ヘッセの「知と愛」を読みました
副題は「ナルチスとゴルトムント」です
マリアブロンというドイツの片田舎のとある修道院
ナルチスは少年見習僧ですが
英才を認められ教師の代役をやっていました
そこへゴルトムントと言う金髪の美少年が送り込まれます
暫く勉強させたい
あわよくば修道僧にとの父親の願いです
ナルチスが年長ですが
ゴルトムントと年は数年しか違いません
あまりにも対照的な性格の違いからか
二人は惹かれあって直ぐに親しくなります
あ互いにないものを尊敬したのです
ナルチスは知を象徴しています
知性、論理、克己心の塊のような人物です
ゴルトムントは愛を象徴しています
感性、直感、情感豊かで人好きのする人物です
少年ゴルトムントは母の顔を憶えていませんでした
帝国官吏であった父は素性の知れない踊り子の母を娶り
母はその後も放縦な生活を送り
最後には何処へともなく姿をくらませたとのことです
父はせめてもの罪滅ぼしにと
少年ゴルトムントを修道院に預けました
ゴルトムントには母譲りの隠れた才能がありました
それは芸術家としての類まれなる感性でした
その容姿は世の如何なる女性を魅惑するに何の不足もありませんでした
ある日ゴルトムントは修道院を飛び出します
以後、ゴルトムントは愛欲に溺れ 官能に溺れ
したい放題の放浪の旅をします
時には人を殺し 貧に窮し 行き倒れにもなります
窮したゴルトムントは木彫り彫刻師の家に転げ込みます
そしてそこで親方に才能を見出されます
暫く落ち着いたゴルトムントは
ナルチスの容姿を模した作品聖ヨハネの像を残しますが
ゴルトムントの目は覚めませんでした
再び放浪の旅に出るのです
またも悲惨な旅でした
ヨーロッパ史に残る黒死病(ペスト)の凄惨さに圧倒されます
ゴルトムントは行けども行けどもうち続く死人の世界を彷徨います
ゴルトムントの生命力はペストの死の地獄を生き延びさせるのです
何とゴルトムントにはまだ女を誘惑するに足るエネルギーが残っていました
とある町の最高権力者である総督の女に手を出したのです
それが命取りとなりました
ゴルトムントは捕縛され地下牢につながれます
翌朝 縛り首が待っていると言う将にその時 偶然が起こります
放浪数十年
修道院で別れたあのナルチスが出世していたのです
ナルチスは町の総督と対等の司教の地位にまで上り詰めていたのです
ナルチスは縛り首の執行前の囚人の懺悔を聴きに来ただけですが
罪人が他ならぬ昔なじみのゴルトムントと知って助け出します
この時 ナルチスはマリアブロン修道院の院長になっていました
ナルチスはゴルトムントを修道院に連れて帰ります
ゴルトムントは心を入れ替え再び芸術活動に精を出します
ゴルトムントは最後の作品マリアの像を完成させます
このマリア像も過去の遍歴で会った女性を模したものでした
ゴルトムントは最高の作品を完成させた満足感を得て 再び
放浪の情断ちがたく修道院を出て行きます
しかしゴルトムントは年を取っていました
この放浪は長く続かず旅に病んで修道院に戻ります
戻ったゴルトムントは生気のない老人になっていました
そして間もなくゴルトムントはナルチスに看取られて亡くなります
以上が荒筋ですが私には何とも言えない感慨が残りました
ゴルトムントに何とも言えない共感を覚えたのです
知性や知識では足下にも及ばなかったナルチスに対して
歩いた道は全く異なっていても
人生の終末時点では対等以上の高みに到達していることを実感させたのです
元々ゴルトムントに芸術家の才能があることを示唆したのはナルチスです
ナルチスの精神によってゴルトムントは目覚めたのです
しかし知性のゴルトムントは近寄りがたく偉すぎます
破れかぶれのゴルトムントの生き方にこそ真実があるように感じます
ゴルトムントとナルチスは
一人の人間の二つの側面の存在を物語っているのかもしれません
