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《「夏目家論」としても深い味わいに満ちた1冊です》
漱石の長男の子である筆者と、漱石作品との自在な距離感がうらやましいです。
家族としての記憶と作品から、近代知識人・漱石の苦しみに触れ、
私人・金之助の実像を丁寧にすくいとり、
さらに著者自身の深層にある漱石を発見し、
それらを行き来しながら書かれる本書は、これまで読んだどの漱石論よりすんなりと入ってきました。
あ、漱石論そんなに読んでないですけど。
筆者はあとがきでこの執筆について「深い井戸にでも降りてゆくよう」な作業と言い、読者としてもそれに伴走できたような気がします。
作品に作家を見て、世間を、人間を見て、自分を見るというのは、きついことでもあり、読書の快楽とも言えるでしょう。
つまり、わたしたちも孫が読むように近代文学を読めたらいいな、っていうか、読めるはずだ、そんなことを思いました。
■6/1読了 実業之日本社 2006年刊【文芸評論】夏目房之介(1950~)
漱石の長男の子である筆者と、漱石作品との自在な距離感がうらやましいです。
家族としての記憶と作品から、近代知識人・漱石の苦しみに触れ、
私人・金之助の実像を丁寧にすくいとり、
さらに著者自身の深層にある漱石を発見し、
それらを行き来しながら書かれる本書は、これまで読んだどの漱石論よりすんなりと入ってきました。
あ、漱石論そんなに読んでないですけど。
筆者はあとがきでこの執筆について「深い井戸にでも降りてゆくよう」な作業と言い、読者としてもそれに伴走できたような気がします。
作品に作家を見て、世間を、人間を見て、自分を見るというのは、きついことでもあり、読書の快楽とも言えるでしょう。
つまり、わたしたちも孫が読むように近代文学を読めたらいいな、っていうか、読めるはずだ、そんなことを思いました。
■6/1読了 実業之日本社 2006年刊【文芸評論】夏目房之介(1950~)