世間という言葉は、仏教用語だそうだ。
更に、出世間(しゅっせけん)という言葉もあって、世間とあわせてこの世を二分して見る言葉であり、
世間とは移り変り、破壊を免れない迷いの世界という意味だそ~だ。 <・・・勉強の秋!>
最近の日本人は、 ” 世間の目 ”と言うものを忘れているのではないか!?
TVでもよく語られる、昨今の国民の安全を脅かすお役所や企業の背徳行為 = <イコール>
『 バレなければなんでもあり 』 は、完全に世間の目を無視したインモラル行為ですネ。
人間や企業が社会に嘘をついたことがバレた時、その嘘が大きければ大きいほど、世間から受ける
欺瞞の代償は大きいという事を忘れているのだ。あんなに儲けたお金も一晩で水の泡だよネ。
一方、世間の目というと全く逆のニュアンスで語られることもある。
「世間」をある種の権力に喩えたり、村八分などとバッシングの意味にも捉えて、個人の自由な言動を
抑止する力、強制力を持つ意味では、生活しにくい ”煩わしい掟 ” なんだと思う。
この国では世間は、仏教用語とは思わず一般名化して、「この世」「世の中」「社会」のことを表す用語
として使われる。まさに我々が生きているフィールドそのものだ。
「世間」と書いて「よのなか」と読むこともある。 人は決して自分一人では生きていけない。
いくら世間が移り変わっても、やっぱり人間は世間の目を大切にしなくてはいけないヨ、という事をこの
地蔵離れした顔を持つ道端の地蔵は、毎日雨風夜露に晒されながら見守ってくれているのだ。