山本たかしの連絡帳

2023年4月、再選させて頂きました。
3期目も皆さまの声にしっかりと耳を傾け、「輝く平群の未来」を切り開きます!

菊美台自主防災会 救命講習&炊出し訓練

2016年10月16日 | 日記
10月16日(日曜日)、菊美台集会所に於きまして、救命講習と炊出し訓練を行いました。
沢山の住民さんが参加され、盛大に開催されました。


救命講習では西和消防署北分署隊員の皆さまにご協力を頂きました。


まずは菊美台自主防災会の大塚会長より、ご挨拶。




早速、講習に入ります。


ビデオ鑑賞の後、心臓マッサージのコツを教えて下さいました。




各班に分かれ、心臓マッサージの訓練を受けます。


大塚会長の実技の様子。さすが会長~、力強い!




女性陣も頑張っています。




質疑応答のコーナーでは隊員の方に深い質問を投げかけ、それに対して丁寧にご回答下さいました。


続いて、AED(自動体外式除細動器)使用方法の説明です。




隊員の実技。道端で倒れた人を発見!まずは「ご主人さん、大丈夫ですか~」と声を掛けます。


そして呼吸をしているか確認します。呼吸停止の状態です。


心臓マッサージを行いながら、助けを呼びます。「誰か~手伝って下さい~」


「あなたはAEDを探してきてください。同時に救急車を呼んで下さい。」と指示を出します。


AEDを使用し、蘇生を行います。AEDが自動で診断し音声で指示をしますので簡単です!


電流を流すときには、離れて下さい。


その後、息をしていなければ再度心臓マッサージを開始します。ちなみに救急車の平均到着は約8分です。
隊員が到着するまで何回AEDを使用したか、隊員に報告しましょう。


続いては、炊出し訓練です。


先日作製しました真新しいかまどベンチのお披露目を兼ねて、炊出し訓練を開始します。


新しいお釜に米と水を入れました。米5升に水6升。本日は50人前を予定しています。


手を入れて体感しているのは、長女の由季です。




確認後、かまどベンチへ設置。




火種は紙切れと松ボックリ。何故か凄い勢いで燃え始めます。


炊き出しが始まると、続々と集まって来ました。お腹が減っている訳ではなくて、万が一に備えての勉強です。


こちらは豚汁。被災地の炊き出しでは良く見掛けますが、とにかく具沢山で食べると元気一杯になると思います。


今回の特別サービスは、焼き芋。焦げた皮の中から黄金色の甘い実が顔を出しました。


子供たちが寄って来ました。今では焼き芋が珍しいようです。






そうこうしている内に、30分程で白米が炊き上がりました。






炊き出し訓練の醍醐味!みんなでお昼ご飯の準備です。






贅沢ですが、カボチャのトッピング。


それでは、いただきま~す。白米に少しだけ固い部分がありましたが、これもまた経験です(笑)。


熊本震災が発生し、次は南海トラフ地震が予測されます。我々は自分自身で生き延びるために
日頃より防災に対して真剣に取り組んでいます。いざという時にはきっと今日の経験が生かされると私は信じています。
西和消防署隊員の皆さま、お世話になりました。また自主防災会及び住民のの皆さま、お疲れ様でした。





  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知覧特攻平和会館見学

2016年10月16日 | 日記
10月13日(木曜日)、14日(金曜日)の二日間で、個人的に知覧へ行きました。
目的は、先の大戦で特攻隊として旅立って行かれた御霊への鎮魂です。







平和会館内は撮影禁止の為、ご容赦ください。


全国より見学に来られた方々からの千羽鶴が飾られていました。


平和会館横に再現された三角兵舎。特攻の指示が出るまでここで待機されていました。






兵舎内部の様子。当時の状態が再現されています。特攻隊員の方々はここで遺書を書き残したり、お酒で気を紛らわせていました。










平和会館にある数々の石碑です。読む度に胸が締め付けられ、目頭が熱くなりました。




石原前都知事の石碑。


私の出身地である八尾市の大正中学校が植樹をされていました。




隣の公園です。平和な景色が広がっていました。




平成19年に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で忠実に復元された一式戦闘機「隼」。


昭和49年に建立された「特攻勇士の像」。勇ましいのですが、どこかに哀愁が感じられます。




これは練習機だそうです。












背面や側面にもぎっしりと刻み込まれた特攻隊員の芳名。




観音堂に続く道には、全国の遺族・関係者・有志から寄贈された灯ろうが並んでいました。


沖縄での陸軍による航空特攻作戦は、米軍主力が沖縄西南にある慶良間(けらま)列島に上陸した1945年
(昭和20年)3月26日から始まりました。特攻作戦とは、重さ250㎏の爆弾を搭載した戦闘機で敵の艦船に
体当たりして沈める、パイロットは必ず”死ぬ・亡くなる”という「必死」条件の作戦でした。
全特攻戦死者1,036名のうち、439名が知覧基地から出撃しました。奈良県出身の隊員も1人おられました。
薩摩半島南端にそびえる開聞岳(かいもんだけ)、通称薩摩富士を本土の最後の景色として逝かれました。
今回の知覧見学で、命の尊さや平和の大切さを再認識することが出来ました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする