産後うつと戦う

私は産後うつ経験者33歳2児の母。
産後うつの方が集える会を主催しています。会の情報もお伝えしていきます。

6度目の心療内科。

2006-10-31 19:50:29 | Weblog
 心療内科に行ってきた。やりとりは以下の通り。
「その後、体調はどうですか?」

「比較的、落ち着いて過ごせたのですが、先週実家に帰って、あまり体調がよくなかったので、その間は朝と晩の2回薬を飲んでました。自宅に帰ってきてからはまた1日1回に戻しました。」

「そうですか。今、困っていることとか、気になることとかはありますか?」

「特にはないのですが、人に会う機会が多かったり、実家に帰るとかの環境の変化があると、その次の日、ぐっと気持ちがおちこんでしまうんです。」

「そうですね、普段と違うことが多いと難しいかもしれませんね。あんまりそういう機会が多くないように過ごした方が良いかもしれません。まだ、心のエネルギーを蓄えるまでの力が戻ってないので。また1日1回の薬でやっていきましょう。」

次回は3週間後となった。いままで2週間後の診療が続いていた。3週間後となったのは心療内科から見て私の状態が良さそうに見えたからか。

 今日は時間に余裕があるうちに夕飯を一部作っておいた。いつも料理をしている間に待たれていることに変なプレッシャーを感じていたから、ある程度夕食ができていると楽。
 明日は長女の遠足。保護者はついては行かないがお弁当を作ってあげなくては。早起きしないとな。前だったら主人のお弁当を毎朝作っていたから子供のお弁当なんて何てことないことだったのにな。長女と一緒にスーパーにパックの緑茶を買いに行った。なかなか見あたらなくて、
「またないや。どこも置いてないね。」
というと、長女が、
「みんなお茶が好きだからみんな買って行っちゃったんじゃない?」
と、3歳児のかわいい反応。ほのぼのの瞬間でした。

話ができた。

2006-10-30 21:31:45 | Weblog
 主人が朝1時間と、午後3時間、時間給を取ってくれた。気分的にすごく楽になった気がする。その間、長女は保育園に行っていたので、話を遮られることもない。次女は良い子にしてくれたし。育児のこととか、新しい家のこととかいろいろ話ができた。途中、次女がうんちをズボンにおもらししてしまい、デパートで急遽新しいズボンを購入。デパートで子供服を購入すること自体、初めて。値段の高さにびっくり。大人の服が余裕で買える値段。主人は次女はほとんどのものがお下がりの服だからと、ズボンを買ってあげたことに満足の様子。次女にとっては購入してあげた服の2枚目となった。1枚目は私がフリーマーケットで買った50円の服。本当に我が家は下流。まあ、楽しい下流。
 今日はボランティアの日だったが、時間的に忙しそうだったので朝の時点で休むことにし、連絡を入れた。自分の体調に合わせて日々生活しようと最近は努めて思うようになった。明日は心療内科。実家での生活で何段階か後戻りしてしまった形になったが、それを伝えなくては。

