そして、彼にとって、ヒューゴという人物にとって、このジュエル・シードの入手は、それなりに、彼にとっての理由を持った行動であった。それが如何に彼自身の利己的な目的であったとしても、崇高な目的ではなかったとしても理由は理由だ。
そもそもがヒューゴという人物は、管理局の技術部門の高官である。少将の位を持っているが、それは武官ではない彼にとっては、ほぼ最高位に到達しているといっていいだろう。いくつもの部門にまたがった発言力を持ち、それらの部門の統括する立場にある。
現在の彼があるのは、本局に大きな発言力を持つ、軍産複合体企業の幹部役員の娘と婚姻関係を結んだお蔭で、此処までの出世はとんとん拍子にすすんだ。加えて様々な問題を内包していた当時の新型魔導炉の改善や、新開発のアルカンシェルなどで、彼はついに将官の地位まで上り詰める事ができた。その為に、彼は数多くの『友人』を作り、そんな彼らのために様々な『便宜』を図ってきたし、それを上回るほどの『手助け』をしてもらってきたのである。それ故に、彼は今の地位にあるのだ。
無論、多くの人間がそこまで到達する事もなく、もっともっと低い官位で退官を迎えるのだから、彼の今ある地位と言うのは十分に出世をしたと言っていいはずだ。
しかし、彼にとってはそれすら、彼の目指すべき姿の中間地点でしかなかった。
だがしかし、これ以上の地位、あるいは管理局の官位のその頂を目指すためにはこのままでは、とても困難なものであった。今の彼の実績からすれば、それは不可能なものであり、彼とて、決して無限の金蔵を持っている訳ではない。そして彼の協力者達は、今まで以上の彼の『成功』を要求してきている。
それ故に、彼が欲したのは、ロストロギアと呼ばれる禁忌の品であった。
管理局の設立理由の一つに、このロストロギアと呼ばれる次元災害を引き起こしかねない危険な遺失物を保管、管理するというものがある。その為に、管理局という職場にはロストロギアの情報が様々に集まってくるのだ。特に技術局には、その取り扱いや解析を行うために持ち込まれるロストロギアは決して少なくはない。そして解析が終了したロストロギアは、厳重に封印され、管理局の秘密裏に設置された保管場所に保存、隔離される事になり、ロストロギアの危険度によっては、二度と日の目を見ることはなくなる。
言うまでもなく、保管、隔離されたこれらのロストロギアは厳重な管理がなされるし、一部のロストロギアや管理世界内に存在する国家の至宝である、とかいった余程の例外を除いてロストロギアの個人所有は、それ相応の理由がない限り許可がされる事はなく、例え許可がおりたとしても、その許可を取る為の、面倒くさくまた厳密な審査が行われる事になる。下手をすればその所得に数年の審査期間を必要とし、また定期的な更新の義務が発生するのだ。
だからこそ、一部の好事家達にとっては、どれほどの大金を積んだとしても手に入れたがるものとなっているし、もしくは、次元災害を引き起こす程の膨大な魔力エネルギーを内包するものも存在するのである。技術者達にとっても垂涎の的であった。
そして、それが違法であるとわかっていても、未登録であり、その『使用』に制限の発生しないロストロギアは、それこそ計り知れない価値を生み出すのである。
それらのすべてが、彼、ヒューゴ・エクストレイルの理由である訳ではないのだが、概ねそれらの理由で、ヒューゴ・エクストレイルはジュエル・シードを求めたのである。彼が手に入れた文献にはジュエル・シードの数は21個。そのすべてが膨大な魔力を内包し、単体でも局地的な次元災害を引き起こすだけの力を持っていると推測できるだけのロストロギアだ。
たとえ半分を、闇ルートで売り捌いたとしても、10個は彼の手元に残る事になる。
それで十分であると彼は判断した。
だから、昔からなじみのある傭兵会社の人間を雇い、また通常とは別のルートを使用してスクライアの一族に、件のロストロギアの発掘を依頼したのである。無論、最初から『事故』が起こることは想定済みの上で、である。
ロストロギア輸送中の事故と言うものは決して多くはないが、全く無い訳ではない。
それだけの危険なものを運んでいるのだ。無論、その輸送は、その道のプロである所のスクライアの一族が行うのである。細心の注意を払っての搬送になる筈だったが、それでも、人間の行う事にはなにかしらの抜けが発生する可能性を含んでいる。
ハインリッヒの法則と言うものがある。
『重傷』以上の災害が1件あったら、その背後には、29件の『軽傷』を伴う災害が起こり、300件もの『ヒヤリ・ハット』した(危うく大惨事になる)傷害のない災害が起きていたことになる。此処で災害とは人為的要因が原因で起こる災害であり、自然現象によって起こる災害は対照とはしない。これは、本来様々な労働現場における災害発生の確率とその災害防止のための教訓として叫ばれる言葉であるが、逆説的にいえば、人というものはミスを犯す生き物である以上、いつかは大きな災害と言うものは発生してしまう可能性を含んでいるという事にもなるのだ。
だからこそ、事故は起こるのである。
実際に、時空世界の黎明期には言うまでもなく、現在においても、人の不注意や、艦艇の整備不良が原因による事故は後を絶たないのも現状である。
ましてや、ロストロギアによって引き起こされるのであれば、それは天災と同義である。だからこそ、このロストロギアの輸送中に事故が起こったとしても、不思議は決してないのである。それが、ロストロギアの封印時の処置のミスであったとするならば、それはヒューマンエラーと呼ばれ、それは人的過失に分類されるべき事象になるのだろう。
どちらにせよ、この輸送艦艇の事故は『発生する計画』だったのである。
そして、次元航路上の事故は、様々な外的要因をその原因の可能性に含めるとするならば、その原因の特定は非常に困難になる。故に、事故調査によってその原因の特定がなされる事が非常にまれな事も、彼は承知していたのである別にその事が管理局の無能さを示す訳では決してない。次元航路上にて事故が発生した場合、本来事故の証拠物件となる残骸や遺留物が、次元航路の潮流に流されて散逸してしまう事が多いのだ。
ただでさえ、本来は、次元空間の航行というものは極めて波の穏やかな領域を、網の目を縫うように張り巡らされているものなのだ。余程の出力をもった魔導炉を搭載した艦艇でなければ、その中を自由に航行できるものではない。それらの能力を持つ艦艇といえば、それこそ管理局の次元航行部隊や、要塞級の移動施設ぐらいのものである。
勿論、次元空間の潮流は、所謂自然現象であり、常に暴れまわっている訳ではない。比較的穏やかな場合もあれば……それでも通常航路として使用されている海域に比較すれば天と地ほどの差があるのだが、次元災害級の乱流が発生する事もある。
熟練の船乗り達にもなれば、たとえそういった『防護策』を施されていない艦船であったとしても、波の中をものともせずに乗り越えていく、つわもの達もいるのだが、それはまた別の話である。
