お大師様のむら

太陽の恵みをいただく“いしがきむら”こと高野町杖ケ薮。
そこで活動した元むらづくり支援員の日記。

長老の大往生

2012年12月12日 | 日記

12月10日夜
むらの生え抜きの最長老
 京子さんのご主人が亡くなられた

その日 大阪の常連さんをお連れして
 杖が藪を訪問
おっちゃんの家を訪れていた
 様子はいつもと変わらず
ストーブの前に腰を下ろし
 肩たたきで トントン トントン

番茶をすすめると
 「いやいい」
注いでいたカップを見ると
 「入れてあるんならいただく」
心配りのあるいつもの言葉

先日も雨でぬれた畑を借りて
 玉ねぎの苗を植えた
あと30ほどを残し
 借りた畑はいっぱいに
京子さんが
 「下の畑に植えよ」
重い土に疲れ果てていた私は
 顔をゆがませた
その顔を見逃さんかった長老は
 「しんどいな」

口数は少ないが
 思いやりと温かみのある言葉

「はい!まあ上がって」

「はい、おあがりなさい」

「ゆっくり食べて」

笑顔と大きな声と
 柴割りの音
耳から離れない

安らかにお眠りください


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Mさん逝く

2012年04月13日 | 日記

昨日12日
 野迫川村の役場職員
Mさんが不慮の事故で急逝された

高野山の『まちづくり研究会』の
 なくてはならない主力メンバーのおひとり
また、巷で近頃流行の
 陰の『スーパー公務員』でもある

公私にわたり、地域づくりに尽力され
 しかしながら『公』の部分では
その活動がなかなか評価されず
 仲間内では 『awayな男』 としばしば揶揄された

その計り知れない情熱で
 一昨年誕生した待望の第一子に
奈良と和歌山との架け橋に…
 との想いを込めて
『和紀』 と命名されたと聞く

 

そんなMさんには
 着任当初から応援いただき
大阪経済大学での特別講義へのパネラーとして
 私を推薦してくださったり
高野山大学での講義に聴講に来てくださったり…

また、この杖ヶ薮も応援いただき
正月のおこないには、昨年今年と
 寒い中参加していただいたり
そのおこない行事の研究をされている
 東京の元大学教授へ紹介くださったり…

杖ヶ薮と野迫川村をどうにか繋げようと
 心を配られた
支援員の職を解いた私は
 これからその恩返しに活動しようと
来週のまち研でお会いするのを楽しみにしていた

野迫川村北股地区の復興を夢見て
 夜食用の愛妻弁当を自慢げに頬張るMさん

我々のこれからの活動を
 あーでもないこーでもないと
ちゃちゃいれながら
 見守ってください

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緊急速報

2012年04月11日 | 日記

緊急事態発生です

いえ、発生したのは先週3日のことで
 発見したのが8日

先の爆弾低気圧では
 私はむらを留守に
帰宅後聞くと
 たいしたことなかったで
とのお話しで安心しきっていました

ところが
 実は大きな被害が発生していました

               

          

四連杉の一本が裂けるように折れ
 2Mほどを残してその幹が
社務所と踊り舞台の屋根へ
 横たわっている

鳥居と
 昨年秋新しくした
鐘つき堂は無事だったのが
 不幸中の幸いだった

               

 

昨日
 むらの週末住民しんちゃんが
屋根に上がり杉を残して
 犠牲になった無患子の木の枝や
 杉の枝を落とし
たまたま訪問していた
 大阪からの常連さんお二人に
清掃をお手伝いいただいた

               

残った杉の処理と
 破れた屋根の修理

               

大きな仕事が残されました

          


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無題

2012年03月30日 | 支援員の思い

この日記も長いことお休みしておりました。
楽しみにしてくださった数少ない読者の方には
 申し訳ありません。

私も含め、むら人は皆元気に寒い寒い冬を乗り越えました。
ご安心ください。

平成21年8月に着任、23年度末の明日で任期を終えます。
むら人が望めば1年延長もあり、もちろんむら人からはそう望まれました。
しかし、同じ人間が延々と国税で暮らしを成り立たせることは、果たして望ましいことなのか。
それよりも、また新しい人材が違う目で新しい風を吹き込んでほしいと思い
 ちょうどこのブログのお休みあたりに、役場へ打診した。
区長さんには冬の始まりころにその旨お伝えし、滞りなく次の段階へと促したつもりだった。
しかしながら、肝心の役場は
 『この事業は本当によかったのか』といまだに思考しているという…
A4の紙一枚に、『3年間の活動報告』をまとめて提出をと。
今に始まったことではないけれど、あきれて、情けない。
現場に足を運ばず、生の住民の声を聞こうとしない行政に
 進歩があるはずがない。

地域の活性化に決定的な打開策などありはしない。
いくつもの仕組みの絡まりによって、ひとはそこへ住み続け、地域が維持される。
その仕組みの試みの一つが、『支援員事業』。
高野町の『前政権』は、
 支援員をそこに住みつかせ同じ暮らしをすることにより、
 地域が維持されてきた要因を一緒に探り、未来に役立てようとされた。
私支援員は、
 生活の中で見聞きする事柄から、
 一地域に凝縮された、日本人の暮らし、人生、歴史、変化を体感し
 ここでは未だかつてなかったであろう、生涯現役の夫婦二人の暮らしをまっとうしようとするむら人に
 尊敬の念を持ち、光をあてて、その価値をむら人に伝えることに心をつくした。


