今日は秋のお祭に向けて毎年恒例の車道の道刈り。
国道の清川から集落へ1.2kmを
男性陣は山側のたまった土かき
紅一点のわたしは独り道へ落ちた落ち葉を谷側へと吐き落とす。
今年は急な告知だったこともあり、例年よりも少ない人出。
午前中で終わらず、午後3時までかかった。
一緒に汗をかいた労いに区長さんは、近所の私とお隣のまっちゃんの次男さんを外食に誘ってくださった。
昨年は宿温泉横の食堂だったが今年は大掛かりな建て替え工事中のため
高野山の居酒屋さんへと車を走らせた。
まだ夕方早かったせいか、2軒にふられ(準備中?)3軒目でようやく喉を潤せた。
運転手役のお隣さんが所要で1時間しかお付き合いできないとのことで
お店の方に送っていただけないか聞くと、できますよとの御返事。
場所を尋ねられ、「杖ヶ薮入り口まで」「え?どこですか?」「富貴へ行く途中の…」
それでもわかられない店員さん。富貴すらもピンとこない様子。
これが話に聞いた『高野山の意識』。山内だけが高野町。
このようなことは商売をされている人だけの話ではない。
信じられないことに行政も、である。
さすがに場所を知らないということではないが、先月の高野町広報に目を疑った。
災害時の避難場所に、杖ヶ薮地区は「旧杖ヶ薮小学校」と書いてあるのだ。
ご存知ない方には小学校のどこが問題なのかと思われるだろうが、
国道371号から数十m入った山と山の間、谷間の川沿い。
冬は全く日が射さず、老朽化は激しくトイレは使えない、廊下は床がめくり上がっている。
それよりも、私が赴任した翌月、龍福寺に防災無線が設置され、避難した際の避難者名簿が置いてあり、
和歌山県の広報『県民の友』の記事にまでなっているのだ。
ケアレスミス、ではないだろう。杖ヶ薮に訂正の連絡はないようだし。
『知らない』のだ。
たった9名しかいない(住民票上)集落のことなど…
これ以上考えるのはやめた方がいいようです
話を戻して、高野山で商売をされている方。周辺集落を上手に商売相手としてみては。
品物が豊富、選択肢が多い橋本市、五條市よりも
地元のかゆい所に手が届く品物、サービスを利用したい。
高野にしかない物を買いに、ついでに他の物も買って帰ろう。
車で15分の場所で打ち上げをしたい、送迎があれば。
いい例は、『肉は吉田屋しかいい』や『南山苑のお買いものサービス』。
まだまだ余地はありそうですよ。