視野という名の万華鏡

人は狭いもの…

転生論

2007-09-14 11:28:01 | Weblog
久々に書くなぁー自論シリーズ。
まぁこれは結構前から考えてたやつですな。
<転生論>これは簡単に言うと人間は一度死ぬことであたらたにその力を発揮する。ただしこれでは「死んだら意味無いじゃん」ということになってしまうので、まず前提として肉体と精神の分離について考えなければならない。「肉体と精神」自分は以前の魂と器で話したとおり二つのものから人間は構成されてると考えている。そして肉体が死んでしまったらそれまでであり、精神だけでは生きることはできない、そのため精神は新たな肉体を求め器を捜し求める。では精神が死んだ人間はどうなるだろうか?もちろんただではすまない。とりあえず一般に言う鬱状態になり、そして考えがまとまらずぐるぐる同じ道を迷走し続ける。
しかし、この迷走から抜けれた人間は精神が破壊される前と後では脅威的な違いを見せる。これが転生論の主体である。この論は実際に多くの人が実世界の中で確認してるかもしれない。小さいころに親を亡くしたとか、捨てられたとか、学校でいじめなどにあったとか、人生においてとても辛い出来事があったときに、人はどのような行動を起こすか?一人は自殺するかもしれない。一人は引きこもってニートになるかもしれない。現在の日本を見る限りでは大体15%自殺をして35%が引きこもりになってるくらいの比率ではないだろうか?ではあとの50%は?
そう悲惨な状況から立ち直ったことになる。絶望から立ち直ったとき能力は開花される。絶望というのは人によって度合いが違うもしかしたらとある人から見たら君の絶望なんて大したことないと思うかもしれない。自分としては能力向上において絶望が大きければ大きいほど能力も大きいと感じている。
事実自分の知り合いで小さいころに親が離婚や亡くなった人でこの転生論が適用した人を数多く知っている。そして俺も過去に一度死んだ。そこから立ち直り大学に入ってから能力が上がっている。確かに偶然かもしれない。しかしそこに魅力を感じる。

問題発言ではあるが人体実験を行ってみたいと思う。小さい子をどん底に落として立ち直らせたとき果たしてその子はどれだけの力を見につけているのだろうか?実に興味深い話である。