自宅に帰ってきて・・・。

2006-10-28 20:25:54 | Weblog
 実家から自宅に帰ってきた。やっぱり実家での数日間は自分の今までのペースを崩すものとなった。薬も増えてしまったし。自分の親兄弟で、気を遣ってないつもりでもやっぱりどこかで気を遣っているんだろうな。
 実家にいる間は何かと忙しかった。昼ご飯、夕ご飯の準備を期待され、それを遂行し、ぐったり疲れ・・・。実家の家族はうつ病という病気にいまいち理解がないということが私の中で結果として残った。うつ病の私自身が思うのも変だが、うつ病の人に何かを期待したり、普段と違う環境下で何かを求めるのは間違っていると思う。結局、達成感を得られず本人が自分自身を責める結果となるだけ。それを分かっているのはうつ病になったことのある人だけなのかもしれない。うちの主人も最初は私に何か任務を与えれば、忙しさに追われてうつ病なんて治ってしまうくらいに思っていた。しかし、それは間違いなんだと実際経験してみて分かった。
 地元の友達と会おうかななんて考えていたが、それも実行されずに終わった。時間的にも難しかった。私の姉が通院のために4歳の長女を実家においていったため、その子も私が見ることに。自分の子供2人、姉の子供1人を見る状況に。そんな人員構成では友達に会いに行けるわけもない。姉の長女と私の長女は年子の姉妹のように遊んで満足していたようだが、私の神経上は良くはなかった。他人の子供を預かるという緊張感。そんな中でも夕食の準備をしなくてはならないという状況。姉の子供は3日間連続で実家に来た。姉もうつ病という病気をまるで分かってない。私も預かってくれと言われると断れない。まあ、私が自分でうつ病ということをカミングアウトしても、みんな大したレベルのうつ病ではないと思ってしまうのだろう。明るい時のイメージしか私に対して持っていないから。
 だから今日は自分のペースでごろごろしながら過ごした。これ以上悪くならないための私なりの防御策。他に対処法がないのが現状。娘たちと昼寝したり。長女をアニメのDVDに夢中にさせている間に休んだり。実家にいる間に痩せた。ズボンが緩くなった。ダイエットとしてみると良い帰省だったか。そう思うようにしよう。

実家での生活。

2006-10-25 14:36:02 | Weblog
 完全にペースが狂っている。一日一回にしていた薬も自主的に二回に増やした。気を使ってないつもりでも、気を使っているんだろうな。普段は長女は保育園だけど、実家では長女も次女もいるわけで・・・。土日だけでないこの構成はつらい。両親は2人ともまだ現役で働いているから昼間は他の大人といえば、私の祖母。いないよりはまだ良いか。私の話し相手になってくれる。そして私も祖母の話し相手になってあげる。祖母は84歳のわりに考えが現代的なところがあって好き。はっきり物を言うところも好き。
 実家にいる今の段階で状態が悪いんだから、帰ったらもっと悪くなるのかな。今は早く家に帰りたい心境。高校3年までは実家に住んでいたけど、そのときとは家族構成もまったく変わってしまったし、懐かしい場所に戻ってきたというような心境ではない。居候のような心境である。

実家に帰る。

2006-10-23 11:55:00 | Weblog
 今日夕方から土曜まで実家に帰る。時間が経つごとに不安が募る。実家に帰るのに緊張感を持つ必要はないのだが、なぜだが怖い。両親は私や孫に会うのを楽しみにしてるんだろうな。うつのことはすっかり忘れて帰れたらいいのにな。
 今朝は長女を耳鼻科に連れて行ってから保育園に行った。私のうつの状態が良くないとその影響がすぐ長女に現れてくる。暴力的に暴れてみたり。主人のことを攻めてみたり。
「パパ、だめ!パパが悪いの!」
って言って。ママが泣いている→パパが悪い、っていう思考回路のようだ。ママの調子が悪ければ子供も不安定になる。どこか一心同体のようなところがある。長女は泣いている私を励まそうとする。
「泣いてる子他にいないよ。元気あげるから。」
って言って、チューをする。チューをすると元気が出ると思っている。たくましい長女である。
 実家に帰ったら、高校時代の友達に連絡を取って会おうかなと考えている。その友達も子供が2人いる。今はもう仕事復帰して忙しい毎日を過ごしているようだ。気分が向いたら電話してみよう。自分の状態と相談して。
 