だから、このスクライアの輸送艇の『事故』は、本来は彼の予測の範囲内であった筈の出来事だったのである。
問題なのは、そこでその事故が、彼の想定外の事態が原因で起こった事にあった。
この瞬間にはヒューゴが知る由も無いのだが、後になって考えてみれば、あるいは同じ穴の狢である彼にとっては、想像に難くない事態であったのかもしれない。
つまり、彼の雇った傭兵会社の人間が、発掘したジュエル・シードを横から奪い去ろうとし、不用意な行為でロストロギアを暴走させてしまったのである。十二分な封印が施され、それ以上に強固な輸送船の隔壁であったが、さしもの次元災害球のロストロギアの暴走には耐え切れるものではなかったのか、あるいは、最初からそうなるように細工が施されていたのか。
兎に角、大破した輸送船から流出したロストロギアは、彼の意に反して管理外世界の何処かへと流出してしまったのである。
彼にとって幸いな事に、流出したロストロギアの漂着した世界は比較的にスムーズに特定する事ができた。第97管理外世界。現地の人間達が地球と呼ぶ世界。科学文明が比較的に発達し、管理局世界とは違い、魔法文明はなく、その痕跡すら見られない世界であった。そのような世界に漂着したロストロギア。しかも、祈念タイプの次元干渉型のロストロギアであるジュエル・シードは、それそのものが魔力を内包するタイプのものであるが故に、魔力のない現地人が接触したとしても、万が一封印が綻んでいたのならば、容易に暴走を許す可能性があった。
万が一、ロストロギアが暴走し、次元災害が発生したのならば、たとえ管理外世界で起きた事象であったとしても、管理局の介入を許してしまう。しかも世界級の災害が引き起こされることになれば、ただの事故ですまされない。そうなれば、最悪彼の元にその調査の手が伸びてくる可能性も少なくはないのだ。
ならば、どうするのか。
彼にとっての打つべき最善手は、やはり管理局が介入してくる前に、ジュエル・シードを全て回収してしまう事だろう。だがその為に彼自身が直接動いていては、何らかの形で足がついてしまう恐れがある。
そこで彼は、そのロストロギアの探索者に、ジュエル・シードの捜索者に最適な人間に、あの人物が丁度いいのではないかと、思い至った。
プレシア・テスタロッサである。
かつて、彼が開発に携わった魔導炉『ヒュードラ』の、彼がチーフエンジニアを務める前の責任者をしていた人物である。その時発生した魔導炉の暴走事故の『全ての責任』を取って、中央を追放された技術者であった。優れた魔導士であったが、その時の事故で愛娘を失い、なにやら怪しげな研究にふけっているという。
蛇の道は蛇ともいう。
彼女の行っている研究は、確かにアンダーグラウンドの研究であり、決して表舞台に立てるような研究ではなかったのだが、ヒューゴにとってそれらの情報を入手する事は決して困難ではなかった。
死者の蘇生の魔術や、『F計画』と呼ばれる人造魔導士を生み出す技術。
それらの研究にことごとく失敗していたプレシア……少なくとも彼女の目指す目的は達成できていない……は、次の目標として、ヒューゴですらその存在を疑っている伝説の遺失都市アルハザードの発見と、その都市への到達に執心しているという話を聞いた。
そして、その為の魔導炉開発と、その動力源となる品の捜索に血眼になっていると言うのだ。ならば、ほんの少しだけ、耳元でささやいてやればいい。
そうすれば、あの魔女は、狂気の魔導士は自ら、ロストロギアの探索に赴く筈である。確か、前はクラナガンのアルトセイム地方に滞留していた筈だが、現在は、この付近の海域に、彼女が購入した次元空間内を移動可能な城塞で、第97管理外世界付近の海域へと移動してきている筈である。だから、彼女の耳元で、耳打ちするだけで、すぐさまジュエル・シードが落下した場所へと自ら赴く筈である。
そして、すべてが終わった時には、消えてもらえばそれでいい。魔導炉の暴走の時にも都合のよい道化に仕立て上げ、中央から立ち去ってもらった。今回は、誰にも知られないままに、そのまま何処かへと消え去ってもらえばいいだけだった。
だが、そこで再び、彼の想像の範疇を超える事態がおこった。
ジュエル・シードを収集する第三者の出現。そしてその第三者とプレシアの手の人間とのジュエル・シードの争奪戦が勃発し、結果的に管理局の介入を許してしまった。しかも名将と名高い女傑のリンディ・ハラオウンが率いるアースラ艦隊である。
偶々偶然の事態であったが、或いは悪意ある揚げ足取り……揚げ足を取る行為自体が悪意以外の何物でもないのだが……の結果により、彼女を更迭する事ができ、一時的であるとは言え、アースラの指揮権を奪う事ができた。ならば、後はあの魔女を追い詰め、隙を見つけて始末し、ジュエル・シードを奪取すればそれでよい。
指揮権さえ奪ってしまえば、リンディ提督を後方に下げ、アースラのスタッフはこの件にかかわらないようにしてしまえばいい。後は、万が一の時の為につれてきている彼の子飼いの武装隊員と共に、時の庭園を制圧してしまえばいい。
後は、『彼女』を始末すれば事はすむ。
そしてあわよくばジュエル・シードと共に、プレシアの開発したアルハザードへと到達す為の魔導炉も手に入る、か。
「ふふふ……」
「おや、御機嫌ですな。理由は……まぁ、教えていただくまでもなく、想像に難くない訳ですが……おっと、そうこういっている間に、目的地点ですな」
特に抵抗を受ける事もなく、時の庭園の回廊をすすむヒューゴとラパン。そしてその周囲を防護するように取り囲んでいる武装隊の隊員。言うまでもない事だが、この武装隊員たちもヒューゴに付き従う者達である。それなりの素性の人間達の集まりであった。ラパンという人間だけは、そんな武装隊の中からいつの間にか彼の腹心に近い存在になっていたのだが。少なくとも金で動き、それに唯々諾々と従う、ヒューゴにとって都合のいい人間の一人に過ぎない、その中で偶々武装隊の指揮が出来る人間、と言う程度の認識でしかない。
その彼らの前に巨大な扉がある。
ラパンが、彼の部下達に手で指示を出す。
二人の武装隊員が進み出てきて、扉に手をかけた。
武装隊の人間達がデバイスを構える。彼らはいつでも魔法攻撃を行えるように、すでに魔法の術式を立ち上げ、発動の直前の状態で待機させていた。それを確認し、ラパンはヒューゴの前に壁のように立ちはだかる。
「やれ」
ヒューゴの無慈悲な命令が下った。
やれやれ、と首を左右に振りながら、ラパンは、右手を上げ、それを振り下ろした。
魔女プレシア・テスタロッサの居城である『時の庭園』は、少なくとも彼女自身の趣味ではなく、かつての持ち主のその趣味を反映したかのような構造をしていた。
事実、彼女がフェイトと対応した時の、その場所はまるで謁見の間とでも呼ぶべき風体であった。
そして彼女は、彼女の元を訪れるほんのわずかばかりの来客に応対する時も、その場所を使用した。
