
◆◆ ~ カンボジア、シェムリアップ国際空港にて ~ ◆◆
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此の度の「東北地方太平洋沖地震」によって被災されました方々に、心よりお見舞いを申し上げます。
原発の現場で、今も懸命に作業をなされている方々、避難所で厳しい毎日を過ごされている沢山の
方々、そして其の対応に奔走する各種専門職の方々、地元ボランティアの方々、全ての方々の健康
を案じつつ、一日も早い被災地の復旧・復興を、切に祈っております。
安全な地域の方々は、引き続き、買占めの防止、義捐金(義援金)支援、節電等へのご協力をお願
い致します。そして、生きる元気と勇気を、ほんの少しずつ被災地の皆さんに分けてあげて下さい。
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●● 東日本大震災・総合情報サービス (グーグル・サイト) → http://goo.gl/saigai
◆ 地震情報 → http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/EEW/kaisetsu/joho/joho.html
●● 日本赤十字社 (※ 義援金窓口、救援金窓口) → http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html
◆ 関東の鉄道運行状況 → http://transit.goo.ne.jp/unkou/kantou.html
●● 消息情報チャンネル (※被災された方々のメッセージ動画) → http://www.youtube.com/shousoku
◆ 災害被災者支援への理解 (※参考用) → http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/chusou/jouhou/saigai/index.html
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カンボジアの北部にあるシャムリアップ州の州都 「シェアムリアップ」(Siem Reap)。此処には、
世界遺産の「アンコール遺跡群」に、最も近い場所に位置する「シェムリアップ国際空港」があり
ます。
私が訪ねた時は、空港施設が改修されたばかりだったようで、非常に小さいけれど、とても綺麗
な空港でした。尤も、着陸してからは、空港ターミナルビルまで、ちょっとばかし長い距離を移動す
る必要があります。勿論、「徒歩」で。。。
此の「シェムリアップ」(Siem Reap) と云う言葉が、とても気になったので、カンボジアのガイドさ
んにお聞きすると、「シャムに勝ったどぉ~!!」との事でした。つまり、「シャム」(タイ国)に、「クメー
ル人」(カンボジアを中心とする東南アジアの民族の一つ)が勝利した事を「記念する地名」となっ
ているそうです。
後日、「シェムリアップ空港」で、搭乗の為のチェックインを済ませようと並んでいると、どうも騒がし
いので、前の人達に状況を聞くと、搭乗予定の「機体エンジン」に、何か問題があったようでした。
参ったなぁ...と思いつつ、「こんな事って、結構あるものなんでしょうか?」と、お聞きしたら、「いえ、
私もこんな事は初めてです...。」と、前におられた女性が、不安な面持ちで教えてくれました。
其の方は、此の空港をよく利用されているような雰囲気だった為、「カンボジアでは、ボランティア
か何かをなさっておられるのでしょうか?」と、お尋ねすると、「カンボジアで、日本語学校の教師
をしています。」との事でした。私は、「成田」でしたが、其の先生は「関西国際空港」へ戻る予定
だそうでした。
色々とお話をした後、別れ際に、お名前をお聞きすると、あまり聞きなれない珍しい苗字の方だっ
た為、日本に帰国してから少し検索してみる事に致しました。すると、先生はカンボジアの子供た
ちに夢と希望を与える、実に素晴らしい活動をなさっておられる人物、「檜尾睦」さん(ひのきお む
つみ)だった事を知って、大変驚きました。。。檜尾先生は、私たち「日本人の誇り」とも云うべき、
とても立派な御方です。(^_^-
◆◆ 檜尾睦(ひのきお むつみ)先生と、其の活動について ↓ ↓
http://www.webtsc.com/prog/Cambodia/
http://www.hofg.org/jp/archive/20080717.shtml
http://www.hofg.org/jp/archive/20090218.shtml
(※ 結局、此の日は、カンボジアで5時間弱も待ち、予定も全て遅れた為、ベトナム・ホーチミン
の「タンソンニャット国際空港」でトランスファーも出来ず、一旦、空港のイミグレで、ベトナムへの
入国手続きをする事となりました...。檜尾先生も、同様の状況でした。)