江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

【77】 日劇最後のステージ

2005年10月26日 | 続・江利チエミ(初期記事・後編)

昭和8年12月 日劇竣工・開場 (日本映画劇場株式会社により昭和4年着工8年に竣工・開場)外国映画(チャップリンの「街の灯」等)を上映 ...

そして、昭和56年...日本劇場(日劇)は、約半世紀の歴史を閉じました。
「さよなら日劇」として、山口淑子(李香蘭)さんが久々に蘇州夜曲をうたう...笠置シヅ子さんが(頑として歌わなかったですが)久々に舞台にあがる...ウエスタンカーニバル... といった「さよなら興行」のうち、江利チエミさんは雪村いづみさん、中野ブラザース、伴奏/原信夫とシャープス&フラッツという「最強の顔合わせ」で舞台に上がりました。

56年2月5日 「さよなら日劇 ああ栄光の半世紀」 13:30~  17:30~ 二回公演

オープニングはテネシーワルツ(チエミ) 
               遥かなる山の呼び声(いづみ) 
懐かしい日劇の舞台写真がスクリーンに移し出されて司会の玉置宏さんとおしゃべり。

いづみさんが、オ-マイパパ/青いカナリア の後、 
 チエミさんがLP「Nice to meet you」から、「A列車で行こう」「セントルイスブルース」を...途中シャープのサックス軍団が前に...   
    まさに、シャープ&チエミのジャズの競演!! 圧巻!

※チエミvsいづみ のお喋りもなかなかのもの...   
チエミ「あらアンタいい匂いネ--- どこの香水??」  
いづみ「おすぎとピー子に貰ったの」「あら貴方もいい匂いよ!」  
チエミ「あらアタシ?アタシは【スーパーニッカ】...ハハハ」   
いづみ「(昔のバニーガールスタイルで歌う写真をみて)いやーね--- 胸がペッタンコなのにあんなの着ちゃって... スッカスカだワ」(チエミにむかって)「あなたはいいわよね--- 豊満だから」...   
チエミ「(30年代前半のステージ写真を見て)それにしてもデブね----。どうしてあんなにまん丸だったのかしら」...           
  このようなやりとりがあって会場は大いに盛り上がる!!

※またこんなエピソードも語られます...     
チエミ「もう舞台が3階までいっぱいで人が振ってくるんじゃないかって心配になって演出の山本紫朗先生に言ったことがあったワ~」  
いづみ「アタシは逆に台風でお客さんが30人しか入らなかったことがあった。指定席には白いカバーがあるから【看護婦さんの団体さんが入ってるみたい】だったワ。」  
チエミ「そういうときに足を運んでくださったお客様ってのはホントにありがたい」  いづみ「ほんとね----」
(※行列のお客様が圧死する...といった不幸な事故がそのころ美空ひばりさんに起こっていました。)

そして舞台はフィナーレに向います...  
雪村いづみさんがまずレパートリーの数々をメドレーでずら----っと歌い上げます。 

>※曲名を読者の方からお教えいただきました。(11/5追記)
モア ウォーキングマイベイビーバックホーム オンリーユー ブルースカイ サニーサイド サイドバイサイド セレソローサ 雨に唄えば 雨降る町を イエスタディ バナナボート ソーダンスソーサンバ ハートブレイクホテル 好きにならずにいられない アゲイン 素敵なあなた

途中「サイドバイサイド」などではチエミさんもコーラスで参加します。

そして江利チエミ・ヒットメドレーとなります。 
 30周年リサイタルのメドレーのアレンジです。中野ブラザースもフル出演です。  
1.カモンナ・マイハウス  
  ここからテネシーを飛ばして...  
2.上海から30周年メドレーが始まります。 
   ---->君は我が運命までは同じ曲順で進んで行きます。  
 ここで次は「スワニー」になる...ところ、スワニーを飛ばして「キャリオカ」「フライイングホーム」となりメドレーが終了します。
 そしてアンコールとなり... ここで「ミュージカルタイトルマッチアレンジ」のチエミ&いづみ
「スワニー」が再現されます!

>※これまた情報を頂戴しました。(11/5追記)
チエミさんはいづみさんが歌ってる間に「なが----い楽譜」をバックでスタンバってる時に何度か眺めていたそうです。
そしてこのスワニーがアンコールで最後に歌う段になってその楽譜を舞台に広げて床に置いたのだそうです。
「久しぶりに唄うからカウント数えないと・・・」と... タイトルマッチの如くいづみさんが「あらそんな遠くに置いて...老眼だから見えるのね!」といえば、チエミさんは「あ---ら貴方なんか3年ぐらい前から老眼かけてるじゃない」と応える... そんななか舞台に譜面を広げるチエミさんにいづみさんは...「(もたもたしてると)死んじゃうワヨ(年なんだからわたしたち)」...っていう掛け合いがあったそうです。
勿論、盟友雪村いづみさんは譜面を広げてるチエミさんへの助け舟と間を持たすために「仲良しじゃなきゃ言えない掛け合い」をしたのだ・・・と断言できると思います。
しかし、この言葉... 後になって考えるとなにか因縁めいている...というのか、いづみさんにもその時には別段深い意味ももたない言葉だったと思いますが、どこかでいづみさんだけには「いやな予感」というのか...そんな「理屈では判らないなにか」があったのかも知れない... 今となっては何とも意味深であります。

この「スワニー」は圧巻もの!!
勿論本当に譜面を見ていたわけでもなく元気一杯素晴らしいチエミ&いづみのスワニーを熱唱し、最後の日劇を見事に飾って幕が下ります。
>幕がおりかかる絶妙のタイミングに大きな花束が客席から投げ込まれた...のだそうです。(11/5追記)

※江利チエミさんの日劇初出演はメジャーデビュー以前です。
「スイング・サーカス 7景 昭26(1951)年1月26日~2月2日 」
 横井自転車ファミリー、奥野イチロー、江利チエミ、後藤博とデキシーランダース、日劇ダンジング・チーム

(サーカスのバラエティの一場面で歌った。)
>私、中学で、セーラー服着て楽屋へ通ったんです。
私、輪っかに乗っかって、てっぺんに吊り上げられて、シューッと降りてきたのを憶えてる。まだ江利チエミとして世の中に知られていなかった頃。『テネシー・ワルツ』を出す前です。」  (『ビギン・ザ・ビギン(和田誠・著)』での江利チエミ本人の述懐より)

歌った曲は「カモンナ・マイ・ハウス(家へおいでよ)」だったとか... チエミさんは確か「高所恐怖症」...必死の挑戦でもあったと思われます。

この「日劇初出演」のくだりは下記も参照してください。
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/c5e2b001e1ff130a8a79e39343e349e8


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