もうすぐ卒業だし、こっそり書いちゃえ、と思うわけだけど、うちの教授は海外生活が長くて、そのせいかなかなかダンディな紳士ということで女子の人気が高い。
僕は行ったことがないけど、教授宅を訪問したりすると、奥さんとのやりとりがとてもやさしくてスマートなんだ、そうだよ。
まあそういう姿は僕も見習いたいとは思うけど、一方で彼があんまり手馴れた様子で女性をエスコートしていたりするのを見ると、自分のことでもないのになんだかちょっと気恥ずかしいような、落ち着かないような気がしたりもするんだなあ。
夕べはどういうわけか、なかなか寝付かれなかった。僕はわりと寝つきがいいほうで、よほど心配事とか腹が立ったとかいうことがなければこういうことはないんだけどね。
それで、なんとなくベッドの中でもぞもぞ姿勢を変えていたら、何かのひょうしに自分の心臓の音がとくん、とくんときこえてきたんだよ。
もちろん、はじめてきいたわけじゃないと思うんだけど、でもなんだか不思議な気がして、しばらく自分の鼓動を感じていたんだ。
でもまたちょっと体勢を変えたら、もう音はきこえなくなってしまった。
それで僕はなんとかまたさっきの姿勢に戻って続きをきこうと思ったんだけど、どういうわけか今度はまったくきこえなくなっちゃったんだよ。
そんなわけだから、あらためて「どうやったら聴診器なしに自分の心臓の音がきける?」ってたずねられたら困っちゃうなあ、なんて思ったりした。もっともそういう質問をされることなんてまずないだろうけど。
僕らはわりと、「自分と何かを共有している人」に親しみや好感をもつ傾向があると思うんだよ。たとえば同郷だとか世代が同じだとか、同じ趣味とか、…あるいは「群れることが嫌い」なところが似ている、って意気投合したりとか。
だけど一方で、自分にはないものにあこがれたり惹かれたりする、ってこともよくあるよね。無口な人がよくしゃべる人と大の仲良し、なんてありがちだ。
この、「同じところと違うところのバランス」がどういう加減でかうまくいくと、すごく相手を好ましく感じたりするんだと思うんだけど、そのバランスがどういうものなのかはまだよくわからない。でももしこれがわかったら、なんだかすごくいろんなことがうまくいきそうな気がするんだけどなあ。
お尻に火がついてきたわけだけど(卒論の提出が近いんだよ)。
苦しみながらも、まあ好きなことだから、それなりに楽しみも見出しながらやっている。
ただね、論文というからにはちゃんと結論づけなきゃいけないわけで、ある程度限られた時間と枚数のなかで何かを言うことの難しさ、っていうよりは無理さも感じたりするよ。どういったらいいかなあ、そもそも本当は「区切り」とか「結論」のない世界(あるいは自然)を、とにかく区切って説明しなくちゃいけないもどかしさっていうかさ。
でもそれが「形にする」っていうことなんだからしょうがない。形にしないあいだは無限になんでもできるように思うことが、いざ外に出せるような「もの」になってみると、これっぽっちか、ってがっかりするわけだけど。それが今の僕の本当の力量ってことなんだろうね。
ちなみに今日の内容とイラストはまったく関係がないよ…。
今日は別のことを書くつもりでいたんだけれど、帰り道にみかけたおじさんのことですっかり他のことはとんでしまった。
そのおじさんは歩いて家に帰る僕を自転車で追い抜いていったんだけれど、その耳にええと…耳あてだっけ、それを(上の絵のように)あたまの後ろにまわしてつけていたので思わずびっくりして凝視してしまった。なんていうか、これってちょっと珍しいよね?年代的に「耳あて」をつけるのも珍しいし、そのつけ方がまた独特だし。
でも多分、おじさんの髪はかなり決まっていたから、普通にたてにつけないで後ろにまわしたのは彼のこだわりというか工夫だったんだと思う。それで、その格好は決してお洒落ではないかもしれないけど、なんだか僕は瞬時に「いかすなあ」って思ったんだよ。
何かと片付かないこまごましたことに気をとられながらラウンジを通りかかったら、久々だけどなじみのある、秀虎の赤いダウンジャケットが眼に入った。特に用もなかったので例によって顔であいさつだけして通り過ぎようと思ったんだけど、何か違和感を感じてもう一度みると、彼は眉間にしわを寄せてパックのイチゴ牛乳を飲んでいた。
いや、別にいいんだけどね、イチゴ牛乳でもフルーツ牛乳でも好きなのを飲んでくれれば。ただ言わせてもらうと、なんとなくそういうものを飲むときはもう少しリラックスした雰囲気とか楽しそうな雰囲気とかのほうがしっくりくると思う。
もっとも眉間のしわはわりと彼の顔の基本なので、文句をつけるのは気の毒ってものだ。でもおかげで、どうやら僕の頭の中には勝手に「イチゴ牛乳を飲むにふさわしい人とその状況」っていうのができていたらしいことがわかったよ…いや、本当にどうでもいいことだけどさ。
薔薇の花をちょっと丁寧に描いてみたいな、と思って以前撮った写真なんかをながめながら、ふと。
もしもこの美しい花に棘がなかったら、案外とこれほど人々に愛されることはなかったかもしれないなあ、なんて思ってしまったよ。