確かに彼女の趣味からすれば、そんな場所で来客に対応するのは相反するものであったが、他に応対が可能な場所はないのだ。
仕方がなしにではあったが、それでも、気だるい様子で椅子の肘掛に肘をかけ、手の甲にあごを乗せながら、客人に応対すれば、他人が見れば、それはまさに、庭園の主たる大魔女の姿に相違なかった。
なればこそ、ヒューゴ達は時の庭園に突入し、その場所に、彼らの目的である、プレシア・テスタロッサがいると考えたのだ。
無論、庭園に到着し、その直後、無数の探査端末(サーチャー)を放っている。
魔力の塊である無数の探査端末が庭園中を飛び回り、一人の女性の姿を探し回る。
結果的には、魔女の姿を捕捉することはできなかったが、謁見の間の周囲に渦巻く高密度の魔力と、その部屋の中に進入しようとした探査端末が次々にと消滅していったことから、この庭園の主が、その部屋の中にいることはほぼ間違いがないだろう。
そうであるとするならば……それ以外には考えられないのではあるが、これはすでに彼らの勝利に間違いがない、とヒューゴは確信しているようだった。
確かに、万が一、魔女が逃げ出そうとしたときのことを考えて、彼は二手も三手も先の策を講じている。
それには、この庭園を肉視で捕捉できる場所に位置するアースラの存在が邪魔ではあったが、その手出しを封じる手段を、いまだヒューゴは持っていた。
あるいは。
これが罠であると言う可能性も、ラパンの脳裏には浮かんでいたのだが、それはそれで、楽しい事になるに違いない。
彼の本質は、どちらかといえば、猟犬ではなく、狼であるに違いなかったのだ。
予測しえぬ荒事の予感に、心のうちから沸き起こる愉悦を隠すのに一苦労であった。
それに。
これが罠であるのならば、それならばそれで、彼の思惑には問題が生じない。
まぁ、彼としては、彼女に『本気で牙を』剥くわけには行かないのがいささか物足りないと思うのだが。
でも、管理局に名高い伝説の魔女、プレシア・テスタロッサとの対峙は、それでも、彼の心に暗い炎を灯らせていた。
自らが飛び込みたくなる様な衝動を必死で抑えながら、ラパンはヒューゴの命に従い、部下に攻撃を命じた。
本来ならば、管理局員としては、まずプレシア・テスタロッサに、彼女のその罪状を述べ、管理局への投降を『紳士的に』伝えるべきであった。
にもかかわらず、行ったのは何の通達もない武力制圧であった。
いや、もはやそれは、ただの暴力の奔流である。
そんな事を命じたヒューゴの内心はわからなくもない。
かつて、彼が、プレシアという魔女と研究機関で同僚だった時から、どことなく、この魔女に苦手意識を持っていた様だった。
その後、ジュエル・シードの探索をプレシアに行わせるために、何度か接触を繰り返したときも、端から見れば高圧的な態度だったその様子も、裏返してみればこの魔女への苦手意識の現われであったのかもしれない、とラパンは分析する。
確かに。
その時の彼女が、正気であったという言い方は正しいかどうかはわからないが、少なくとも研究員時代の彼女の事を、ラパンは知らないが、ヒューゴの護衛として共に彼女と対峙したときは、正直に言ってお付き合いするのは勘弁してほしいね、と思った。
それでも彼女が美人であったという事は、彼も否定することはしないけれども。
なるほど、ヒューゴとしては、生きているプレシア・テスタロッサよりも、物言わぬ魔女の対話を望んでいたようだった。
死人にくちなし、という言葉が、まさに適用されるような事態だった。
魔力弾の閃光に満たされ、部屋の中に黒煙がもうもうと立ち込める。
少なくとも、ラパンの部下によるBランク以上の魔力弾による連続攻撃であった。
管理局員、と言うよりはならず者と言っても決して間違いではない連中ではあったが、その攻撃は、暴力行為に慣れているだけあって、またその行為に自身を持つ者達だけあって、その実力は間違いがない。
さしものラパン隊長とはいえ、彼らにいっせいに攻撃をされれば、それなりに苦労をするかもしれない。そんな事があるかもしれない。
だからこそ。
晴れてゆく煙の中に、わずかに紫色の光を確認し、そして、とっさに彼の部下の張った魔力障壁をたやすく突き破り、瞬時に2人の意識を刈り取るほどの威力……非殺傷設定の魔力弾ではあったが、おそらくこの二人は、1週間は立ち上がることはできまい……を持った魔法攻撃を返して来た『魔女』に対して、ラパンは素直に『ほぅ』と感嘆の声を上げてしまった。
彼自身にも向けて放たれたその雷撃は、防ぐ事はできたものの、非常に重く、デバイスを持った右手が、軽くしびれる程のものであった。
そんな彼女は、偉大なる魔女は、かつてこの居城を彼らが訪れたときと、まったく同じ姿で、その姿勢を崩さずに、例によって、王座のような座椅子に腰を下ろしながら、まさにこの城の女王の様な視線で、この部屋に現れた者たちを睥睨した。
そして、彼らの記憶よりもほんの少しばかり血色のよくなった形のよい唇に、優雅な笑みを浮かべた。
「これはこれは、ずいぶんと積極的な訪問である事。最近の管理局の職員は、独り身の女性の邸宅を訪問するに当たって無礼と暴力と無作法を呼び鈴にしろと教えられているのかしら?だとしたら、ずいぶんと行動的な組織になった事よね。昔は、こちらが何を言っても、何をしても決して自らは動こうとはしない、まるで巨大な老木の様な組織だとばかり思っていたのに。ああ、もしかしたら、管理局なんて御大層な名前じゃなくて、押し込み強盗に宗旨替えをしたのかしら?それとも火事場泥棒とでも名前を変えるつもりかしら。だとしたら、ずいぶんとお似合いの名前ね」
「ははは、これはずいぶんと手厳しい。確かにレディの部屋にお邪魔するのにはまずはノックするのが礼儀でしたな。ですが、申し訳ない。男と言うものは節操がない生き物でしてね。ましてや貴方のような美人を前にすると、どうもセッカチに成り過ぎるようだ。だがそれもこれも、男が美女を追い求めるのは本能的なもの。ここは広い心を持って御寛恕いただけると、ありがたいのですがね」
「ふふふ、美人などと言われるのは、正直言ってとても嬉しいわ。ましてや、貴方の様な男性に言われるのは、女性ならば心が躍るというもの。でもね、私は、思慮深い男性が好みなの。いまなら草食系男子とか言うのかしら。野生的な殿方も嫌いではないのだけれど、お友達ならいくらでもなって差し上げるのだけれど、それ以上の関係は勘弁していただきたいわ」
「それは残念。これでも胸のうちでは、初心な少年のように、繊細な心の悩みを抱え込んでいるつもりなのですが。では、でしたら、まずは茶飲み友達からはじめると言うのはいかがですかな?なに、男と酒はじっくりと寝かせて楽しむのがいいと聞いた事がありますよ」
「けだし真実ね。でも、貴方はどちらかと言えば、酒精の高い蒸留酒よね、しかもかなり純度の高い。私はお酒は味わって飲むタイプなの。喉を焼くようなお酒は好きではないわ。酔うという行為は嫌いではないのだけれど、酔わされるのは勘弁ね。それに、悪酔いして翌日に残るようなお酒の飲み方は個人的にはするつもりはないの、ごめんなさいね。美酒よりも銘酒よりも、名前なんかなくても飲みやすい素朴なお酒がいいわね」