まだまだうつの中。

2006-10-22 13:02:55 | Weblog
 長女の運動会は無事終了。主人のお母さんが前日からうちに1泊。当日は主人のお姉さんも1人来た。この2日間くらいでめまぐるしくいろいんなことが頭の中をぐるぐると回って私はパンク状態に陥った。
 主人のお母さんを見ているといろんな不安が襲ってくる。ただの姑への悪口なのかもしれないが、私はここにそれを書き込むことでしか心の整理をすることができない。
 主人のお母さんは74歳。一般的な74歳ってどんなものなのだろう。私と主人のお母さんだけでいるとほとんど会話はない。私が何か話を振ってもほとんど帰ってくることがなく、それが分かってからはほとんど話を振ることもなくなった。もともと無口な人なのだろう。夕飯をつくって待っていたが、お母さんが手をつけたものはほんのわずか。全く手をつけなかったものも。作ったものに感想を言うわけでもなく・・・。いろいろ考えて作っても結局そんなんだったらあんまり作らない方がよかった、って正直思った。
 衝撃的だったのが、入れ歯を普段私たちが使っている歯磨き用のコップに入れられたこと。入れ歯って人に見せたくないものじゃないの?きれいなものではないよね?感覚の違い?まだ誰も歯磨き終わってないのに・・・。自分が入れ歯になっても他の人の家に行ってそういうことはしたくないって教訓にして心をどうにか静めたけど。
 私がお風呂上がり脱衣所で裸でいても平気で入ってくるし。他の家ってみんなそういうもの?しかも普段一緒に生活してる訳じゃないし。うちに来たのは初めて。そういうものなのかな?
 主人にそういうことを言うと
「そんな話はしたくない!」
って言われて終わり。親の悪口に聞こえるから。母親っていつまでも大切な存在なんだろう。
 運動会ではビデオと写真を撮って、至って普通の家族でいた。だけど、主人は運動会の途中で病院へ行った。持病の痛風と皮膚科に行きたいと言って。普段仕事で忙しすぎて病院に行く時間がないから、今しか行くチャンスがないと判断した様子。だけど、娘の運動会なのに。プログラムから、もう長女の参加する競技がないのを確認して、急いで病院に行った。これって普通の状況じゃないよなって思った。主人のお母さんとお姉さんはそこにいるわけだし。家族を大切にしていないように受け止めてしまった。
 運動会の後、昼食を取って主人のお母さんとお姉さんは帰った。やっといつもの家族4人の状態に戻った。だけど、午後、主人は仕事で行きたいところがあるからつき合ってほしいと。まあいっかと思ってついていったのが良くなかった。またもや主人の仕事関係の人数人とあいさつなどをして、気を遣い・・・。
「主人がいつもお世話になってます。」
といいつつ、私は全く無関係だし、って心の中では思ってる。そして相手の表情を伺って、意味のない心の探りを入れて。私って何をやっているんだか。相手がどう思っていようとも、私には無関係の人なんだからどうだっていいことなんだけど。このことがうつを悪い方向に持って行くってことも経験上分かってはいるのだが。 部屋の片づけ、主人のお母さん、運動会・・・、主人の仕事関係の人との接触。といろいろあって、私はすっかり疲れてしまった。
 今日は完全に朝からうつ状態が出てきている。主人は午後から仕事。見かねて長女を連れて行ってくれた。私はめちゃめちゃの部屋の中でブログを書いている。
 主人に何を言っても相談相手にはならないような気がしてきた。期待をしても無駄だってことも何度も味わった。
「俺は被害者だ。」 
「いつまでそんなこと(うつのこと)してんの?そのうち全部が壊れちゃうよ。」
そんなふうに言う主人に何を言っても無駄な気がしてきた。基本的に心の痛みのようなものに鈍感な人だ。どんなに努力しても深いところまでは分からないのだろう。
 私は近所に友達がいるわけでもなく、悩み的なものは主人に言わない限り、心の中に渦巻いているまま。だけど、その主人にも話を聞いてもらうのが迷惑なんだろうなって思うようになってきた。主人は
「薬は?飲んだの?薬減らさないで飲んでればいいじゃん。」
という。私はずっと薬飲んでいて、どうにかうつを抑えて過ごしていくしかないの?治療の一環でだんだん抜けられそうになってきたから薬を減らすことになったんじゃないの?
 私のうつに対する考えと主人のうつに対する考えは全く違うようだ。主人は私にうつの対処策として、いろんなところに出て行け的なことを言う。それは、子育てサークルや自治体で催しているイベントとかそういったもの。だけどそれって紐解いてみると、自己解決しろってことなんだよね。そこには主人は全くいないわけだし。自分のいないところで自然と治ってくれれば幸い、のような感覚が見え隠れする。私は、どこに行くでもなく、家でのんびり家族でいられる時間があれば、この状況も変わるのではないかって思っているけど。だんだん良くなってきたところで自主的にそういったイベントやサークルに出て行けばそれはそれで心の治療になるだろうとは思うが。まだまだ私の今の状態は完全にうつから脱出できている訳ではない。心の治癒力が弱い状態である。
 

