へたれなーす、時々修行日和

――心にうつりゆくよしなしごとを、気ままに綴ります。

さくらは、咲く。(2)

2016-10-24 | 日々是好日
そうして行くことになったビー・バップ・ハイスクール、
…おっと。もとい、の母校。

まず、
制服可愛くない。
野球県内最弱、一回戦敗退はいつものこと。

通学時間は自転車で1時間20分。
勾配も多く、余りに遠すぎて、慣れないうちは途中で休憩することもあった。
電車を使うと、一度渡った川を、その川下辺りでまた、
渡る必要があるので2時間。
しかし、この所要時間はあくまで麓までの時間。
登校するためには、
そこから勾配20%全長2kmの心臓破りの坂を上がる必要がある。

入学式当日から、早速事件は起きた。
パイプ椅子を薙ぎ倒して登場した入学生。
その場で取り押さえられて謹慎となった。
その様を見て、はこれからの3年間を黙して過ごすことにした。

当時ミニスカート、ルーズソックスが流行り、女子たちは皆、
どんどんスカートを短くしていった。
髪は毎月カメレオン色に変化し、
制服のカッターシャツは、第3ボタンまで開けていた。
は、足首までのロングスカート、アンクルソックスにして、
第1ボタンまできっちり留めた。
髪は、黒髪超ベリーショート×ちょびっと刈上げにしてみた。

そして、“一人自転車部”を密かに発足、は部長だ。
変速付き27インチ、ブリヂストン製の自転車を買ってもらった。

部訓は、
雨ニモ雪ニモ、空腹ニモマケズ、自転車デ通学スル。
ソノヒト漕ギガ、卒業ヲ近クスル。

1時間20分の所要時間は、気付けば50分となった。
手放し運転も上手になった。
新入部員を迎えることもなく、は卒業、
3年間の心の拠り所であった、“一人自転車部”を静かに廃部した。
その頃には、所要時間は30分程度にまで短縮していた。
だが、そんなことはどうでもよかった。
ただただ、この3年間、ひとつのことを為し得たという、
妙な達成感だけがあったのを覚えている。

今、この3年間を思い出してみても、
笑い話や嬉しかったことばかり思い起こされる。
恩師に出会えた。
本来は1校しか認められない推薦枠を、のために2校用意してくれた。
“好きな方を選んだらいい。行かない方は、先生が謝りに行ってやる”、
とまで言ってくれた。

そうして行くことになった看護学校。
合格者はともう一人だけで、本校初であったという。
でも、そんなこともはどうでもよかった。
今年の推薦合格者として朝礼で名前を呼ばれ、
壇上に上がり、何か言わされたらしいが、
なんとはその時、立ち入り禁止の学校の裏山で、
ウリ坊と遊んでいた。

立ち入り禁止は、立ち入るためにあり、金網は越えるためにある。
金網の網がなぜ、クロスするように編まれているのか。
それは、金網を越えるのに足をしっかり掛けるために編まれている。

だってその先に、麓からは見えない山桜と、可愛いウリ坊がいるから。
金網を越えたから、見えていなかったものに出会えた。
長く寒空ですぼんでいたさくらの蕾は、漸く綻び始めていた。