「これは……ふむ、俗に言うふられたというやつですかな?」
「そうね、ごめんなさい。でも、自分の名前を名乗る前に、女性を口説くような男性とお付き合いするつもりは端からないわ。紳士な殿方ならば、まずは自己紹介をしていただかないと。名前も知らないミステリアスな男性との恋等と言うものは、申し訳ないけれど、女学生時代に卒業したつもりよ?」
クスクスと笑みを浮かべる、プレシア。ラパンも彼女の正面で平然とした様子で肩をすくめる。
そんな二人をよそに、ラパンの率いる武装隊はジリジリと、プレシアの周囲を取り囲もうとしている。
まったく視線をラパンからそらすことなく、柔らかな笑みを浮かべるプレシアはそんな彼らを気にした風でもない。
たいした胆力である、という他はない。
「おっと、それはそれはご無礼を。時空管理局技術部第4後方処理課特務部隊部隊長ラパン・ダラパンと言います。短期のお付き合いになるとは思いますが、お見知りおきを」
「あらあら、これはご丁寧に。でも、その部隊って『実在する』のかしら?」
「少なくとも『小官は』存在いたしますぞ?」
「うふ、素敵な答えね、隊長殿。では、私も自己紹介をしなければならないのかしら。もちろん、いまさらながら、貴方達が鹿狩りの獲物の名前をご存じないとは思えないのだけど」
「鹿と言うよりは狐、ですかなぁ」
「だまらっしゃい!口数の多い男はなおのこと好きになれないわ」
「これは失礼」
そういうプレシアは笑みを崩してはいない。
おどけて肩をすくめるラパンもこれまた同様である。
「プレシア・テスタロッサよ。さて、貴方との会話はとても楽しくて名残惜しいのだけれど、無粋者を歓待してあげることができるほど私の懐は広くないの。特に私に用事と言うものがないのであれば、お帰りいただけないかしら?超過勤務手当てに危険任務手当もついて、それはそれで魅力的なのだけれど、プライベートな時間をおろそかにするのは人生の大きな損失だと思わないこと?」
「いやはや、実に名言、実に真実。今すぐ踵を返して帰宅し冷たいアルコールで喉を潤うと言うのは、まこと魅力的な提案ではありますが、小官も勤め人の端くれ。それに、上司の手前、餓鬼の使いではないのですから、帰れと言われて帰るわけには行きませんのでね」
「上司?」
と、プレシアは実に不思議そうに首をかしげた。その仕草は、実に優雅で、それ故に実に演劇じみて見えた。
そして、これまたワザとらしく、ラパンは背後を振り返った。
二人の視線の先には、怒りで顔を真っ赤にしている、ヒューゴの姿がある。
「あら、ヒューゴ。いたの」
「!!」
まるで、今気がついたと言わんばかりの様子のプレシアの言葉に、ヒューゴの痩躯がぶるぶると震え始めた。
「まったく、貴方の訪問はいつも唐突ね。それではレディには嫌われてよ?それで、今回の訪問の理由は何?つまらないことだったらさっさと済ませてほしいものだわ。私は貴方ほど暇ではないの。この後、昨日までに撮りためておいた深夜アニメの……じゃなくて、実に学術的な研究に耽りたいのよ。瑣末な俗事に私の崇高な沈思の時間を邪魔されたくはないわ」
『ちょ、ちょっと、深夜アニメってなによ!』
脳裏に聞こえてきたその言葉をプレシアは黙殺した。
そういえば、ここ数日はアーランドの二代目錬金術師の成長も密かな楽しみの一つであった。三代目は、二代目のエンディングをコンプリートするまで、もうしばらく我慢である、と心の中で決めている。
彼女の娘の片割れが持っていた機材を強奪し、もう一人の娘が借りたマンションの部屋に設置させたのは、いつの日のことか。
それはともかくとして。
「!く、くははは、くはははははは!」
実に真剣な表情でそんなことをいうプレシアの言葉に、ヒューゴは大きな声で笑い声を上げた。
それはまさに嘲笑。今度は、怒りとは別の意味で顔が赤く染まってゆく。
「あら、今の言葉のどこが貴方の笑いのつぼを刺激したのかわからないのだけれど、その人を見下したような笑い方は、実に不快だわ」
突込みどころは、満載ではあったけれど。
「ふふふふは、いやはや、実に滑稽だと思ってな」
「あら、それってどういう意味かしら?」
「かなうはずのない思いを遂げる為、達成する事のあるはずのない目的を果たす為、その無意味な研究を続ける事に何の意味があるのかね?」
ピクリとプレシアの体が震えた。
「ずいぶんと意味深な事を言うのね、ヒューゴ」
「そうかね?まぁ、今の君に何を言っても理解はできないと思うが」
「それもそうね、狂人の言っている事なんて、私にはこれっぽちも理解することなんてできるはずもないのだから」
「なっ!」
彼女こそが正気を失っている、と思いこんでいた人物からの言葉に、ヒューゴは絶句した。
だが、そんな彼の様子にわずかに鼻をふん!とならしながら、プレシアはまるで今思い出した、と言うかのようにぽんと手を打った。
「ああ、そういえば、貴方に頼まれていた事があったんだっけ」
「なんだと?」
プレシアが手を掲げると、虚空から、今までフェイトが手に入れ、集めてきたジュエル・シードが出現する。
そして、彼女が手を振るうと、ジュエル・シードがヒューゴの足元に転がる。
「さぞや御執心だったようだから、とりあえず、貴方にあげるわ。私にはなんら益の無いものの様だったし。サービスで封印も施しておいたから簡単には暴走しないわよ」
「な、な、な」
ヒューゴは信じられない思いだった。
プレシアの、彼女の目的の為にはジュエル・シードは必須のはずだった。少なくとも彼女はそう思い込んでいたはずだった。
ヒューゴは、彼女の目的がそんな事では達成できないものだと考えていたが、彼女の妄執は、そうそう軽いものではないと言う事は知っていた。
だからこそ、彼女がそんな簡単に、この失われた技術、ロストロギアを手放すとは思わなかったのである。
「あら、いらないの?せっかく苦労して手に入れたのに」
そういう割には、彼女は無頓着にジュエル・シードを放り投げた。
その態度から、彼女が、それに執着していないことは明らかであった。
あるいは。
ジュエル・シードの引渡しを拒否した彼女を武力制圧するという、ヒューゴの筋書きは修正を余儀なくされていた。
だが。
「まぁ、これはこれで、ありですかねぇ」
そういいながら、ラパンは笑みを浮かべながら、杖状のデバイスの柄で青い宝石をつついている。
まるで反応の無い、災厄の宝石に、それが封印状態であると言うプレシアの言葉が事実であることが証明された。
そして、人を見透かすようなその笑みに、ヒューゴは腹を立てた。
だが、それ以上に目の前にある事実と、余裕のあるプレシアの態度に、ヒューゴは動揺していた。
一歩も動けないでいた。
「それで、いるの?いらないの?それとも……」
彼女は、二マリと笑みを浮かべる。
「今回の性急な来訪。貴方達の望みは、もっと欲張りなものかしら。例えば……」
そして、唇に浮かんだものをまったく崩さないまま、目を細めてみせる。