もうすぐ。

2006-10-20 16:44:10 | Weblog
 部屋は片づいたものの、夕飯何を作ったらいいかと悩むところ。何にも持ってこなくても良いのに、赤飯とうどんをもってくるらしい・・・主人情報。荷物重いだろうに・・・。
 今日は次女のポリオ1回目だった。接種会場は人がいっぱいで溢れていて、順々に診察、接種する光景は不思議な感じ。続々と来ては帰る。暴れてる赤ちゃんも多かった。うちの次女はとても大人しい。こういう場面で泣いたことは一度もなく、どこに行っても大人しい子だねと言われる。次女が静かなことは私にとって救い。もしかして、私の心が弱っているのが分かってそうしているのか。長女を産んだ後に先輩ママさんにこういう話を聞いたのを思い出した。子供はお母さんの体力に合わせて成長するっていう話。ママに体力があると夜泣きもするし、暴れるということ。ママに体力がなければ静かっていうこと。うちの長女は夜泣きが凄かった。きっとそのころ私は体力がとてつもなくあったのか。今は精神的な体力がまるでなし。

灰色の心。

2006-10-19 16:35:20 | Weblog
 最近の私のブログってなんか愚痴ばっかり。心の吹きだまりだから仕方ないって言えば仕方ない・・・。だけどもうちょっと綺麗な心があればな。次女を抱えてその顔を覗くと清らかさが浮き立つ。灰色に白ってところか。
 今日はダンスの日。ダンスの日は決まって手抜き料理。いやいや簡単料理。今日もカレー。カレーは鍋一つでできて最高に良い。
 こないだ子供まつりに行ったとき、健康コーナーで食事について指摘されたけど、そんなのこの場に及んでどうでもいいや。心ができるだけ健康に近づけば。体はその後、自然についてくるもの。そう信じ込んでいる。
 あしたはいよいよ、主人のお母さんが来る。部屋はまだぐちゃぐちゃ。けど、来るからっていつもと違う状態見せるっていうのもよく考えると変な話。本当はいつも通りを見てもらう方がいいのかも。

