こんな本を読んでいる

日々出版される本の洪水。翻弄されながらも気ままに楽しむ。あんな本。こんな本。
新しい出会いをありがとう。

『ローマから日本が見える』

2005年09月25日 | 読書ノート
ローマから日本が見える

集英社インターナショナル

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 塩野七生の『ローマから日本が見える』を読んだ。塩野さんの『ローマ人の物語』は,是非,読みたいと思っている。だが,あまりの大作。一度,足を踏み入れると,当分,他の本に浮気できそうにないので,入り込めずにいるのが実情だ。

 そこで,安直に,ガイドライン本で,済ませようと手にとってのがこの本だが,これって,もしかして読んだことあると思ったら,案の定,数年前,集英社からでた『痛快!ローマ学』の焼き直しであった。だが,何せ,読んだのは3年前のこと。読んだことのある箇所があると思えば,新鮮なところもあったりして,我ながら,自分の記憶力のええかげんさを大いに嘆き悲しんだ。

 ともあれ,読み直してみて,改めて,ローマ帝国の底力のようなものを感じた。その底力の源泉は,ひとつが,「敗者をも同化してしまう」寛容さであり,もう一つが,時代の背景や環境にあわせて,政治体制を変態させる柔軟性,政体の再構築能力の高さだ。この2つの要素がローマの継続的な反映を保障したと言っても過言ではあるまい。
 その点,あくまでも,植民主義を貫いた英国の帝国主義や,民主主義を強要する米国の帝国主義は,ローマ帝国のやり方とは本質的に性質の異なるものである。
 
  先般読んだ中西輝政の『アメリカ外交の魂』によれば,アメリカの建国の父たちが模範にしたのは,ローマ帝国であり,米国をローマより,より永続するため,ローマ凋落の原因を権力の牽制構造の脆弱性に求め,合衆国国憲法に,徹底した三権分立の思想を持ち込んだということなのだが・・・。建国の父たちのローマ理解は,あまりに表層的に過ぎはしまいか。もっとも重要な,敗者へ寛容さの要件と時代に即応する柔軟さの欠けた国ではあるまいか。そんな議論が沸いてきた。もし,アメリカがローマに学んでいたとすれば,ベトナムも,南米も,アフガニスタンもイラクもなく,ましては9.11はなかったのではないか。今,塩野さんの本に学ぶべき者は米国ではないかと思った。

 底流に,市民の持つ権利・義務への尊重とバランスある配慮があって,その最適な手段としての政治体制という組み立てがあったればこそ,王政から共和制,帝政へと政治体制の変遷は成功したし,ブルータスによるカエサルの死も,旧体制・元老院の抵抗と見ることができる。カエサルを受け継いだオクタウィアヌスが,何百年にもわたるローマの基礎を築いたことからも,その正当性が窺い知れるものである。

 それにしても,カエサルの性急さを補正し,元老院を絶えず味方につけながら,結局は,帝政を確立したオクタウィアヌスに,改めて脱帽した。塩野さんの評価はカエサルの方が上だが,私は,オクタウィアヌスに軍配を上げたいし,その手法は,盗み取って,自らのサラリーマン人生にも生かしたいと思った。
 カエサルやオクタウィアヌスに先立ち,改革に先鞭をつけたグラックス兄弟,とりわけ,兄の死に遭遇しながらも,改革精神をを捨ず,命を顧みずたたかった弟の姿勢に感動した。彼らのレースがなければ,カエサルやオクタウィアヌスも成功に至らなかったに違いない。 


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