「私の命とか?」
目次へ
そもそもがヒューゴという人物は、管理局の技術部門の高官である。少将の位を持っているが、それは武官ではない彼にとっては、ほぼ最高位に到達しているといっていいだろう。いくつもの部門にまたがった発言力を持ち、それらの部門の統括する立場にある。
現在の彼があるのは、本局に大きな発言力を持つ、軍産複合体企業の幹部役員の娘と婚姻関係を結んだお蔭で、此処までの出世はとんとん拍子にすすんだ。加えて様々な問題を内包していた当時の新型魔導炉の改善や、新開発のアルカンシェルなどで、彼はついに将官の地位まで上り詰める事ができた。その為に、彼は数多くの『友人』を作り、そんな彼らのために様々な『便宜』を図ってきたし、それを上回るほどの『手助け』をしてもらってきたのである。それ故に、彼は今の地位にあるのだ。
無論、多くの人間がそこまで到達する事もなく、もっともっと低い官位で退官を迎えるのだから、彼の今ある地位と言うのは十分に出世をしたと言っていいはずだ。
しかし、彼にとってはそれすら、彼の目指すべき姿の中間地点でしかなかった。
だがしかし、これ以上の地位、あるいは管理局の官位のその頂を目指すためにはこのままでは、とても困難なものであった。今の彼の実績からすれば、それは不可能なものであり、彼とて、決して無限の金蔵を持っている訳ではない。そして彼の協力者達は、今まで以上の彼の『成功』を要求してきている。
それ故に、彼が欲したのは、ロストロギアと呼ばれる禁忌の品であった。
管理局の設立理由の一つに、このロストロギアと呼ばれる次元災害を引き起こしかねない危険な遺失物を保管、管理するというものがある。その為に、管理局という職場にはロストロギアの情報が様々に集まってくるのだ。特に技術局には、その取り扱いや解析を行うために持ち込まれるロストロギアは決して少なくはない。そして解析が終了したロストロギアは、厳重に封印され、管理局の秘密裏に設置された保管場所に保存、隔離される事になり、ロストロギアの危険度によっては、二度と日の目を見ることはなくなる。
言うまでもなく、保管、隔離されたこれらのロストロギアは厳重な管理がなされるし、一部のロストロギアや管理世界内に存在する国家の至宝である、とかいった余程の例外を除いてロストロギアの個人所有は、それ相応の理由がない限り許可がされる事はなく、例え許可がおりたとしても、その許可を取る為の、面倒くさくまた厳密な審査が行われる事になる。下手をすればその所得に数年の審査期間を必要とし、また定期的な更新の義務が発生するのだ。
だからこそ、一部の好事家達にとっては、どれほどの大金を積んだとしても手に入れたがるものとなっているし、もしくは、次元災害を引き起こす程の膨大な魔力エネルギーを内包するものも存在するのである。技術者達にとっても垂涎の的であった。
そして、それが違法であるとわかっていても、未登録であり、その『使用』に制限の発生しないロストロギアは、それこそ計り知れない価値を生み出すのである。
それらのすべてが、彼、ヒューゴ・エクストレイルの理由である訳ではないのだが、概ねそれらの理由で、ヒューゴ・エクストレイルはジュエル・シードを求めたのである。彼が手に入れた文献にはジュエル・シードの数は21個。そのすべてが膨大な魔力を内包し、単体でも局地的な次元災害を引き起こすだけの力を持っていると推測できるだけのロストロギアだ。
たとえ半分を、闇ルートで売り捌いたとしても、10個は彼の手元に残る事になる。
それで十分であると彼は判断した。
だから、昔からなじみのある傭兵会社の人間を雇い、また通常とは別のルートを使用してスクライアの一族に、件のロストロギアの発掘を依頼したのである。無論、最初から『事故』が起こることは想定済みの上で、である。
ロストロギア輸送中の事故と言うものは決して多くはないが、全く無い訳ではない。
それだけの危険なものを運んでいるのだ。無論、その輸送は、その道のプロである所のスクライアの一族が行うのである。細心の注意を払っての搬送になる筈だったが、それでも、人間の行う事にはなにかしらの抜けが発生する可能性を含んでいる。
ハインリッヒの法則と言うものがある。
『重傷』以上の災害が1件あったら、その背後には、29件の『軽傷』を伴う災害が起こり、300件もの『ヒヤリ・ハット』した(危うく大惨事になる)傷害のない災害が起きていたことになる。此処で災害とは人為的要因が原因で起こる災害であり、自然現象によって起こる災害は対照とはしない。これは、本来様々な労働現場における災害発生の確率とその災害防止のための教訓として叫ばれる言葉であるが、逆説的にいえば、人というものはミスを犯す生き物である以上、いつかは大きな災害と言うものは発生してしまう可能性を含んでいるという事にもなるのだ。
だからこそ、事故は起こるのである。
実際に、時空世界の黎明期には言うまでもなく、現在においても、人の不注意や、艦艇の整備不良が原因による事故は後を絶たないのも現状である。
ましてや、ロストロギアによって引き起こされるのであれば、それは天災と同義である。だからこそ、このロストロギアの輸送中に事故が起こったとしても、不思議は決してないのである。それが、ロストロギアの封印時の処置のミスであったとするならば、それはヒューマンエラーと呼ばれ、それは人的過失に分類されるべき事象になるのだろう。
どちらにせよ、この輸送艦艇の事故は『発生する計画』だったのである。
そして、次元航路上の事故は、様々な外的要因をその原因の可能性に含めるとするならば、その原因の特定は非常に困難になる。故に、事故調査によってその原因の特定がなされる事が非常にまれな事も、彼は承知していたのである別にその事が管理局の無能さを示す訳では決してない。次元航路上にて事故が発生した場合、本来事故の証拠物件となる残骸や遺留物が、次元航路の潮流に流されて散逸してしまう事が多いのだ。
ただでさえ、本来は、次元空間の航行というものは極めて波の穏やかな領域を、網の目を縫うように張り巡らされているものなのだ。余程の出力をもった魔導炉を搭載した艦艇でなければ、その中を自由に航行できるものではない。それらの能力を持つ艦艇といえば、それこそ管理局の次元航行部隊や、要塞級の移動施設ぐらいのものである。
勿論、次元空間の潮流は、所謂自然現象であり、常に暴れまわっている訳ではない。比較的穏やかな場合もあれば……それでも通常航路として使用されている海域に比較すれば天と地ほどの差があるのだが、次元災害級の乱流が発生する事もある。
熟練の船乗り達にもなれば、たとえそういった『防護策』を施されていない艦船であったとしても、波の中をものともせずに乗り越えていく、つわもの達もいるのだが、それはまた別の話である。
だから、このスクライアの輸送艇の『事故』は、本来は彼の予測の範囲内であった筈の出来事だったのである。
問題なのは、そこでその事故が、彼の想定外の事態が原因で起こった事にあった。
