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土の上にも三年

農への道

ゴキブリ

2011-05-22 11:30:54 | どうでも日記(雑記系)
ゴキブリというと、多くの人が汚い生き物と感じますでしょうか。

台所の隅や飲食店のゴミ置き場、残飯やらじめじめしたイメージがそう感じさせているように思います。

あとはあの姿や移動方式、音、時折魅せる(笑)羽ばたき、文章を見るだけで「イヤっっ!!」って人もいますよね。

でも、自然界にはゴキブリみたいな昆虫は山ほどいるわけです。

虫嫌いな人は、虫の何もかもが嫌いなんだろうとは思いますが、それは虫のいない環境で生活しているからではないかと思います。

ですがむしろ、虫のいない環境のほうが地球上では少ないです。

虫のいない環境のほうが不自然だと言えます。

虫にしてみれば、小さい入れ物で不自然に飼われているのは人間の方かもしれませんね。


ゴキブリは人間の生活環境が大好きです。

エサに事欠かないのと、入り組んだ遮蔽空間や適度な室温など、たいへん過ごしやすいようです。

でも実は、人間の生活環境が好きなのではなく、人間の生活環境の汚点に適応しただけなのです。

これはネズミもカラスも同じです。

本来は自然環境の被捕食者だったり1次分解者だったり、循環する環境の一部です。

ゴキブリたち嫌われ者たちは、人間が循環させていない部分を循環させようと人間の近くにいるんだと思うんですね。

ところが、最終的な分解者である土(など)がないために、不自然な分解が行われ、人間に好ましくないウィルス・菌が繁殖するわけです。

快適な生活がゴキブリたちを呼び寄せ、快適な生活がウィルス・菌を生み出し、それを快適にしようと消毒したりするわけです。

でも彼らは分解者。

環境には絶対に必要です。

だから神様は人間に勝てるだけの知恵や能力を与えました。

最近の都会のカラスは夜飛びます。

明るいからです。

ネズミもゴキブリも夜行性なのに、昼夜逆転した環境では昼間活動します。

逞しさの裏側には、人間の怠慢・傲りがあるのです。


残飯が出るのは無駄の証。

遮蔽された快適な空間は贅沢の証。

人間ならびに、人間に都合の良い生き物以外は環境に不要と考える前に、

その生き物がなぜそこにいるのか、

そこで何をしているか、

なぜそうするか、

このあたりを考える必要がありそうです。


人間が残飯を出すからゴキブリやネズミやカラスが集まり、

根本を解決せず自分たちは快適や贅を求めて彼らを殺す。

奪うばかりで還さない生活は、歪みを生むと思います。

歪みはO111・157や鳥インフルエンザなどで現れます。

人間に跳ね返ってきたマイナスは、奪ったまま還さないツケなんです。

全部、(ブームに則って言うなら)人災なんです。

いま使われている“人災”の使いどころには違和感を感じます。

もし使うなら、“人”そのものが“災”いであるという意味での“人災”が正しいと思いますね。


そうは言っても我が家もダメダメです。

いくらこのトリックに気付いても、ボクだけが快適ではいけない。

だからダメダメな生活が家族の快適な生活であるなら、ボクはある程度辛抱しないといけません。(←偉そうですね)

出来ることは、気長に訴えかけていくことです。

何らかの力で人を揺り動かすのは比較的簡単なんです。

どうやって人が自発的に行動するようになるか、それを引き出すのが難しいんです。


真実が一つあったとして、その真実を歪めた嘘の生活の中にボクらはいます。

仮にボクがその嘘に気付いて誰かを促し強制的に動かしたとして、

その誰かは嘘の生活から別の嘘の生活に行きやすいです。

強制的な揺り動かしに反発していればしているほど、可能性は高いです。

自発的な行動しか人間長続きしないんです。

ゴキブリは殺しちゃダメよ、残飯を分解してくれるんだから、なんて言ったところで、みんなゴキブリを殺すんです。

そして残念なことに、ボクはその要望を叶える人間です。

偉そうなことは言えないんですよね。反省。

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