来月8日、
 このむらでまた、小さな上遷宮が執り行われる。
むらを取り囲むように先人たちによって祀られた
 丹生神社、八王神様、白龍様、八幡様、荒神様
このうちの、白龍様と荒神様のお社を新しくする。
 『次のもんらはようせんやろから、わしらがしよら』

ご先祖様から受け継いだ信仰、暮らし、文化、仕組み、風土…
まさに今が、それらを受け継ぐ最後の最後の時。
どうか、どうか次の世代の者たちが、住んで、暮らして、つむいで
 また次の世代へつないで欲しい。

大経済、グローバル化、人口集中、超高齢化、それから…原子力
きりがない人間の欲望の結果の様々な現象に
 対処療法的に右往左往としている政治

そんなものに振り回されることなく穏やかに
 自然の一部として暮らしを営み、自然を畏れ祀り
人生の浮き沈みを悩みながら、楽しみながら、
 つぎに続く者たちを育て、手渡し、その役割を終えて
静かに逝く

その土地に跡取りとして生まれついた幸せを見出して欲しい
そして移り住む人たちを導いて欲しい

 


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本物の暮らし

2011年10月20日 | 日記

見事な秋晴れの中
10月第二日曜日
 恒例の八幡様の秋祭り
お寺の後の石垣の上に
 むら人が並び始まりを待っている

滞りなく行事が行われ
 その後の一杯の場で
一週間後の氏神様の上遷宮の
 最終打ち合わせが
むら人元むら人たちで話し合われた

 

そうして解散後
 お夕飯をお宮さんの係りのえい子さんご夫婦宅で
 いただいた
「なぁんにも無いのよ~」
 と魚を焼く準備

七輪と火種のおがくず、そして
 お風呂焚きでできる消し炭
炭よりも火力が弱く火がつきやすく
 魚を焼くのにちょうどいい

               

魚が焼けた後の火で
 ちょっと寒くなって暖をとる
そろそろこのテラスでの夕食も
 終わりかな

               


石のテーブルの上には
 大根おろしに自家製葱をたっぷりときざみ入れ
 ポン酢をかけた薬味と
 焼きたてのちょいと焦げた塩鯖
そして一番のごちそう
 えい子さんご自慢のふっくらと炊けた
 茶がゆ
一緒にいただくのは
 自家製トウガラシの葉っぱの佃煮
 きゅうちゃん漬けとミョウガ

                    

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上遷宮~その3

2011年10月20日 | 日記

9月29日

この日までも
むらのおばちゃんたちは
 踊り舞台や社務所を拭きあげていた

そしてこの日は
私も体が空き
 本殿周りの落ちた杉葉や生えた草を
きれいに掃除する作業

               

               

昔取った杵柄で
おばちゃんたちは斜面を
 上から下へ葉を落としていく

若いころは下草刈りに
 近隣のむらまでそこらじゅう仕事をしたそう

一服しながら
 わいわいと話に花が咲く
耳が遠い京子さんとは
 とんちんかんな会話になり
大きな声で何度か話していると
作業に来ていた高根の大工さんの
 息子さんが思わずふきだしたそう

そんな楽しい一日だった

               


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上遷宮~その2

2011年10月20日 | 日記

9月19日
数日前から女たちの準備は
 始まっていた

20年降り積もった落ち葉が
 土になり
本殿周りで埋まった玉石を
 掘り上げてあった

台風12、15号の影響か
 お宮さんの水が途中で止まり
細々と筋のよう
何日も前から水を連れて来てよ
 と、男衆に頼んでいたが
むらに住む年寄りに
 山に入って水路を探す体力がない

とうとうしびれを切らして
 えい子さんの号令のもと
私も加わり
 えい子さん、まさちゃん、きよえさんが
作業に取り掛かった

すると運よくこの日
 お宮さんの水と同じ水元を利用している
週末住民が
 水を連れて来てくださり
少し水量が増えた…
と言っても桶いっぱいになるには
 ちょっと時間がかかる
きよえさん宅から借りた
 10メートルはあるホースで
手洗い場から
 本殿へ階段を上がってくる
それを一端桶に溜め
 さらにバケツとたらいにすくい取り
玉石を入れて洗う
水を替えられないので
 ほとんど泥水
それでも
 一生懸命手袋に穴をあけながら

「年いってもこうして出来んのやから
  有り難いこっちゃ」

そう言いながら
 いつのまにか全部洗い終えた


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杖ヶ薮って…どこ

2011年09月25日 | 支援員の思い

今日は秋のお祭に向けて毎年恒例の車道の道刈り。
国道の清川から集落へ1.2kmを
 男性陣は山側のたまった土かき
 紅一点のわたしは独り道へ落ちた落ち葉を谷側へと吐き落とす。
今年は急な告知だったこともあり、例年よりも少ない人出。
午前中で終わらず、午後3時までかかった。

