自著の小説・詩の紹介(巨人戦)

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高木徳一の小説の執筆状況と45作目の詩(続き)、(巨人戦)

2009-08-17 14:32:02 | 小説

 お早う御座います。

 朝晩は少し涼しくなり、ホッとしますね。これで、執筆の方もはかどれば良いのですが・・。

ゴーヤは日照不足のせいか、昨年より小振りで、2個収穫しました。現在掌の長さの物が8個、指の長さが7個、爪の長さが5個あり、毎朝その成長を楽しみにしています、ちなみに苗は6本です。

 この所、政治、経済に大きな問題は無く、押尾、酒井法子夫婦の麻薬問題が騒がれていますね。

 スポーツでは、世界陸上、遼君の米国ツアーで予選通過、高校野球が盛り上がっています。

 巨人はここにきて、足踏み状態で、昨日も阪神に2:5で負け、ナイターの中日対ヤクルト戦を聞きながら、中日が負ける事を望んでいました。こんな寂しい気持ちにさせないよう巨人の奮起を期待します。ラミレス、亀井選手の本塁打も空砲になりました。3回に二塁の木村選手のエラーから高橋投手のリズムが狂い、ブラゼル選手に3ランを浴びてしまいました。しかし、エラーはつきもので、打撃陣が下柳、藤川投手に抑えられ、2点では仕方ありません。頭を切り替えて、明日からの横浜2連戦に備えて下さい。現時点で59勝35敗8分で中日とは1.5差と僅差になってしまいました。

 さて、仮題『黒服の客』は暑さで中々進まず、130枚程度で、残りは3割位ですか。演劇を目指す少女の起伏に富んだ成長物語です。ご期待下さい。これは中篇にする積りです。

 それでは、イタリア紀行文の続きをお楽しみ下さい。

  四十五. イタリア、ローマ市 (古代人との邂逅)、(続き)

                      昭和六十三年八月

   

   (四) バルベリーニ広場 

       ヴェネト通りの並木舗道のテラスで、グレープジュースを注文した。丼の大きさのワイングラスに入っている。三人分はありそう。イタリア人の胃の大きさをみたい。

 バルベリーニ広場からヴェネスト通りをS字状に上って行くと、三世紀に城塞として建てられたと言うピンチアーナ門が見える。右手にある予約したジラロスト・トスカノで夕餉を愉しむ。食前酒ビアンコを飲みながら、アンチパスト(前菜)の生ハム、サラミ、ミートボールに手を出して語らう。チキンの炭火焼き、舌平目のグリル、ミックスサラダ、オリーブ油と酢和え、デザートのアイスクリームミックス、食後酒にアマーロ・ルカーノを味わった。辺りを見回すと、夕食を家族と、友と、恋人と笑顔でお喋りしながら、赤ら顔で陽気に過ごしている。

  

  (五) トレヴィの泉

      『トレヴィの泉』を訪ねて、壁面の海神彫刻と人々の多さに驚いた。この泉は古代水道の修復と整備の最後の計画として、教皇クレメンス十二世が公募し、ベルリーニからサルヴィの手を経て完成との事。このポーリ宮殿の壁面彫刻はブラッチ作。コインを後ろ向きで投げる人、色取り取りのアイスクリームを頬張る人、写真を撮る人で鈴なりだ。強烈な太陽がポーリ宮殿にさえぎられて影を大きく作り、そこで涼をとる市民と観光客。