この瞬間にはヒューゴが知る由も無いのだが、後になって考えてみれば、あるいは同じ穴の狢である彼にとっては、想像に難くない事態であったのかもしれない。
つまり、彼の雇った傭兵会社の人間が、発掘したジュエル・シードを横から奪い去ろうとし、不用意な行為でロストロギアを暴走させてしまったのである。十二分な封印が施され、それ以上に強固な輸送船の隔壁であったが、さしもの次元災害球のロストロギアの暴走には耐え切れるものではなかったのか、あるいは、最初からそうなるように細工が施されていたのか。
兎に角、大破した輸送船から流出したロストロギアは、彼の意に反して管理外世界の何処かへと流出してしまったのである。
彼にとって幸いな事に、流出したロストロギアの漂着した世界は比較的にスムーズに特定する事ができた。第97管理外世界。現地の人間達が地球と呼ぶ世界。科学文明が比較的に発達し、管理局世界とは違い、魔法文明はなく、その痕跡すら見られない世界であった。そのような世界に漂着したロストロギア。しかも、祈念タイプの次元干渉型のロストロギアであるジュエル・シードは、それそのものが魔力を内包するタイプのものであるが故に、魔力のない現地人が接触したとしても、万が一封印が綻んでいたのならば、容易に暴走を許す可能性があった。
万が一、ロストロギアが暴走し、次元災害が発生したのならば、たとえ管理外世界で起きた事象であったとしても、管理局の介入を許してしまう。しかも世界級の災害が引き起こされることになれば、ただの事故ですまされない。そうなれば、最悪彼の元にその調査の手が伸びてくる可能性も少なくはないのだ。
ならば、どうするのか。
彼にとっての打つべき最善手は、やはり管理局が介入してくる前に、ジュエル・シードを全て回収してしまう事だろう。だがその為に彼自身が直接動いていては、何らかの形で足がついてしまう恐れがある。
そこで彼は、そのロストロギアの探索者に、ジュエル・シードの捜索者に最適な人間に、あの人物が丁度いいのではないかと、思い至った。
プレシア・テスタロッサである。
かつて、彼が開発に携わった魔導炉『ヒュードラ』の、彼がチーフエンジニアを務める前の責任者をしていた人物である。その時発生した魔導炉の暴走事故の『全ての責任』を取って、中央を追放された技術者であった。優れた魔導士であったが、その時の事故で愛娘を失い、なにやら怪しげな研究にふけっているという。
蛇の道は蛇ともいう。
彼女の行っている研究は、確かにアンダーグラウンドの研究であり、決して表舞台に立てるような研究ではなかったのだが、ヒューゴにとってそれらの情報を入手する事は決して困難ではなかった。
死者の蘇生の魔術や、『F計画』と呼ばれる人造魔導士を生み出す技術。
それらの研究にことごとく失敗していたプレシア……少なくとも彼女の目指す目的は達成できていない……は、次の目標として、ヒューゴですらその存在を疑っている伝説の遺失都市アルハザードの発見と、その都市への到達に執心しているという話を聞いた。
そして、その為の魔導炉開発と、その動力源となる品の捜索に血眼になっていると言うのだ。ならば、ほんの少しだけ、耳元でささやいてやればいい。
そうすれば、あの魔女は、狂気の魔導士は自ら、ロストロギアの探索に赴く筈である。確か、前はクラナガンのアルトセイム地方に滞留していた筈だが、現在は、この付近の海域に、彼女が購入した次元空間内を移動可能な城塞で、第97管理外世界付近の海域へと移動してきている筈である。だから、彼女の耳元で、耳打ちするだけで、すぐさまジュエル・シードが落下した場所へと自ら赴く筈である。
そして、すべてが終わった時には、消えてもらえばそれでいい。魔導炉の暴走の時にも都合のよい道化に仕立て上げ、中央から立ち去ってもらった。今回は、誰にも知られないままに、そのまま何処かへと消え去ってもらえばいいだけだった。
だが、そこで再び、彼の想像の範疇を超える事態がおこった。
ジュエル・シードを収集する第三者の出現。そしてその第三者とプレシアの手の人間とのジュエル・シードの争奪戦が勃発し、結果的に管理局の介入を許してしまった。しかも名将と名高い女傑のリンディ・ハラオウンが率いるアースラ艦隊である。
偶々偶然の事態であったが、或いは悪意ある揚げ足取り……揚げ足を取る行為自体が悪意以外の何物でもないのだが……の結果により、彼女を更迭する事ができ、一時的であるとは言え、アースラの指揮権を奪う事ができた。ならば、後はあの魔女を追い詰め、隙を見つけて始末し、ジュエル・シードを奪取すればそれでよい。
指揮権さえ奪ってしまえば、リンディ提督を後方に下げ、アースラのスタッフはこの件にかかわらないようにしてしまえばいい。後は、万が一の時の為につれてきている彼の子飼いの武装隊員と共に、時の庭園を制圧してしまえばいい。
後は、『彼女』を始末すれば事はすむ。
そしてあわよくばジュエル・シードと共に、プレシアの開発したアルハザードへと到達す為の魔導炉も手に入る、か。
「ふふふ……」
「おや、御機嫌ですな。理由は……まぁ、教えていただくまでもなく、想像に難くない訳ですが……おっと、そうこういっている間に、目的地点ですな」
特に抵抗を受ける事もなく、時の庭園の回廊をすすむヒューゴとラパン。そしてその周囲を防護するように取り囲んでいる武装隊の隊員。言うまでもない事だが、この武装隊員たちもヒューゴに付き従う者達である。それなりの素性の人間達の集まりであった。ラパンという人間だけは、そんな武装隊の中からいつの間にか彼の腹心に近い存在になっていたのだが。少なくとも金で動き、それに唯々諾々と従う、ヒューゴにとって都合のいい人間の一人に過ぎない、その中で偶々武装隊の指揮が出来る人間、と言う程度の認識でしかない。
その彼らの前に巨大な扉がある。
ラパンが、彼の部下達に手で指示を出す。
二人の武装隊員が進み出てきて、扉に手をかけた。
武装隊の人間達がデバイスを構える。彼らはいつでも魔法攻撃を行えるように、すでに魔法の術式を立ち上げ、発動の直前の状態で待機させていた。それを確認し、ラパンはヒューゴの前に壁のように立ちはだかる。
「やれ」
ヒューゴの無慈悲な命令が下った。
やれやれ、と首を左右に振りながら、ラパンは、右手を上げ、それを振り下ろした。
魔女プレシア・テスタロッサの居城である『時の庭園』は、少なくとも彼女自身の趣味ではなく、かつての持ち主のその趣味を反映したかのような構造をしていた。
事実、彼女がフェイトと対応した時の、その場所はまるで謁見の間とでも呼ぶべき風体であった。
そして彼女は、彼女の元を訪れるほんのわずかばかりの来客に応対する時も、その場所を使用した。
確かに彼女の趣味からすれば、そんな場所で来客に対応するのは相反するものであったが、他に応対が可能な場所はないのだ。
仕方がなしにではあったが、それでも、気だるい様子で椅子の肘掛に肘をかけ、手の甲にあごを乗せながら、客人に応対すれば、他人が見れば、それはまさに、庭園の主たる大魔女の姿に相違なかった。
