ここは若狭高浜 内浦公民館

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内浦ふるさと探訪(山中編)第6弾

2008年11月14日 | 内浦って…
山中編(第6弾)

それでは第5弾の続編へ

    【・・・・・・石碑が倒れるのだ。

     起こしておいても、船が難破すると

     また倒れる。

     いつもいつもその繰り返しだった。

     かつて、ここは罪人の処刑場だったという。

     死んだ罪人たちを供養した石碑が、

     せめてもの罪ほろぼしに、難破船を村人に

     知らせるのだろうか。

     石碑は、山から下ろされ今は西林時の

     境内におさめられている。

     ここに来てからは、もう倒れることが

     なくなったという。】


昔は、本当に不思議なお話が多いですが

今現在では、あまり言い伝えるような

話がありませんね。


昔石碑があったという場所です。




西林寺の全景です。




移された石碑です。




今も大切にお護りされています。




これでとりあえず内浦地区を


ぐるりっと周って来ました


それぞれの地区に様々な


言い伝えがあって・・・・・・


内浦って本当にいいところです。




今回は、高浜町誌と若狭高浜むかしばなし




よりお題をいただきました。




もっともっと、各地域の長老の方々に




お話を聞けば色んな話が聞けると思いますが




初めての「内浦ふるさと探訪編」だったので




大変でしたが、次回はじっくりと探訪できれば




と思っています。




またそのときは、予告をいたしますので




よろしくね。




探訪編を読んでくださった皆さん




ありがとうごうざいました。




それでは、またお会いしましょう。







内浦ふるさと探訪(山中編)第5弾

2008年11月12日 | 内浦って…
はい 山中編の第5弾です。


こちらも 若狭高浜むかしばなし に掲載されている


お話です。


「山中の石碑と難破船」


      【昔むかし、山中のこんもりした山の中に

       古びた石碑が立っていた。

       ある日のこと、村人が山の方を見てみると

       その石碑が倒れている。

       「大変だ、船が難破しているぞー!」

       「ほんまじゃ、ほんまじゃ、早く助けに

        いかにゃならん」

        倒れた石碑を見た村人たちは、

        次々にあわてだした。

        不思議なことに、若狭の海で船が難破

        すると必ずこの石碑が倒れるのだ。

        ・・・・・・・】



さてさてどうしてでしょうか?


不思議な現象が起こるものです。





この続きは第6弾で・・・・ね。 





お楽しみに 





じゃーね・・・・





よろしく  





内浦ふるさと探訪(山中編)第4弾

2008年11月10日 | 内浦って…
さて山中編第4弾です

何のお話でしょうか?

「山中の大伽藍」=(やまなかのだいがらん)

というお話をしましょう。


     【大むかし、山中から白井へ行く途中、

      一方は山、一方は谷のところに「ヤマノエ山」という

      大伽藍があったといわれる。

      その伽藍のものであったとされる仏像が五体、

      今も内浦にあるお堂に奉られている。

      神野には、阿弥陀如来の坐像一体と

      金剛力士像の二体があり、神野浦には阿弥陀如来坐像

      が一体、小黒飯には薬師如来坐像が残されている。

      これらの仏像は、もとはいっしょにまつられていたもので

      その場所が、伽藍であるという。

      七堂伽藍は、戦国時代に織田信長によって

      焼き払われ、そのときのものは四体の仏像以外

      いっさい残っていないそうだ。

      天正四年(1574)に反信長派の武藤友益を討ったときか

      または、丹羽長秀城わり(城をこわす)の天正十二年

      ころに焼き払われたとされているが、確かな記録はなく、

      炎の中から五体の仏像だけ、辛うじて持ち出されたと

      いい伝えられているだけである。

      山の中に広い寺院が建てられていたといい伝えられる。

      そこへの道案内のように、

      古びた地蔵が、今も立っているのが不思議である。】



というお話でした。


写真を入れるといいのですが


村の人に迷惑がかかるといけないので


今回は、写真なしです・・足からず。


まだまだありますよ




それでは第5弾を




お楽しみに




じゃーね・・・・・




よろしく  






内浦ふるさと探訪(山中編)第3弾

2008年11月08日 | 内浦って…
はあ~~い 第3弾 亀ヶ塚の続き

さてはて結果は如何に・・・・・ 


     大急ぎで、その落とし穴の所へ飛んでいった。

      【「どこに猪がかかったんや」

       だまされたとも知らずに、亀吉は身をのりだして

       落とし穴をのぞきこんだ。 そのとき

       「うわ・・・っ!」

       亀吉は、突然後ろから突き落とされた。

       そして、あっという間に村人たちに

       生き埋めにされてしまった。

       村人は埋め穴の上に一本の松の木を植え、

       そこを亀ヶ塚と呼んだ。

       やがて大きくなった松はいかにも乱暴そうで

       何とも不思議な形をしていたそうだ。

       それから長い長い年月がたち、

       その松もいつしか切り倒された。

       亀吉の話もすっかり忘れられ、あたりには

       たくさんの梨の木が植えられた。

       やがて一面の梨畑が生まれ、毎年毎年香りの良い

       梨がたわわに実るようになった。

       けれど、今も亀ヶ塚と呼ばれる場所には、

       一つも梨が実らないという。

       村人に深い恨みをもつへんくつの亀吉が、

       亀ヶ塚にひっそりと生きているのかもしれない。】




この写真のど真ん中ふんわりした辺りです。



約30年ほど前に梨園がありましたが、

今は、山林になってます。

周りをぐるりと眺めると

山・海・川どれをとってみても

そこには、何かがある。

自然とはそう言うもの・・・・。

その中から必ずや新たなものが生まれてくる

だから、自然は大切にしないと

人間の都合で破壊していると

いつしか、自然からの逆襲が生まれて来るかも・・・・ね





それでは  山中第4弾を




お楽しみに 




じゃーね・・・・




よろしく 














内浦ふるさと探訪(山中編)第2弾

2008年11月06日 | 内浦って…
はあ~~い山中編第2弾で~~す。


今回は若狭高浜 むかしばなし に掲載されている


   「亀ヶ塚」のお話しですよ。


     【山中の梨畑には、亀ヶ塚と呼ばれる場所がある。

      何百年もの昔、このあたりには亀吉という男が

      住んでいた。

      村一番のへんくつで、その上とんでもない

      乱暴者とあって、村人はほとんど困っていた。

      「また亀吉が、騒ぎを起こしたそうじゃ」

      「亀吉を何とかできる者はおらんのか」

      村人が集まって相談をしていると、

      1人の男が、にやりと笑っていた。

      「いい方法がある。わたしに任せてくださらんか」

      あくる日、男は亀吉の家に行き大声でわめいた。

      「おーい、亀吉!お前の落とし穴に猪がかかったぞー!」

      猪を生け捕るための落とし穴に猪がかかったとあっては、

      さすがの亀吉もじっとしていられない。

      大急ぎで、その落とし穴の所へ飛んでいった。

      ・・・・・・・・・・・】

      



そのあとどうなったか??





続きは第3弾でお話ししましょう。



おたのしみにね。



じゃーね・・・・



よろしく