 翌日、日本人医師を招いたパーティーを済ませ、各ホテルに送った後、バスのガイドと運転手に礼を述べ、降りた。つかつかと寄って来た男は人のよさそうな笑顔を見せ、体躯のがっちりしたイタリア人風であった。ジャパニーズ・イングリッシュ並みの、日本人にとって理解し易い英語で話し掛けてきた。小さな紙に印刷された地図を出し、指差ししながら、「『トレヴィの泉』は何処ですか?」と問われた。「二度訪れたが、ここからどう行くかは、夜でもあり、方角が咄嗟には判らない。でも、宿泊中のホテルの近くだから、途中まで案内しますよ」「おお! どうも有り難う」  道中、こちらは日本からこれこれしかじかの用事で来たなど喋り、相手も自分は技術者で東京には一度行った事があり、大阪には知人もいるなどと話しながら来ると、『トレヴィの泉』の標識が見付かった。自分のホテルはすぐそこのコルソ通りの『コロンナホテル』だが、まだ午後九時半だし、眠るには早いし、英会話の練習にもなると考え、彼とトレヴィの泉で飲もうと思った。目的地に着くと、彼はわざわざコインをくれたので、後ろ向きでお互い投げ入れた。近くの店でビールでも買って来ようとすると、「ここでは話もゆっくり出来ないし、その辺のバーで飲もうぜ」と言った。「自分は夜空の下でビールを飲みながら語りたい」と言い返した。「おごるから、路地裏のバーに行こう」と言いつつ、歩き出した。じゃ、行ってみようかと心で思い、彼の後についた。奥まった所へ入り込むと『ピアノバー』の看板。昨夜のミーティングで、友二人から、『ピアノバー』に寄ったら女二人、男二人が中に居て、コーラ一杯ずつで計二万円ぼられたと言ったのを思い出した。彼はいやにバーで飲む事にこだわり、またトレヴィの泉を初めて訪れたには、『ピアノバー』の方角へすんなりと先に立って案内したもんだと気付いた。これはやばいぞ、引っ掛かってたまるか。特に一人だし。と心に呟き、「自分はトレヴィの泉の前で飲むんだと強く言った。彼は六米先におり、正に『ピアノバー』の扉に手を遣るところで、「ここで飲もうぜ」と再三再四叫んだ。「じゃあ、これで。僕はホテルに帰るよ。さようなら」彼は未練たっぷりなジェスチャーをして扉を開けて中に消えた。やはり、日本人観光客を狙ったたかりやさんだと思った。人を疑う事は悲しいが・・。海外では、注意し過ぎる事はないと自分に言い聞かせた。まして、全財産を肌身に付けているので。仲間と後を追って来られたら困るので、速足で多くの観光客に紛れ込んだ。追われた様子も無く、ホッとした。ホテルに戻り、冷蔵庫のビールを一気に飲み干した。

   

   (六)テルミニ駅

      テルミニ駅を見詰めた・・。二十六年前の記憶が蘇ってきた。

一浪中、図書館での勉学に疲れ、ふらっと入った洋画館。そこで、キャサリン・ヘプバーン主演の『終着駅』を観た。小銭を貯めたアメリカ人の五、六十歳の女がローマで恋し、愛したイタリア人男性と、夫々の家庭を守るため、テルミニ駅で永遠の別れをする名場面であった。こんな恋、愛の形もあるものなのだなあ、何時か自分も経験したい。苦しいかも知れない、悲しいかも知れないが・・。それには、当面の自己の課題である大学入試を突破するしかない。ようし、頑張るぞー!と映画に勇気付けられたものだ。その場所に、今立っている。自分なりに努力して、大学を卒業出来、出張で来られた。これからも、努力あるのみ。駅を目に焼き付け、後にした。同じような体験は残念ながら、現時点で叶っていないが・・。

      


高木徳一の小説の執筆状況と45作目の詩(巨人戦)

2009-08-01 16:12:18 | 小説

 今日は。

 8月を迎え、暑くなったり、涼しくなったり、雨が各地で暴れたりとめまぐるしい今日この頃ですね。昨日は盆踊り大会の準備をして、今晩(1日)と明日が本番で、雨が心配です。小学生以下にはお菓子のプレゼントです。そして、3日には大好きな反省会で、ほろ酔い機嫌になります。

 政治面では、各党のマニュフェストが出揃いましたね。でも、世論は長期自民党政権からここらで民主党にやって頂き、お手並みを見たいという事でしょう。

 経済は、4-6月期の銀行や証券会社の収益増加で、株価も上昇気味ですが、雇用情勢は悪化との由。エコカーの増産の明るい話題もありますね。

 社会面では、本日の朝日新聞にて出雲市の中学2年生が日頃から父親に勉強をするように厳しく言われ、昨年の夏休みには毎日机に向かわされ、今年はそこから抜け出したいからと父親を刺殺したという痛ましい事件を読みました。

