快読日記

日々の読書記録

「橋」橋本治

2014年02月28日 | 日本の小説
《2/18読了 文春文庫 2013年刊 【日本の小説】 はしもと・おさむ(1948~)》

戦後に北国で生まれ、いわゆる「団塊の世代」である正子と直子、その伴侶である義男と孝輔。
彼女たちは敗戦後の復興から高度経済成長の波に乗った普通の(多数派の)日本人といえる。
そして、昭和40年代後半に生まれた彼女たちの娘、雅美とちひろはのちに30代で逮捕されることになる。
雅美は自分の幼い娘と近所に住む男児を殺害し、ちひろは夫をワインボトルで撲殺して遺体をバラバラにして捨てた。

こう書くとすぐあの事件やあの事件を思い出しますが、確かに細かいエピソードのいくつかは実話をもとにしているみたいです。
でもこれは、紛れもなく「小説」。
たぶんこの小説の主人公は「戦後日本」なんです。
橋本治は歌謡曲やテレビと経済、そして日本人の心の変化とを三つ編みにして提示します。
戦後60余年を経て日本人がたどり着いたのがこの空っぽな地点だとしたら、こんな虚しい話はありません。

それにしても、橋本治はなぜこんなことを知ってるんだろう?と感じることが何度もありました。
たとえば義男の不合理なテレビの操作や、雅美(正子の娘)のだらしなさや、客観的には「バカ」と定義される独特の思考回路。

「高校時代の雅美は、理性によって恐怖感を克服するというのとは逆のやり方--すなわち、知性を放棄することによって恐怖感を捨てるということをした。だから雅美に、こわいものはない--それを感じる判断基準がない。ただ「好き、嫌い」の判断基準しかない。「やらなければならない」と分かっていることでも、「いやだ」と思えばやりたくはない。それを「やれ」と言う母親は、不快なる敵でしかなかった」(212p)

作者はみごとなくらい登場人物の誰にも肩入れしていません。
読む方は、世代的に心当たりがあって「ああ! そうだったなあ」と懐かしむことはあるけど、その「共感」には小さな不快感がつきまといます。
読んだからと言って、二人の女が人を殺した理由がわかるわけではありません。
しかし、この不快感には何かある。
言い換えれば、自分たちが「時代」に乗り、飲まれ、流された挙げ句に感じた「いったいどこで何を間違えたんだろう」という戸惑いと不安と喪失感。

/「橋」橋本治