片づけの合間。

2006-10-18 11:07:41 | Weblog
 今週の土曜日に長女の運動会がある。主人のお母さんとお姉さんが見に来る。事前に了承して主人が招待をした。来るってことは1ヶ月近くから決まっていたが、部屋が片づかない。ただでさえ狭い部屋。ここに主人のお母さんが寝る。金曜の夜に来るのにそれまでに片づくのだろうか。だめ嫁って思われるんだろうな。自分の息子のことはだめ息子とは思わないだろうから。
 床の面積をむやみやたらに占めているものに腹が立つ。主人のスポーツバック。少女のおもちゃの乗り物、送られてきた段ボール。その他諸々。
 余分なものは一気にフリーマーケットで売りたいくらい。玄関先を売り場にして。いらっしゃいませーってやりたい。昨日はCDをいっぱい持ち出した。中古屋さんに売るため。だけど、出したは良いが片づかない。それはCDが私のものだけではなく主人のものも含んでいるため。勝手に処分するわけにはいかないから。
 独り身に比べて、家族になるとものが増える。増える。それが嫌。なんでもコンパクトに済ませたい。余分なものは要らない。そういう生活がしたい。モノを管理する能力が我が家には全くないのだから。
 私の実家にはしばらくモノは送らないでくれと言ってある。主人の実家にはそうとも言えないので送られてくる。それが邪魔なモノとなり、床の面積を占める。さらにはその送られてくる中身もちょっと・・・。私は漬け物が好きではない。主人の実家に行ったときも何度も伝えてあるのだが、核家族では食べきれないほどの量を送ってくる。主人はバクバク食べているがそれでも食べきれない。それに塩分の取りすぎ。その感覚が分からない。田舎の習慣なんだろうけど。
 以前に主人のお母さんからいただいたもので度肝を抜かれたものがあった。それは下着。近所の人からいただいた新品のものらしいのだが・・・。ビニール袋にどっさり入っていて、
「これ、使って。」
と。本人はなんの悪気もないのだけれど、中の下着を見ると、派手な色のものばかり。しかも小さい。私の体型には似つかわない。一端受け取ったが、10分後くらいにすべて返した。私がこういうものをはいていると思っているのか、何なのか。とにかくびっくり。私じゃなくて自分の娘たちにあげたらいいのにと思ってしまった。
 それを主人にいうと
「母さんは人畜無害だから。変に嫌みに受け取らない方が良いよ。」
という。そうなのかもしれないが、私にとってはびっくりの出来事だった。
 ジェネレーションギャップというのか地域にギャップというのか主人の実家に行くとびっくりすることが結構あったりする。主人の親は年齢的に言うと私のおじいちゃん、おばあちゃんみたいなものだし。感覚的に同じになるっていうのは無理があるのだろう。
 ふー、さてさて、また片づけでもするか。

5度目の心療内科。

2006-10-17 13:50:39 | Weblog
 この2週間は随分落ち着いて過ごせた。心療内科でそのことを伝えると薬を減らして良いとのこと。やりとりは以下の通り。

「体調はどうですか?」

「この2週間は落ち着いて過ごせました。デプロメールを1回に2錠ずつ飲むように処方されたんですけど、1回に1錠ずつ飲んでました。家事なども前のようにできるように近づいてきました。」

「そうですか。では薬を減らしてみましょう。朝、晩飲んでいたのを晩だけにしましょう。また2週間後にきて下さい。その他、何か心配なこととかありますか?」

「生理が遅れているんですけど、薬の影響でしょうか?妊娠検査薬を使ったら陰性だったので妊娠はしてないのですが。」

「そうですね。それはスルピリドの影響ですね。」

スルピリドとはデプロメールと一緒に飲んでいた薬。薬の説明を見返すと、胃・十二指腸潰瘍や精神の症状を改善する薬と書いてあった。

「スルピリドは乳汁ホルモンのお薬で生理が遅れることがあります。しばらくスルピリドを飲むのは止めましょう。」

 思えば、心療内科に行くようになってからおっぱいが出るようになったような気がする。心理的に良くなってきたからなのかと思っていたが、薬のせいだったんだ。デプロメールについては自分なりに調べていたがスルピリドについては調べてなかった。
 心療内科の帰りにコーヒーを飲みにお店に入った。その後は本屋で自分の好きな雑誌を購入。こういう風に普通に過ごせることが嬉しい。まだまだ薬に助けてもらって可能になっている生活かもしれない。心療内科の医者の言うことを守って過ごしたい。
 主人が昨日言っていた。最近の私は調子が良さそうに見えると。ダンスに行き始まってから少しずつ前に戻ってきたような気がするとも言っていた。主治医の言うとおり、子供から離れて自分の時間を持つようになったことが良かったのだろう。子供から解放されるという気持ちの他に、2時間ではあるが、主人が子供たちと過ごせるということが分かったことも私の気持ちを楽にさせた要因だろう。
 うつから脱出できるような気がだんだん湧いてきた。光が見えてきた気がする。