なればこそ、ヒューゴ達は時の庭園に突入し、その場所に、彼らの目的である、プレシア・テスタロッサがいると考えたのだ。
無論、庭園に到着し、その直後、無数の探査端末(サーチャー)を放っている。
魔力の塊である無数の探査端末が庭園中を飛び回り、一人の女性の姿を探し回る。
結果的には、魔女の姿を捕捉することはできなかったが、謁見の間の周囲に渦巻く高密度の魔力と、その部屋の中に進入しようとした探査端末が次々にと消滅していったことから、この庭園の主が、その部屋の中にいることはほぼ間違いがないだろう。
そうであるとするならば……それ以外には考えられないのではあるが、これはすでに彼らの勝利に間違いがない、とヒューゴは確信しているようだった。
確かに、万が一、魔女が逃げ出そうとしたときのことを考えて、彼は二手も三手も先の策を講じている。
それには、この庭園を肉視で捕捉できる場所に位置するアースラの存在が邪魔ではあったが、その手出しを封じる手段を、いまだヒューゴは持っていた。
あるいは。
これが罠であると言う可能性も、ラパンの脳裏には浮かんでいたのだが、それはそれで、楽しい事になるに違いない。
彼の本質は、どちらかといえば、猟犬ではなく、狼であるに違いなかったのだ。
予測しえぬ荒事の予感に、心のうちから沸き起こる愉悦を隠すのに一苦労であった。
それに。
これが罠であるのならば、それならばそれで、彼の思惑には問題が生じない。
まぁ、彼としては、彼女に『本気で牙を』剥くわけには行かないのがいささか物足りないと思うのだが。
でも、管理局に名高い伝説の魔女、プレシア・テスタロッサとの対峙は、それでも、彼の心に暗い炎を灯らせていた。
自らが飛び込みたくなる様な衝動を必死で抑えながら、ラパンはヒューゴの命に従い、部下に攻撃を命じた。
本来ならば、管理局員としては、まずプレシア・テスタロッサに、彼女のその罪状を述べ、管理局への投降を『紳士的に』伝えるべきであった。
にもかかわらず、行ったのは何の通達もない武力制圧であった。
いや、もはやそれは、ただの暴力の奔流である。
そんな事を命じたヒューゴの内心はわからなくもない。
かつて、彼が、プレシアという魔女と研究機関で同僚だった時から、どことなく、この魔女に苦手意識を持っていた様だった。
その後、ジュエル・シードの探索をプレシアに行わせるために、何度か接触を繰り返したときも、端から見れば高圧的な態度だったその様子も、裏返してみればこの魔女への苦手意識の現われであったのかもしれない、とラパンは分析する。
確かに。
その時の彼女が、正気であったという言い方は正しいかどうかはわからないが、少なくとも研究員時代の彼女の事を、ラパンは知らないが、ヒューゴの護衛として共に彼女と対峙したときは、正直に言ってお付き合いするのは勘弁してほしいね、と思った。
それでも彼女が美人であったという事は、彼も否定することはしないけれども。
なるほど、ヒューゴとしては、生きているプレシア・テスタロッサよりも、物言わぬ魔女の対話を望んでいたようだった。
死人にくちなし、という言葉が、まさに適用されるような事態だった。
魔力弾の閃光に満たされ、部屋の中に黒煙がもうもうと立ち込める。
少なくとも、ラパンの部下によるBランク以上の魔力弾による連続攻撃であった。
管理局員、と言うよりはならず者と言っても決して間違いではない連中ではあったが、その攻撃は、暴力行為に慣れているだけあって、またその行為に自身を持つ者達だけあって、その実力は間違いがない。
さしものラパン隊長とはいえ、彼らにいっせいに攻撃をされれば、それなりに苦労をするかもしれない。そんな事があるかもしれない。
だからこそ。
晴れてゆく煙の中に、わずかに紫色の光を確認し、そして、とっさに彼の部下の張った魔力障壁をたやすく突き破り、瞬時に2人の意識を刈り取るほどの威力……非殺傷設定の魔力弾ではあったが、おそらくこの二人は、1週間は立ち上がることはできまい……を持った魔法攻撃を返して来た『魔女』に対して、ラパンは素直に『ほぅ』と感嘆の声を上げてしまった。
彼自身にも向けて放たれたその雷撃は、防ぐ事はできたものの、非常に重く、デバイスを持った右手が、軽くしびれる程のものであった。
そんな彼女は、偉大なる魔女は、かつてこの居城を彼らが訪れたときと、まったく同じ姿で、その姿勢を崩さずに、例によって、王座のような座椅子に腰を下ろしながら、まさにこの城の女王の様な視線で、この部屋に現れた者たちを睥睨した。
そして、彼らの記憶よりもほんの少しばかり血色のよくなった形のよい唇に、優雅な笑みを浮かべた。
「これはこれは、ずいぶんと積極的な訪問である事。最近の管理局の職員は、独り身の女性の邸宅を訪問するに当たって無礼と暴力と無作法を呼び鈴にしろと教えられているのかしら?だとしたら、ずいぶんと行動的な組織になった事よね。昔は、こちらが何を言っても、何をしても決して自らは動こうとはしない、まるで巨大な老木の様な組織だとばかり思っていたのに。ああ、もしかしたら、管理局なんて御大層な名前じゃなくて、押し込み強盗に宗旨替えをしたのかしら?それとも火事場泥棒とでも名前を変えるつもりかしら。だとしたら、ずいぶんとお似合いの名前ね」
「ははは、これはずいぶんと手厳しい。確かにレディの部屋にお邪魔するのにはまずはノックするのが礼儀でしたな。ですが、申し訳ない。男と言うものは節操がない生き物でしてね。ましてや貴方のような美人を前にすると、どうもセッカチに成り過ぎるようだ。だがそれもこれも、男が美女を追い求めるのは本能的なもの。ここは広い心を持って御寛恕いただけると、ありがたいのですがね」
「ふふふ、美人などと言われるのは、正直言ってとても嬉しいわ。ましてや、貴方の様な男性に言われるのは、女性ならば心が躍るというもの。でもね、私は、思慮深い男性が好みなの。いまなら草食系男子とか言うのかしら。野生的な殿方も嫌いではないのだけれど、お友達ならいくらでもなって差し上げるのだけれど、それ以上の関係は勘弁していただきたいわ」
「それは残念。これでも胸のうちでは、初心な少年のように、繊細な心の悩みを抱え込んでいるつもりなのですが。では、でしたら、まずは茶飲み友達からはじめると言うのはいかがですかな?なに、男と酒はじっくりと寝かせて楽しむのがいいと聞いた事がありますよ」
「けだし真実ね。でも、貴方はどちらかと言えば、酒精の高い蒸留酒よね、しかもかなり純度の高い。私はお酒は味わって飲むタイプなの。喉を焼くようなお酒は好きではないわ。酔うという行為は嫌いではないのだけれど、酔わされるのは勘弁ね。それに、悪酔いして翌日に残るようなお酒の飲み方は個人的にはするつもりはないの、ごめんなさいね。美酒よりも銘酒よりも、名前なんかなくても飲みやすい素朴なお酒がいいわね」
「これは……ふむ、俗に言うふられたというやつですかな?」