ふむ 自分の中にもゴルトムントとナルチスの二人が居るかもしれない
しかし 自分の場合 二つの人格が溶け合い お互いに足を引っ張り合って
才能として発揮できるものは何もありません
振り返れば
自分の人生 常に常識的で中庸の平凡な生き方を良しとしてきました
また ナルチスのように知性を磨き ただひたすら勉強する
そのような生き方を理想としてきました
そして ゴルトムントのような不良少年の生き方は
これを頭から否定してきたのです
しかし 今にして思えば
人間として生き切った後の幸せ感は 一体どちらの方が大きいのでしょうか
人間を知り世界を知り最後に悟る哲学のレベルはどちらが高いのでしょうか
自分も ゴルトムントのような生き方ができておれば
どんなに幸せであったろうかと思います
しかし 現実には やはり それはムリと言うものです
世間も 家族も 自分も 誰にもそんな人生は考えられませんでした
私は自身の許された容量の中で小さな世界を精一杯生きてきたつもりです
事実 ナルチスの知性を千分の一くらいに縮めて
ゴルトムントの万分の一以下の感性を持って
世界や哲学を十分に理解できない凡人であることに活路を見出して
現代の管理社会の片隅で辛うじて小さく小さく生きてきたのでしょう
自分にはこれが精一杯の生き方だったようです
我が人生の時間も残り少なくなった今
ナルチスと対比したゴルトムントの生き様を読んで考え直します
国も時代も違うとは言うものの
ゴルトムントのように生きて死んでいった人物を大変羨ましく感じます
副題は「ナルチスとゴルトムント」です
マリアブロンというドイツの片田舎のとある修道院
ナルチスは少年見習僧ですが
英才を認められ教師の代役をやっていました
そこへゴルトムントと言う金髪の美少年が送り込まれます
暫く勉強させたい
あわよくば修道僧にとの父親の願いです
ナルチスが年長ですが
ゴルトムントと年は数年しか違いません
あまりにも対照的な性格の違いからか
二人は惹かれあって直ぐに親しくなります
あ互いにないものを尊敬したのです
ナルチスは知を象徴しています
知性、論理、克己心の塊のような人物です
ゴルトムントは愛を象徴しています
感性、直感、情感豊かで人好きのする人物です
少年ゴルトムントは母の顔を憶えていませんでした
帝国官吏であった父は素性の知れない踊り子の母を娶り
母はその後も放縦な生活を送り
最後には何処へともなく姿をくらませたとのことです
父はせめてもの罪滅ぼしにと
少年ゴルトムントを修道院に預けました
ゴルトムントには母譲りの隠れた才能がありました
それは芸術家としての類まれなる感性でした
その容姿は世の如何なる女性を魅惑するに何の不足もありませんでした
ある日ゴルトムントは修道院を飛び出します
以後、ゴルトムントは愛欲に溺れ 官能に溺れ
したい放題の放浪の旅をします
時には人を殺し 貧に窮し 行き倒れにもなります
窮したゴルトムントは木彫り彫刻師の家に転げ込みます
そしてそこで親方に才能を見出されます
暫く落ち着いたゴルトムントは
ナルチスの容姿を模した作品聖ヨハネの像を残しますが
ゴルトムントの目は覚めませんでした
再び放浪の旅に出るのです
またも悲惨な旅でした
ヨーロッパ史に残る黒死病(ペスト)の凄惨さに圧倒されます
ゴルトムントは行けども行けどもうち続く死人の世界を彷徨います
ゴルトムントの生命力はペストの死の地獄を生き延びさせるのです
何とゴルトムントにはまだ女を誘惑するに足るエネルギーが残っていました
とある町の最高権力者である総督の女に手を出したのです
それが命取りとなりました
ゴルトムントは捕縛され地下牢につながれます
翌朝 縛り首が待っていると言う将にその時 偶然が起こります
放浪数十年
修道院で別れたあのナルチスが出世していたのです
ナルチスは町の総督と対等の司教の地位にまで上り詰めていたのです
