快読日記

日々の読書記録

「戸塚ヨットスクールは、いま」東海テレビ取材班

2013年02月27日 | ノンフィクション・社会・事件・評伝
《2/25読了 岩波書店 2011年刊 【ノンフィクション】》

戸塚ヨットスクールはまだあります。
今もニートやひきこもり・いじめ被害者・薬物依存者など、常時10人くらいの訓練生がいて、しかも彼らは高齢化(20代後半もいる!)しています。

そういえばこの前、大阪市の高校の体罰事件のとき、戸塚宏が昼のワイドショーに呼ばれていたのを見ました。
「体罰代表」みたいな扱いで、他の出演者とまったく話がかみ合わない。
そもそも部活動に取り組む意欲的な子供を感情にまかせてぶん殴るのと、戸塚がやってきたこととはまるで違うんだから、かみ合うわけがないんです。
戸塚がやってきたこと、それは「人助け」であり「世直し」だと言ったらブーイングの嵐だろうから言いませんが、社会に適応できない人間を更生させるってすごい労力が要ることで、一言で言えば究極のおせっかい。
誰かがやらなきゃならないこと、そして誰もやりたがらないことをこの人はやっている、そんな気がします。
気の毒なのは、戸塚によって社会復帰を果たした人たちとその家族が、その事実を隠し続けることです。
80年代に起きた一連の“戸塚ヨットスクール事件”で、戸塚校長以下コーチ全員が逮捕され、スクールが閉鎖に追い込まれたとき、残った専属整体師が20人ほどの支援者と後援活動を始めました。
ところが、ヨットスクールに救われた卒業生と親は協力しなかった。
あそこで立ち直ったことも、あそこに子供を入れたことも“恥”だということなんでしょう。
彼らの証言があれば、もう少し状況は変わったかもしれないのに。

学校・児童相談所・警察・児童自立支援施設・少年院・少年鑑別所など、あらゆる機関や施設が救えなかった子供とその家族を救った実績を、冷静に認めるところから考えることはできないものでしょうか。

「戸塚=体罰。体罰=暴力。暴力=悪。単純な理論に流し込むことで、この30年、私たちは戸塚ヨットスクールを否定し、社会的に葬ってきた。しかし、不登校、引きこもり、家庭内暴力、果ては親子間殺人と沸点に達していく家族は、社会から孤立を余儀なくされているだけで、その解決の糸口すら提示できていない。(略)暴力か教育か…。熱狂し、硬直し、そして忘却した、あの二元論を越えていく力が私たちの社会に求められている」(57p)

わたしは、「教育」には「矯正」という一面があり、「矯正」は殴る殴らないに関わらずそれ自体が「暴力」であるという点を認めた上で「教育」を考えるべきだと思っています。
歯の矯正だって痛いもんです。
でも、人間は、生まれたままでは「人間」になれない動物なんだから、やっぱり「教育」は必要でしょう。

本来こうした仕事をするべき機関が機能していないことの方がずっと問題なんじゃないか。
いまだにこの国から戸塚ヨットスクールの需要が消えないという事実をよく考えなければいけません。

/「戸塚ヨットスクールは、いま」東海テレビ取材班