一緒に汗をかいた労いに区長さんは、近所の私とお隣のまっちゃんの次男さんを外食に誘ってくださった。
昨年は宿温泉横の食堂だったが今年は大掛かりな建て替え工事中のため
 高野山の居酒屋さんへと車を走らせた。
まだ夕方早かったせいか、2軒にふられ(準備中?)3軒目でようやく喉を潤せた。
運転手役のお隣さんが所要で1時間しかお付き合いできないとのことで
 お店の方に送っていただけないか聞くと、できますよとの御返事。
場所を尋ねられ、「杖ヶ薮入り口まで」「え?どこですか?」「富貴へ行く途中の…」
 それでもわかられない店員さん。富貴すらもピンとこない様子。

これが話に聞いた『高野山の意識』。山内だけが高野町。

このようなことは商売をされている人だけの話ではない。
信じられないことに行政も、である。
さすがに場所を知らないということではないが、先月の高野町広報に目を疑った。
災害時の避難場所に、杖ヶ薮地区は「旧杖ヶ薮小学校」と書いてあるのだ。
ご存知ない方には小学校のどこが問題なのかと思われるだろうが、
 国道371号から数十m入った山と山の間、谷間の川沿い。
 冬は全く日が射さず、老朽化は激しくトイレは使えない、廊下は床がめくり上がっている。
それよりも、私が赴任した翌月、龍福寺に防災無線が設置され、避難した際の避難者名簿が置いてあり、
 和歌山県の広報『県民の友』の記事にまでなっているのだ。
ケアレスミス、ではないだろう。杖ヶ薮に訂正の連絡はないようだし。
『知らない』のだ。
 たった9名しかいない(住民票上)集落のことなど…

        これ以上考えるのはやめた方がいいようです

話を戻して、高野山で商売をされている方。周辺集落を上手に商売相手としてみては。
品物が豊富、選択肢が多い橋本市、五條市よりも
 地元のかゆい所に手が届く品物、サービスを利用したい。
高野にしかない物を買いに、ついでに他の物も買って帰ろう。
車で15分の場所で打ち上げをしたい、送迎があれば。
いい例は、『肉は吉田屋しかいい』や『南山苑のお買いものサービス』。
まだまだ余地はありそうですよ。

コメント (2)
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まさちゃんの仕事

2011年09月16日 | 日記

秋の杖ヶ薮は忙しい
彼岸講、八幡様秋祭り、丹生神社秋祭りの準備
冬野菜の播種、苗作りの合間に
普段できない畑や屋敷周りの
 石垣やむら道の清掃に各家々が精を出す

私もここ3日程草引き
 龍福寺周り
 駐車場周りとその石垣
 八幡様
そして昨日は
 空き家になったお宅とその畑跡の間にある
 むら道と石垣
30年ほど前から住まなくなった屋敷跡地
これまではその下に住む
 区長さんのお姉さんまさちゃんが手を入れて来た

昨日残暑厳しい中一緒に作業
石垣と側溝の草を引いて
 道の下の生垣の下や
 石垣上の槙の木の下に
ぽいぽいっと放り込んでいた

するとまさちゃんからダメだし
「お姉さん、ふわふわとのせたらあかん
  上から押して」
「美しい仕事せんとな」

久しぶりに聞いた
 『美しい仕事』

お昼前に終ると
「家でお昼呼んだらええのやけどな
  何にも御馳走してないんでな」
「わたしは昔っから男みたいなことばぁっかりしとんので」
と、まさちゃん

高野山の女学校の一期生として卒業後も
 病弱だったお母さんを助けてお嫁に行かず
橋本にある田へ歩いて通ったり
 山仕事畑仕事 夜なべでつくろい物をしたり
苦労されたと他のおばちゃんから聞いている

仕事の仕方をほんの少し教えて頂いた
 それで充分です


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道刈り

2011年09月12日 | 日記

先週土曜日
年に一回の道刈りの日
東の山へ宿地区へ続く
 むら道の草刈り補修
毎年3班に別れ
 それぞれが日を決めて行う

昨年は週末むら人の班に参加
 索道跡まで行った
今年はえい子さんの班
えい子さん、恵美子さんの御長男、まっちゃんの御次男、けん坊さん
 男衆は7時前から出発し宿地区まで
 女衆は7時に出発途中で折り返す

草履のおばちゃんきよえさん宅から
 東へお墓の方向へ
途中道が分かれる

出発してすぐに倒木
 台風の影響
他に欅も倒れていた

               

恵美子さん一家の山田跡を過ぎ
 折り返しの『栂尾』と呼ぶ尾で休憩
腰掛けて椎の実を拾ったりして
 えい子さんからおやつとジュースをいただく
木々を眺め
 昔の山小屋を観察して
 ふと目線をあげて、おや?

                

なんだか、何かが不自然
何か見えませんか?

               

雑木の枝が延びた先の
 細い杉か桧の木の先に
雑木の枝が曲げられ葉が枯れています

もしかして…
冬の雑木林の
 裸になった木々の上に残される
あれでは…

熊さんのベット
 でないことを願います


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