STONEWALK HIROSHIMA

ストーンウォーク・ジャパン2005のその後をお知らせします。

米国からのスライドショウの内容-広島編(3)

2006年09月06日 | Weblog

(写真説明:デオラ・ボドレーさん)

http://photo-patrone.org/StonewalkJp.swf


スライドの写真は時系列に紹介してあります。

石の長崎到着
出発式
石が進む
陸と海の光景
ストーンウォークの顔ぶれ

「デオラ-平和への歩み」について

この歌詞は、20歳の大学生であったデオラ・ボドレーさんが書きました。
彼女の死後、音楽家で教師でもあった父親のデリル・ボドレー氏が曲を付けました。
デオラは、9・11にペンシルバニアで墜落したユナイテッド航空のフライト73便の乗客でした。


米国からのスライドショウの内容-広島編(2)

2006年09月03日 | Weblog

<ストーンウォークの目的>

戦争で殺された無名市民を慰霊する石は、原爆投下60年後に、人間の力だけで、長崎から広島まで旅をした。

ストーンウォーク・ジャパン2005 7月2日-8月6日

原爆投下60年後、長崎から広島までの375マイルの旅

20世紀には、戦争と内乱の犠牲者の80%が一般市民だった。ストーンウォークの目的は、この悲劇に注目するよう呼びかけること、また、国家や個人に対して、紛争解決と平和のために、新しい道筋を見つけるよう要請することである。


米国からのスライドショウの内容(1)

2006年09月01日 | Weblog

 <体験記引用部分>

http://photo-patrone.org/StonewalkJp.swf

「一瞬にして地獄と化した。二度と戦争はあってはならない」
ヒナ コウソウ
美土里在住
長崎で被爆
ストーンウォークに参加

 「通りを歩いている時に、たいへん強い光を見た。閃光の瞬間に、無意識に腕で顔を覆った。体が空中に飛ぶような感じがして、意識を失った。救助された時は、髪は燃えていた。顔は風船のように膨らんでいた。なぜ、シャツが焼けて、腕の周りに垂れているのかと思ったが、それは、私の皮膚であることに直ぐ気付いた。それは地獄だった」
山岡ミチコ、広島の被爆者
1945年当時中学生だった

 「街全体が燃えていた。黒い煙が吹き上がり、大きな物が炸裂する音を聞いた。通りは、恐ろしい状態で、火が燃え盛っていた。そこら中、変なにおいがした。青緑の火の玉がまわりに漂っていた。世界のだれも、他の人は全部死んで、自分だけが生きているのではないかという、恐ろしい孤独感に取り付かれた。」
広島の被爆者
当時11

 「爆弾が広島に落ちて、炸裂した時、私達は、街全体が消えるのを見た。私は飛行記録に『ああ、我々はなんということをしたのだ』と書いた」
ロバート・ルイス機長
エノラ・ゲイの共同パイロット

 


「ストーンウォーク・ジャパン2005」のスライドショウ

2006年09月01日 | Weblog

米国から、送られてきたスライドショウをストーンウォーク福岡でアップしてくださいました。

http://photo-patrone.org/swintro.swf
http://photo-patrone.org/StonewalkJp.swf

前者は長崎編、後者は広島編です。
8月4日の「ストーンウォーク・ジャパン2005」の1周年では、広島編を日本語の解説付きで紹介しました。