8月29日(金)
中津城は黒田官兵衛が地形を考え海上交通に便利な入り江に築城したそうだ。大阪まで3日間で早舟と称する船で情報伝達したとされる。優れた先見性である。
信長。秀吉、家康から軍師としての才覚を認められ、日本国の礎を作った凄い男であったと私は感じた。
残念ながらテレビで放映されるまで知らなかった。恥ずかしい。
凄い理念、判断力をを持っている。戦わずして相手を負かす。農民思いの倹約家、愛妻家であり、キリストの洗礼を受けた信者、並外れた人望、説得力は現代の政治、経済、道徳心等すべてが感心するばかりである。
中津城(なかつじょう)は、豊前国中津(現在の大分県中津市二ノ丁)にあった日本の城。黒田孝高(如水)が築城し、細川忠興が完成させた。江戸時代の大半は、奥平氏が居城としていた
徳川家康の長女亀姫が嫁いでいた来たとき、家康から鱒られた鎧カブト。
天守閣から海岸を眺めると海上交通、石垣の造りは官兵衛の思いが少しは理解できたようだ。