親と子の心のすれ違いですね。親としては成績がかんばしくないので人並みに勉強させ、費用の安い公立校に入って貰いたいし、子供は夏休みくらいはゆっくり友達と遊ばせて欲しいと・・。個人個人好き嫌いは違うし、得意な教科も違いますね。勉学に秀でた子、スポーツ、文芸、芸術が得意な子など。親も親同士や先生と交流し、悩みや解決策などの意見交換をし、子供にも従兄弟や近所の友達と交流させ、共に心を鍛えていく他はないと思います。

 ちなみに、私の両親は農家の出で、手伝いをさせられ、母は6年間の尋常(じゅんじょう)小学校を農繁期には休んだりしながら卒業し、父は8年間の高等小学校卒だそうです。子供には勉強のべの字も言いませんでしたが、自分らが不十分だったので勉強が好きなら高等教育を受けさせるとの覚悟で家計を節約しているからとは時折り、言われたものです。子供の特性に合わせて、親が距離を置いて援助するのが良いのかも・・。でも、石川遼君のような親が付ききりの英才教育も必要かも・・。

また、動植物の命を奪ったり食べたりしていながら、人を殺す事はいけない事、罪悪だと説得するにはどうしたらよいのか? 人間は、現代社会になっても民族、宗教、資源などの紛争から戦争をして、敵対者を容赦なく殺しているのを、どう子供達に説明するのか? これらの問題は一筋縄ではいきませんね。関係者には人間の英知を国連の場で一層発揮して貰いたいです。

スポーツでは、水泳の世界選手権で古賀選手が金、入江選手が銀、松田選手が銅を取り、やや面目を保ちました。また、宮里藍ちゃんが4年目にしてゴルフの米ツアーで初優勝のビッグニュースがありましたね。

 巨人は昨夜阪神に2:3と破れ、オールスター戦後1勝3敗と雲行きが怪しくなってきました。内海投手は6回坂本選手のソロホームランで1点を貰ったが、その裏ブラゼル選手に3ランを打たれ、沈みました。ラミレス選手のソロは遅すぎました。これで、51勝31敗7分で中日に1.5、ヤクルトに2ゲーム差とされ、お尻に火が点きました。投手陣の立て直しが急務です。1点差ゲームに負けてるので、精神力も重要です。原監督、よろしく!

 これから、夕飯の支度をして早夕飯を食べ、盆踊り大会の防犯役に参加するので、このブログは一先ず、閉じて、明日に続きを書き込みます。それでは・・・

 続きを書きます。雨は降りませんでしたが、肌寒い中での初日の盆踊りも盛況裡に終わりました。

 昨夜、サイエンスゼロの番組で、慶応大学の研究所では細胞レベルで治療薬の無かった膵臓癌を殺す薬を見つけたとの朗報がありました。一般的に癌細胞は栄養と酸素が必要ですが、この膵臓癌細胞は栄養も少なく酸欠でも、フマール酸がコハク酸に代謝される際に発生するエネルギーで生きられ、増殖するそうです。回虫も同じ機序で生きているので、その駆虫薬を膵臓癌細胞に振りかけたら死滅したというのです。これから臨床試験を経て全身での効果や副作用の有無を検討し、早期に製品化することを期待します。というのも、母が85歳の時、末期の膵臓癌でしたが痛みも無く、発見から6ヶ月目で亡くなりましたので・・。

 1日から、ベストセラー漫画『こちら亀有公園前派出所』(通称こち亀)のドラマが香取慎吾さん主演で始まりましたね。柴又を舞台にした『風天の寅さん』の次は亀有です。間に挟まれた町、高砂、新宿(にいじゅく)の話題が無いのは寂しいです。自分が頑張らねばと・・。

 ココログに柴又出身の小説家佐伯紅緒さんのブログがスタートし、お顔も爽やかであり、同郷のよしみとして親近感が湧き、内容も面白いので紹介します。次のサイトを覗いて下さい。http://saekirouge.cocolog-nifty.com/blog/