「そうね、ごめんなさい。でも、自分の名前を名乗る前に、女性を口説くような男性とお付き合いするつもりは端からないわ。紳士な殿方ならば、まずは自己紹介をしていただかないと。名前も知らないミステリアスな男性との恋等と言うものは、申し訳ないけれど、女学生時代に卒業したつもりよ?」
クスクスと笑みを浮かべる、プレシア。ラパンも彼女の正面で平然とした様子で肩をすくめる。
そんな二人をよそに、ラパンの率いる武装隊はジリジリと、プレシアの周囲を取り囲もうとしている。
まったく視線をラパンからそらすことなく、柔らかな笑みを浮かべるプレシアはそんな彼らを気にした風でもない。
たいした胆力である、という他はない。
「おっと、それはそれはご無礼を。時空管理局技術部第4後方処理課特務部隊部隊長ラパン・ダラパンと言います。短期のお付き合いになるとは思いますが、お見知りおきを」
「あらあら、これはご丁寧に。でも、その部隊って『実在する』のかしら?」
「少なくとも『小官は』存在いたしますぞ?」
「うふ、素敵な答えね、隊長殿。では、私も自己紹介をしなければならないのかしら。もちろん、いまさらながら、貴方達が鹿狩りの獲物の名前をご存じないとは思えないのだけど」
「鹿と言うよりは狐、ですかなぁ」
「だまらっしゃい!口数の多い男はなおのこと好きになれないわ」
「これは失礼」
そういうプレシアは笑みを崩してはいない。
おどけて肩をすくめるラパンもこれまた同様である。
「プレシア・テスタロッサよ。さて、貴方との会話はとても楽しくて名残惜しいのだけれど、無粋者を歓待してあげることができるほど私の懐は広くないの。特に私に用事と言うものがないのであれば、お帰りいただけないかしら?超過勤務手当てに危険任務手当もついて、それはそれで魅力的なのだけれど、プライベートな時間をおろそかにするのは人生の大きな損失だと思わないこと?」
「いやはや、実に名言、実に真実。今すぐ踵を返して帰宅し冷たいアルコールで喉を潤うと言うのは、まこと魅力的な提案ではありますが、小官も勤め人の端くれ。それに、上司の手前、餓鬼の使いではないのですから、帰れと言われて帰るわけには行きませんのでね」
「上司?」
と、プレシアは実に不思議そうに首をかしげた。その仕草は、実に優雅で、それ故に実に演劇じみて見えた。
そして、これまたワザとらしく、ラパンは背後を振り返った。
二人の視線の先には、怒りで顔を真っ赤にしている、ヒューゴの姿がある。
「あら、ヒューゴ。いたの」
「!!」
まるで、今気がついたと言わんばかりの様子のプレシアの言葉に、ヒューゴの痩躯がぶるぶると震え始めた。
「まったく、貴方の訪問はいつも唐突ね。それではレディには嫌われてよ?それで、今回の訪問の理由は何?つまらないことだったらさっさと済ませてほしいものだわ。私は貴方ほど暇ではないの。この後、昨日までに撮りためておいた深夜アニメの……じゃなくて、実に学術的な研究に耽りたいのよ。瑣末な俗事に私の崇高な沈思の時間を邪魔されたくはないわ」
『ちょ、ちょっと、深夜アニメってなによ!』
脳裏に聞こえてきたその言葉をプレシアは黙殺した。
そういえば、ここ数日はアーランドの二代目錬金術師の成長も密かな楽しみの一つであった。三代目は、二代目のエンディングをコンプリートするまで、もうしばらく我慢である、と心の中で決めている。
彼女の娘の片割れが持っていた機材を強奪し、もう一人の娘が借りたマンションの部屋に設置させたのは、いつの日のことか。
それはともかくとして。
「!く、くははは、くはははははは!」
実に真剣な表情でそんなことをいうプレシアの言葉に、ヒューゴは大きな声で笑い声を上げた。
それはまさに嘲笑。今度は、怒りとは別の意味で顔が赤く染まってゆく。
「あら、今の言葉のどこが貴方の笑いのつぼを刺激したのかわからないのだけれど、その人を見下したような笑い方は、実に不快だわ」
突込みどころは、満載ではあったけれど。
「ふふふふは、いやはや、実に滑稽だと思ってな」
「あら、それってどういう意味かしら?」
「かなうはずのない思いを遂げる為、達成する事のあるはずのない目的を果たす為、その無意味な研究を続ける事に何の意味があるのかね?」
ピクリとプレシアの体が震えた。
「ずいぶんと意味深な事を言うのね、ヒューゴ」
「そうかね?まぁ、今の君に何を言っても理解はできないと思うが」
「それもそうね、狂人の言っている事なんて、私にはこれっぽちも理解することなんてできるはずもないのだから」
「なっ!」
彼女こそが正気を失っている、と思いこんでいた人物からの言葉に、ヒューゴは絶句した。
だが、そんな彼の様子にわずかに鼻をふん!とならしながら、プレシアはまるで今思い出した、と言うかのようにぽんと手を打った。
「ああ、そういえば、貴方に頼まれていた事があったんだっけ」
「なんだと?」
プレシアが手を掲げると、虚空から、今までフェイトが手に入れ、集めてきたジュエル・シードが出現する。
そして、彼女が手を振るうと、ジュエル・シードがヒューゴの足元に転がる。
「さぞや御執心だったようだから、とりあえず、貴方にあげるわ。私にはなんら益の無いものの様だったし。サービスで封印も施しておいたから簡単には暴走しないわよ」
「な、な、な」
ヒューゴは信じられない思いだった。
プレシアの、彼女の目的の為にはジュエル・シードは必須のはずだった。少なくとも彼女はそう思い込んでいたはずだった。
ヒューゴは、彼女の目的がそんな事では達成できないものだと考えていたが、彼女の妄執は、そうそう軽いものではないと言う事は知っていた。
だからこそ、彼女がそんな簡単に、この失われた技術、ロストロギアを手放すとは思わなかったのである。
「あら、いらないの?せっかく苦労して手に入れたのに」
そういう割には、彼女は無頓着にジュエル・シードを放り投げた。
その態度から、彼女が、それに執着していないことは明らかであった。
あるいは。
ジュエル・シードの引渡しを拒否した彼女を武力制圧するという、ヒューゴの筋書きは修正を余儀なくされていた。
だが。
「まぁ、これはこれで、ありですかねぇ」
そういいながら、ラパンは笑みを浮かべながら、杖状のデバイスの柄で青い宝石をつついている。
まるで反応の無い、災厄の宝石に、それが封印状態であると言うプレシアの言葉が事実であることが証明された。
そして、人を見透かすようなその笑みに、ヒューゴは腹を立てた。
だが、それ以上に目の前にある事実と、余裕のあるプレシアの態度に、ヒューゴは動揺していた。
一歩も動けないでいた。
「それで、いるの?いらないの?それとも……」
彼女は、二マリと笑みを浮かべる。
「今回の性急な来訪。貴方達の望みは、もっと欲張りなものかしら。例えば……」
そして、唇に浮かんだものをまったく崩さないまま、目を細めてみせる。
「私の命とか?」
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「対峙」だとおもう