快読日記

日々の読書記録

「ポースケ」津村記久子

2015年02月07日 | 日本の小説
《☆☆☆ 2/1読了 中央公論新社 2013年刊 【日本の小説】 つむら・きくこ(1978~)》

「ポトスライムの舟」(2009)の主人公ナガセの友達・ヨシカが経営する小さなカフェ「ハタナカ」で働く人、客、ヨシカの友達の娘、などそれぞれの視点から日常を描いた小説。

「女」でも「女性」でもなく「女子」ともちょっと違う、「女の人」あるいは「婦人」って呼びたくなる彼女たち(小五の恵奈を含めて)は、幅があるようで実は根本的に似ている人たちかもしれない。

人はみな何層もの皮をかぶっていて、場所に応じて厚みを調節しながら生きている、っていう部分には誰でも思い当たる節があるんではないか。
男女問わず。
家族や恋人のように濃い間柄の人と支え合う(または傷つけあう)、というのはあるとして、ちょっとした知り合いくらいの、どういう人かはよく知らないけどよくあの店で会うなくらいの、遠めの関係が人を癒やすってことも確かにある。
じゃその人と親密になればいいかっていうとそうじゃなくて、手をさしのべたら届くところにいるよっていう距離が大事なんですね。
篠田節子「女たちのジハード」の純文学版(非エンタメ版)、とでも言いましょうか。
もしくは、群ようこ「かもめ食堂」の現代リアル版。


津村記久子はいつも、人と人とが摩擦なく、ゆるくつながる理想を書いてる気がします。
みんなが大人な社会。
一種のユートピアかも。
しかし、この作品もそうですが、ユートピアの一歩外にはさまざまな暴力がひしめいていて、みんな小突かれ、引き裂かれ、傷口に冷水がしみるような痛みに苦しめられている。
そして、それはどうにもならないことだ…という感覚が底辺にあって、それでも立ち上がる人をいつも描いている。


それはさておき、奈良のカフェという「女子」臭の強い設定ながら、立地やメニューなどで巧みに「おしゃれ感」からハズしてくるのもおもしろかったです。

/「ポースケ」津村記久子