんが
お許しを。改めて考えると今年は没後40年を迎えたんですね。

253 :重要無名文化財 :04/09/28 12:17:53
>> 250-252
豊吉さんは本当に三味線が上手。
女性で芸者出身、しかも洋楽と合わせるなど活躍の場が広かったから
タレント的な名前の残し方をしたけど、もう少し長生きしていたら
正統派の名人として名を残したと思う。
早死したのが本当に残念。

254 :251&252:04/09/28 13:47:45
豊吉さんの凄さは、何といってもツボ(勘所)の正確さ
それ故和洋合奏でも重宝されました。どんなにツボが飛んでも
絶対に音が狂わないんです。
山田流の中能島欣一師に匹敵するスゴさだと思います。
歌謡曲の傑作では久保幸江の代表曲「トンコ節」の前奏ですね。
あれだけのテンポでツボが飛びまくりで三連符使いまくりで
あの正確さは神業です。
民謡の録音では晩年ですが三橋美智也氏の一連のオケ録音で
その真髄を見ます。
歌謡曲の三味線では他に東海林太郎氏の専属状態だった方ですが
長唄出身の杵屋定之丞・定ニという師弟コンビが活躍しました。
こちらは長唄出身ならではの歯切れの良さがウリで、東海林太郎
氏の晩年まで舞台・録音でその名唱を支えました。

255 :重要無名文化財 :04/09/28 14:26:18
>> 254
三味線の勘所と五線譜の音の違いをきちんと弾き分け
高音の難しい勘所でも狂いなく一発で飛ぶ。
音感は中能島欣一よりも上だったと思う。
それにどんなに早い手でも力まず弾きこなす怪物ぶり。
神業というのも大げさではありませんね。

・・・他、江利チエミとは旧知の仲だった...といった記載もそのスレッドにありました。
このフロンティア精神は江利チエミの手本ともなった芸道の大先輩であったと思います。

※画像も拾い物であり恐縮ですが、粋で洒落た豊吉師匠のサイン...ゆえ、借用・掲載させていただきます。

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