ナルチスは縛り首の執行前の囚人の懺悔を聴きに来ただけですが
罪人が他ならぬ昔なじみのゴルトムントと知って助け出します
この時 ナルチスはマリアブロン修道院の院長になっていました
ナルチスはゴルトムントを修道院に連れて帰ります
ゴルトムントは心を入れ替え再び芸術活動に精を出します
ゴルトムントは最後の作品マリアの像を完成させます
このマリア像も過去の遍歴で会った女性を模したものでした
ゴルトムントは最高の作品を完成させた満足感を得て 再び
放浪の情断ちがたく修道院を出て行きます
しかしゴルトムントは年を取っていました
この放浪は長く続かず旅に病んで修道院に戻ります
戻ったゴルトムントは生気のない老人になっていました
そして間もなくゴルトムントはナルチスに看取られて亡くなります
以上が荒筋ですが私には何とも言えない感慨が残りました
ゴルトムントに何とも言えない共感を覚えたのです
知性や知識では足下にも及ばなかったナルチスに対して
歩いた道は全く異なっていても
人生の終末時点では対等以上の高みに到達していることを実感させたのです
元々ゴルトムントに芸術家の才能があることを示唆したのはナルチスです
ナルチスの精神によってゴルトムントは目覚めたのです
しかし知性のゴルトムントは近寄りがたく偉すぎます
破れかぶれのゴルトムントの生き方にこそ真実があるように感じます
ゴルトムントとナルチスは
一人の人間の二つの側面の存在を物語っているのかもしれません
ふむ 自分の中にもゴルトムントとナルチスの二人が居るかもしれない
しかし 自分の場合 二つの人格が溶け合い お互いに足を引っ張り合って
才能として発揮できるものは何もありません
振り返れば
自分の人生 常に常識的で中庸の平凡な生き方を良しとしてきました
また ナルチスのように知性を磨き ただひたすら勉強する
そのような生き方を理想としてきました
そして ゴルトムントのような不良少年の生き方は
これを頭から否定してきたのです
しかし 今にして思えば
人間として生き切った後の幸せ感は 一体どちらの方が大きいのでしょうか
人間を知り世界を知り最後に悟る哲学のレベルはどちらが高いのでしょうか
自分も ゴルトムントのような生き方ができておれば
どんなに幸せであったろうかと思います
しかし 現実には やはり それはムリと言うものです
世間も 家族も 自分も 誰にもそんな人生は考えられませんでした
私は自身の許された容量の中で小さな世界を精一杯生きてきたつもりです
事実 ナルチスの知性を千分の一くらいに縮めて
ゴルトムントの万分の一以下の感性を持って
世界や哲学を十分に理解できない凡人であることに活路を見出して
現代の管理社会の片隅で辛うじて小さく小さく生きてきたのでしょう
自分にはこれが精一杯の生き方だったようです
我が人生の時間も残り少なくなった今
ナルチスと対比したゴルトムントの生き様を読んで考え直します
国も時代も違うとは言うものの
ゴルトムントのように生きて死んでいった人物を大変羨ましく感じます
それまで,あまり考えたことも無かった,「理性」「感性」「知性」「野性」などの関係について,深く考えさせられた思い出がありました。
ふと,「ナルチスとゴルトムント」で検索したら,どんなページが出てくるのだろうと思い,このブログに辿り着きました。
そして驚いたのですが,ブログ主さんと同じで,私も,30年近く勤めた小学校の教職を,数年早めに退職したばかりなので,何かとても親近感のようなものを感じました。
このHPをお気に入りに登録しておき,また訪ねさせて頂きます。
私もナルチス的人生を歩んできて、ゴルトムント的人生に憧れを感じます。しかしながらゴルトムント的人生を歩んできた方は、ナルチス的人生に憧れを感じるのではと思います。
人はそのような生き物だと思っています。