 さて、小説の執筆状況としては仮題『黒服の客』が120ページ程になり、後3割くらいです。

 最後に、45作目の『旅愁散文詩』を記します。いよいよ最後の訪問地ローマです。消化器病学会に参加し、お世話になっていたお医者さんの接待を兼ねていました。

  四十五. イタリア、ローマ市 (古代人との邂逅)

                 昭和六十三年八月

   (一) 羽田発

       北緯42度、ボストン、函館と同じ緯度に位置するローマ市。時は夏の真っ盛り。    羽田を発ち、アンカレッジ経由でイギリスのヒースルー空港に到着した。どんより曇っている。ターミナルまでバスで移動した。カウンターに問い合わせたところ、ローマ行きがどのゲートかは出発の15分前にならないと判らないとの事。これには驚いた。突然、「ハンブルグ行きはどのゲートからですか?」と日本人の小母さん、45歳前後の人から声を掛けられた。中央待合室のボードや廊下のあちこちに在るテレビに、出航時刻の15分前頃に表示される旨を伝えた。聞くところによると、彼女は外国語は全く駄目である由。しかし、今では世界中至る所に日本人がおり、行けば何とかなるという信念で、娘さんの嫁ぎ先であるハンブルグまで行くのだと言う。空港には娘さん夫婦が出迎えに来るとの事。母の愛は強し。「お互いに無事で!」と声を掛け合い、別れた。

 定員50人のアリタリア航空機に乗り継いだ。髪の色は金、銀、茶、黒、目は青と黒、背の高さ、大小様々、鼻にも高低あり、鷲鼻、団子鼻と鼻づくし。色とりどりのファッションから種々の言語が飛び交う。窓外には、太陽光を反射し、ピカピカ光る万年雪。アルプスの山を一跨ぎ。ダ・ヴィンチ空港に無事着陸した。

 訪れたローマ市内を感じたままに簡単に書き連ねてみたい。

   (二)ボルゲーゼ公園

      ボルゲーゼ公園内の館のテラスにて、夕餉を摂る。ワインを傾け、夕陽が沈み、薄明かりのローマ市内を展望する。ピアノの奏と共にロマンチックな雰囲気が辺りを覆う。

 ピンチョの丘より、市内を撮った。オーストリーから観光に来ている少女2人と写真に納まる。オーストリーかオーストラリアか、何度か聞き直したものだ。拳銃と剣を腰に提げた騎馬警官が颯爽と現れた。カメラを向けた。「疑われて、ピストルでも抜かれたら事だから、遠くから!」と友に言われ、それに従った。

 ポポロ(人民の意)の広場に在るオベリスクの余りの高さに目をぱちくり。24米だそうだ。口から水出すライオン像に跨り、友に写真を撮らせ、アベックの笑いを誘う。この広場を見下ろすように、ナポレオン一世率いる騎馬隊があたかも宙に浮き、進軍している大きさの像に圧倒された。それが幾つも在る。

   (三) スペイン広場

       観光客が写真を撮り合ったり、アイスクリームを頬張ったりして、スペイン階段に座っている。その前方にあるショッピング街のグッチに足を入れた。何人もの日本人女性に出くわす。バッグを二つ妹達に頼まれ、金額は大体指定されていたが、同じようなデザインが多くあったので、どれにしようか迷っていた。日本人の母娘連れの方と話し込み、女性の立場から、「少し大き目の方が良いわよ」とアドバイスを頂き、ようやく決める事が出来た。次は靴屋に入り、我が靴を買った。並びの『東京レストラン』で、ビールを飲み、和食を食べホッと一息が付けた。(後日談だが、試しに靴を履いて少し歩き、何でもなかったので購入したが、帰国後長く履くと甲高の足が痛み、履かなくなってしまった)

 急にお金を使う事になったので、万一マスターカードが使えない店があるとの想定で、日本円をリラに買えておきたかった。日本円10万円をホテルで交換したら、1万円を手数料として取られ、おったまげた。手数料が高すぎるからキャンセルとも言えず、仕方なく領収書を貰った。手数料の安い順は、ご承知の通り、空港内(1~2%、パスポート提示)、次に銀行(3~5%、パスポート提示。午後は休みになる場合多し)で、ホテルが一番高い。